宝石の輝き
不適切な表現があるかもです。ご注意をば。
「私、小さい?」
「色々と小さいな。どことは言わないが」
「さっき色々って言ったくせに……まあ、どことは言わないけど」
「懸命だな」
「それで全部台無しだ」
答えなど分かりきっている、とばかりに鼻を鳴らした男に、昼間に椎名に言われた時よりも低く呟く瑛里。男はそれこそわかっていた様子で、片方の口角を上げた。
夕食を終えた二人は、リビングの椅子に腰かけながら、お互いに自分の手元を見ている。そのため、真正面に座っている二人が表情を視界に納めることはないのだが、瑛里には予想できた。男も同じだろう、と瑛里は確認するように、コーヒーを飲む同居人を見つめた。
椎名と同じ癖のない金髪は針のように細く、色味は濃い。光の当たり具合で橙や白に見えるので、本物の金に似た輝きがあった。白目にも見える銀の瞳も、光に当たることで微細な色へと変わる。よくよく観察するとわかる白目との境界線は、虹彩を縁取るようにいくぶんか黒い。室内の照明で照らされた姿は文字通り輝いていて眩しいが、それ以上に非常識だ、と瑛里は胸中でため息を漏らす。
「身長は東洋人の平均よりも少し小さい。胸も尻も小ぶりで……くびれがあるのは幸いか。ああ、小心者の気もある。なにより、人間といえば矮小だ」
「よくそれだけ思いつくのね」
最後のそれは私に向けてか?
瑛里は首をかしげたが、半分以上は呆れていた。残った部分で怒りのようなものもあったが、目の前の男は瑛里以上の容姿と西洋人並みの身長をもっている。金髪銀眼の容姿は、人形じみた顔立ちの瑛里よりも整っているが、それだけ人間味がない。貴金属でできた人形、と瑛里はふっと思い浮かんだ感想を瞬きとともに消して、長机の上のカップを手に取る。
「人はそれだけ、業が深い」
「エルフに欲がないわけでもないのに?」
その中で波紋を作っているホットミルクを見つめたまま、瑛里は訊く。男はからかい半分の口を引き結んで、目を伏せている。しばらく何も言わずに、場の雰囲気が溶け込んでいる飲み物を、お互いに一口だけ、口に含んだ。
瑛里と男が住んでいるのはマンションの一室だが、そこに第三者はいない。亡くなって祖父のいたイギリスを離れたとはいえ、瑛里にとってそれは、両親と住むことと同義ではなかったからだ。ともすれば両親に放っておかれたわけだが、瑛里としては、目の前の男がいれば一応はよかった。家族としては不完全な状態だとしても、不能ではないのだ。
「欲はそれぞれだが、人間は総じて業が深い」
「生きる意志がなければ、生きていけない動物だからね。セシルは、そう思ったことなんてないかもしれないけど」
平坦に響く声に、同居人であるセシルは笑うことはしなかった。
瑛里の両親は当初、セシルとの同居に戸惑った。性別としての問題も当然ながら、セシルが瑛里の祖父の残したものだというのも、判断に迷った理由だった。
セシルの容姿は、少なくとも瑛里が彼と出会った一三年間の間に変わっていない。老いないわけではない、とセシルは説明しているが、正確には人間の五倍かそれ以上生きるために成長が緩やかになっているのだ。瑛里に詳細は教えていないものの、一定の理解はすでに二人の間にはあった。種族の違いなのだ、と瑛里が早々に痛感した、というのも理由だ。
(エルフに人間が理解できるか? いや……歩み寄れるかだ)
祖父の遺品は、土地などの法的なものを除いて幾らかは瑛里の元にある。財産分与の点では瑛里にも権利はあるが、後見人として両親が今は管理しているため、瑛里の傍らにあるのは物的な遺品だ。目の前の同居人兼エルフも祖父から譲り受けたものだった。セシルとの契約もしてある。その印もあり、セシルはその契約上は、瑛里のものだ。
「生きる意志が、どうして多様化するのかは、俺は理解したくもない。固い頭はつぶせば何とかなるだろうが、欲の底に落ちた人間は、どうしようもない」
「救い上げる気もないなら、見なきゃいいのに」
「落ちていくさまは目に入る」
「目を潰してみる」
「俺が痛い目を見る必要がどこにある」
「なら、離れればいい」
「……ついでに耳もとれば、満足するか」
セシルが見ているかはわからなかったが、瑛里は首を横に振った。そうしながらわからない、と返してみると、セシルからの反応はない。ためいきすらもなく、瑛里がセシルを見やると、人間とさほど変わらない大きさの耳を引っ張っている。少しとがっている耳の上部をつかんだ手に目をやり、瑛里はもう一度、横に首を振る。だれが満足するにしろ、痛々しい想像しか瑛里の脳内には浮かばなかった。
「やるんだったら、私の知らないところでね」
「結果は報告してやろう」
「……グロテスクな傷口なら、ヨードチンキでも塗ろうか」
皮肉と嫌悪感をその一言に詰め込む。セシルは眉をひそめていたが、それ以上に何か言うこともなく、コーヒーをあおるようにして飲み干すと、風呂場へと消えていく。
瑛里はそれを見送って、皮肉を実行に移すかを考えた。
※・※・※・※
入浴後に自分の部屋へと戻って、瑛里は眠ることもせずにベッドの上でテレビを観ていた。夜も遅いのでリビングのテレビを使うことはせず、携帯とイヤホンを使い、照明は手元の小さな電球だけである。内容に集中すれば暗さも気にならず、バラエティからアニメを二本続けて観賞し、特集のロゴが右上にあるドキュメントが、瑛里が今観ているものだった。
午前二時を過ぎると、人間は暗さを掘り出して見せつける。注意喚起というより生々しいにおいが漂う内容は、印象という名の傷をつけまわっているようでもあった。植物人間という、近いようで遠い事柄に、瑛里は浅く息を吐いた。
特集はある人間の、植物状態から脳死に至るまでを映していた。医師から山場を伝えられた家族は、患者の知り合いを呼んで最期の日を迎えた。生命維持装置の示す数値は医師の診断もあって、前々から低くなっている。医師も間に入れば臨終の時間もほぼ正確なので、文字通り見守られるようにして患者は亡くなった。亡くなった瞬間には泣いている人間も多い中、患者の母親も顔を赤くして、頭を下げていた。
(幸せなんて、わかりはしないか)
器具が片づけられた部屋で、医師が片腕で顔を覆う。そうしてから苦く笑う顔を見つめてから、瑛里は瞬きを一つする。
同時にパチン、と待ち受け画面に戻した携帯を折りたたんで、投げ出すような形でベッドの上に転がす。寝転がった体勢から仰向けになり、瑛里は部屋の天井を見上げた。
「えいえん、か」
時に、時間が止まったような、という表現を、瑛里は耳にする。多くは驚きであったり悲しみであったりと、人間の許容範囲を超えると使われるが、ならばそれは永遠に近いのではないか、と瑛里は考えた。家族の死を看取ったあの母親の時間は、また新たに動き出すのかもしれないが、もしかすると当の患者は変わらずにいられるかもしれない。はなはだ不謹慎で、不完全な永遠ではあるにしろ、瑛里には少し羨ましくある。
(だって、少なくとも精神は変わらずにいられる)
そもそも永遠が幻想だと言われれば、瑛里も否定はできない。エルフであるセシルさえ寿命があるというのなら、瑛里がそれを信じるのも難しいのだ。無謀だ、と断じられて縋りたくなるのは、瑛里が永遠そのものを疑う気持ちがあるからでもある。音としての永遠と、意味としての永遠は、どうやってもかけ離れていた。そう考えると残るのは概念だけで、瑛里の手元に残るのも型だけだ。
「欲しいな」
それでも望むのは、瑛里自身の欲求だからに他ならない。不足を感じて改善を求め次を望むのは、抑制とのバランスが取れなくなった証拠なのだ。
不意にセシルの嘲笑を思い浮かべて、瑛里は目を閉じる。時期に声まで再現されるのに、瑛里は小さく口を開いて、なにかを呟いた。
作中に出てくるドキュメント番組は実際に作者が見たもので、今回は内容を端折りました。
植物人間についても詳しい説明は作中ではしておりません。誤解を生む表現等ありましたら、ご一報くださると幸いです。