人形少女、二人。
「えーりちゃん」
しなだれかかる身体は瑛里の後頭部を包みこむ。耳の上から伸ばされた両腕が瑛里の視界に入り、瑛里のものと同じ学生鞄がぶらりと垂れ下がっていた。それが今日の授業中に見た枯葉のようで、目をしばたく。そうしてから、甘えた声ではなく、あくまで明るい声質に、瑛里はわずかに笑った。
「ちゃんづけはひどいよ」
「可愛いって」
「それは私の背が低いからか」
お互いに遊ぶように言葉を交わすと、制服越しの柔らかい身体が離れ、腕が一方だけ外れる。足を動かし瑛里の横に並んだ少女は、それが可愛い、とにこりと笑う。
瑛里よりも拳一個分だけ背の高い少女は、肩甲骨辺りまである黒髪を、頭の左と右で一部三つ編みにしている。それを後ろで一つにまとめ、残りの髪は後ろに流しただけだが、癖の全くない髪には上品でもあった。鉄紺の瞳は陽の光を取り込んで、制服姿の日本人形に似ていた。
対する瑛里は赤味の強い紅茶色の髪をしていて、瞳は明るい金色をしている。黒いリボンでゆるくまとめた髪は、少女に比べいくらか癖はあるが、豊かな髪はおおむね真っ直ぐだ。制服の色に似たリボンは、一見すると派手な容貌を、これまた上品にまとめている。少女と違うのは、瑛里のほうは西洋のビスクドールのようだった。
「椎名は今日、どうする?」
「喫茶店行こうよ。今日は制服のまま」
「うん。セシルに連絡しとく」
「怒られないようにね」
椎名の言葉に瑛里は苦笑を漏らして、学生鞄から取り出した携帯の短縮キーを押す。通話ボタンを押して耳に携帯をあてると、コール音が五回ほど鳴った。音の最中で受話器がとられたらしく、瑛里の耳には続いて、少しだらけた男の声がした。
「今日ね、椎名と喫茶店行ってくる。帰りは、そんなに遅くならないと思う」
『……瑛里か。わかった、好きなだけ太ってこい」
「ご飯食べて寝てるだけのやつに言われたくないよ……じゃあ、帰りはちょっと材料買って帰るから」
通話の相手は若干ながら不機嫌そうな声音で了承し、後で連絡するように、と早々に耳を離しかけた瑛里に言う。相手が見えないにもかかわらず頷いた瑛里は、椎名を一瞥してから改めて通話を切った。
今では減少傾向にある二つ折り携帯を鞄にしまうと、瑛里が見た時と同じ表情をして、椎名は笑い声をあげた。それもごく小さなものだが、瑛里は気まずそうに視線を足元に落とした。
「じゃあ、まあ、行こうか」
「うん、そうだね」
顔までうつむいてしまった瑛里に、椎名は小さく笑んで、瑛里の手を引っ張った。
※・※・※
朝永瑛里と渡邊椎名は、同じ高校に通う一年生だ。
瑛里は母方の祖父がハーフであり、中学に上がるまではイギリスのほうに住んでいた。それまで瑛里の世話を請け負っていたのも祖父で、日本へ来たのも、その祖父が亡くなって危険の少ない国へ、という運びになったからだった。瑛里にはきちんと両親もいるが、仕事の関係で会える機会は少なかった。
そうして入った中学で出会ったのが、渡邊椎名である。彼女は生粋の日本人で、日本へ来た当初の瑛里の面倒を焼いたのも椎名だ。身長は標準よりも少し高く、学校ではなく近所の空手の道場の所属している。顔立ちは美人で姿勢もよく、三つ編みをほどいて着物を着せれば、人形のように精緻。二人の付き合い良好だが、傍目には人形が二体いるようで、同級生からは一歩引かれて見られていた。
「ここ、いいね。アンティークがいっぱいある」
「でしょう。今日はとりあえず制服だけど、これだったら後日、どうかなって」
「だったら、椎名はいつが空いてるの?」
瑛里の髪色に似た紅茶を喉に流し込んで、椎名は今月の予定を頭の中で引き出す。土日は道場での鍛錬に費やされることが多いが、できることなら休日に訪れたい。しばらくしてから椎名は、二週間後の土曜、と返した。
「来月でも、再来月でもいいけど」
「いやいや。私にとっても貴重な糖分摂取の日だから、延ばすのは止めてください」
「そう」
笑って語尾を上げた瑛里に、椎名は紅茶よりも前に運ばれてきたケーキにフォークを差し入れる。白いムースの上にトッピングされたチョコソースとラズベリーが分かれ、ラズベリーのほうがフォークの腹に乗った。一口よりも大きめにカットしたものが、椎名の口の中へと消えていく。自然と上がった口の端につられて、瑛里もオレンジのタルトを小さく切って口に入れた。
「美味しいね」
「でしょう! やった、百点だね」
やや簡単に出た百点にも、瑛里は笑う。
店内は意図的に照明が少なく、外から見れば陰気に映る。反面、店に足を踏み入れてみると、一見すると橙に光る照明が、ニスの塗ってある机の脚に反射している。所々に黒くなっている深いこげ茶の樹は机だけでなく椅子やカウンター、ボックス席の衝立にも使われていた。天井にある照明はどれも同じものだが、一方でそれぞれの席にはスタンド型の照明がある。当然、瑛里たちの席にもあるもので、雰囲気を出すために光は手元を少し照らす程度ではあるものの、電球を覆う部分がステンドガラスで作られていた。
(雰囲気はいいし、お茶は上々。一番嬉しいのは、ケーキのほうか)
あくまで瑛里の印象だが、椎名の言う百点にも決して遠くはない。紅茶以上にケーキが美味しいのも、瑛里にとっては真実、嬉しかった。イギリスは紅茶をたしなむ国だと言われているが、彼女自身にとって、飲み物は小休憩と同じだ。こだわっていないのも悲しいが、作法や香りへのこだわりは、瑛里にはそれほど重要でもない。
「で、瑛里。セシルさんとは仲良くやってる?」
「……まあ、いつも通り、かな。相変わらず家事はやらないけど」
セシルは瑛里のマンションに住んでいる同居人だ。瑛里の死んだ祖父とゆかりがあり、半分は済し崩しのように瑛里と共にいる。セシルも元々はイギリスに住んでいたが、瑛里が日本へ来るのに際して、瑛里の両親の了承のもと、同居人という扱いになっている。祖父の傍にいた時から料理が出来ず、ほとんど同居人である必要もないヒモ同然の存在だが、瑛里は手元に置いていた。
瑛里にとってのセシルは、一言でいえば多面的な存在だ。プラス要素もあればマイナス要素もある。それ故にたまらなくなることもあるのだが、瑛里にはなくてもならないものだった。
「それならいいよ」
椎名は瑛里よりも納得した様子で笑う。少し紅茶を口に含み、甘みの強い口内を紅茶がさらうのに、椎名は目尻を下げた。
「でも喧嘩は控えてね」
「それはもちろん」
そんな気はない、と口に出すのはためらわれて、瑛里はそう返す。そうしながらタルトをもう一口食べると、前屈みになっていた姿勢を正した。そう、と首をかしげて見せる椎名は、半分以上食べたムースの制覇にかかった。
瑛里の髪よりも随分と黒ずんだ赤が、椎名の髪の輪郭をかたどる。
視線を手元に落としている椎名と目は合わず、どうにもからかわれている雰囲気に、瑛里は自分の分のティーカップを両手に持つ。口元までやってから吐息を落とすと、小さな波紋がティーカップに広がった。