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飽食の腹  作者: 神楽の蔓
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秘密に蓋を

七月より働き始めます。ただでさえ更新遅いですが、もっと遅くなる予感……。

 柔らかくも落ち着いた瞳が丸く見える。瑛里の一つ上、高校二年生といえば身体的に大人に近いはずだが、そうした様子は幼さのほうがまだ強い印象を受けた。いきなり話し始めた二人に対する驚きとしては当然で、ともすれば瑛里の反応が薄いだけなのだが、落ち着き具合に差が出てしまう。知人かどうかを訊こうとする一の様子を静観して、瑛里は今日という日についてきたエルフを一瞥する。

 真剣な顔、とは違う。傍目に分かるほど表情の変化はなかった。緊張した雰囲気もなく、目の前の疑問を解消しようとする子どもに似ていた。銀色の瞳は一仁の髪を凝視するばかりで、本人の様子さえ気にとめていない。人を気にしない行動は普段の彼らしく、しかし質問内容は彼が普段は見逃すものだ。瑛里は改めて内心で首をかしげ、うやむやを狙ってとりつくろうように笑った。

「すみません。同居人が変なこと訊いて」

「あ、ああ。大丈夫だよ。兄貴が天然じゃないなんて、よくわかったなって思ってただけだし。な?」

「その天然は性格のことか? なら俺は違うといつ」

「性格はなんか混ざってるけど、そっちは気にしないでね」

 困惑を含んだ空気を瑛里に続く形で切る一に対し、一仁は腕組みをしたまま応えた。同意を求めただけのはずが、平然とした声音が続ける前にまた自分の声でさえぎり、一は先程よりも子どもらしい、明るい笑みで返す。上がっている口角が、若干ながら瑛里と同じものになったが、瑛里は無視してうなずいた。セシルの時よりも出口の見えない、ひどい迷走の気配をどこからか感じていた。

(危機感は遠のいたかもしれないけど)

 セシルが唐突に一仁を凝視したように、瑛里も一仁をぬすみ見る。平然としているのは慣れているのか、ちらりともらした彼自身の性格の所為なのか。ふとした問いは口にせずに、視線を引き剥がした。瑛里が見つめていても本人からの苦情は恐らくないのだろうが、徐々に離せなくなる気配に、瑛里は目を伏せて寸断した。

 ひどく曖昧な、霞がかかったような違和感を、瑛里は脳の片隅に置いた。セシルはそれ以上のものを感じているか、あるいは確信しているのかも知れなかったが、瑛里にはわからない。普段の諦めや回避のための分からない、ではなく、解らないのだ。変だ、と思う思考があって、一仁が変だ、という理解につながらない。途中で手を加えられたように、認識は一仁をそういうもの、だと言っていた。そうしていっそう強くなる違和感を表出させたのは、間違いなく自身のエルフだったが、瑛里はそれも視線を上げる際に切り落とした。

「そういえば、お二人の名前ですけど、変わってますね」

(はじめ)一仁(かずひと)だからでしょ? 文字で表すともっと変なんだけどね、どっちが上かわからなるし。まあでも、親がつけた名前だから」 

「……そうですね。名前は大切ですね」

 うなずいた瑛里に、一は朗らかな声で同意する。隣にいる兄を一瞥する目はあたたかく、確かにどちらが上か、わからなくなるような雰囲気がある。内心でそちらにも同意した瑛里は、相棒であるセシルに声をかける。決して睨んではいないが、質問を最後に黙ったまま凝視している、というのは、質問攻めにするよりも奇異だった。

 短く名前を口にした瑛里に、セシルは瞬きをしてから瑛里に向き直る。一仁を見ていた時よりも鋭い、刃物の輝きに似た銀色は剣呑であり、真面目だ。セシルの瞳を見ながら、同様に視界に入っている金色の髪は日光を受けて明るく透けている。金属製の人形のような白い容貌を眺め渡して、瑛里は一仁に謝った。何秒かをかけて首を横に振った一仁は、思い出したように瑛里と一の関係を訊ねた。

「やっと訊くんだから、やっぱりなんか混ざってる……って、そうじゃなくて。ほらこの前の、近澤(ちかざわ)が購買のパンを買うために人を踏み台にしたってやつ。俺を踏み台にした近澤の背中を踏んづけてくれたのが彼女の友達だったんだ」

「ああ。埃は払ったけど跡が残って泣かれながらクリーニングに出したやつか」

「嫌な憶えかたしてる!?」

 間違いはないだろう、と付け足す一仁に、一は眉をひそめて言葉を探す。その端から舌に乗せていくのだが、気まずげに視線が泳いだ。そうして選んだものは言い訳にもならず、一は頭を掻いた。泣いたのは母親だろうか、と二人を眺めていた瑛里に、視線を合わせた一が肩を落とす。頭を掻いていた手を止めて、今度は指に絡ませるように動かすと、困った口調で瑛里にその後のことを説明した。

「実はウチの両親、小さい頃に死んじゃってね。今は保護者役……未成年後見人の人と一緒に暮らしてるんだ。とっても家庭的な人でね。いい人なんだけど、最近は出費がかさむからって悲しそうな目するんだよ」

 前後の事情は重かったが、瑛里は少しして、ブレザーは家で洗えませんよ、と返した。次いで自分たちの通う高校の授業料の話を少しすると、一は目を見張って落とした肩を更に下げる。さすがに青ざめてはいないが、耳に痛いとばかりに頭にあった手が耳を覆っていた。

 そんな様子に動いたのは一仁だった。組んだままの腕をほどき一の頭の上に置くと、髪形を崩さないよう丁寧に撫でていく。言葉もなく何度も行き来をする手は、慰めているのではなく撫でる行為そのものを楽しんでいるように、瑛里とセシルには見える。表情の見えない一仁がなにを考えているのかは推察するしかないのだが、身体ごと向き直っているので、どちらかの理由である確率は高い。どちらかである必要もないけど、とそんな感想を抱いた瑛里はフォローをいれ、セシルは電車の窓から見える景色を追う。

「そういえば、二人はどういう関係? 二人とも日本人じゃないのはよくわかるんだけど」

 自分の兄の手を払うかどうか考えていた一は、それを放棄して瑛里に訊ねた。訊ねるうちに兄が飽きてくれることを期待しての行動だが、それは決して悟られないようにする。その割に、改めて浮かべた笑みは口角が上がり気味になっていた。一はそれでも構わない様子だが、隣の男が気付いたのかは、瑛里にはよくわかった。

「私はクォーターで、中学の時にこっちに越してきたんです。日本国籍ももらいましたけど、元々はイギリス人でなんです。セシルは私が中学入学までお世話になっていた、母方の祖父と一緒に暮らしていました」

「帰国子女ってやつだね。なんか初めて見たような気がする」

「知り合いになって初めて実感がわくからなんじゃないですか。私も最近、そういうことがありましたし」

 そう口にしてから、この瞬間こそ実感している、と瑛里は薄く笑った。内心の酷薄とした感情は包み隠して、世間話の体を守りながら、利き腕にかけていた傘を持ち替える。瞬間的にかがみこんだ瑛里の、二段のジャボの下から、錆びて艶のなくなった金色が一部飛び出す。真鍮(しんちゅう)のチェーンの、その先はコートの中に隠れていた。

 錆びた影響からか、黒ずんだ鈍い光を捉えた一に気付いた瑛里は、まず傘を持ち替える。そうしてからチェーンをジャボの下に押し込もうとするのに、一は声をかけた。

「アンティーク品?」

「……祖父の遺品なんです。随分前に壊れた懐中時計なんですけどね、私にとって必要なのは、これぐらいだったもので」

 祖父が死んだ当時は一二歳だっただけに、瑛里は財産分与について大して説明を受けていない。祖父の死で精神的にいっぱいになってしまった瑛里に、説明する人間はいなかった。瑛里自身、おぼろげながらいくつかの手を憶えているだけで、顔や背格好に至っては不明だった。祖父が亡くなる前後に一時的にスイスへ行っていたこともあり、多くの人間と会った反動で記憶の混乱が起こったのだろうと、瑛里は以前から考えている。鮮明に覚えているのは骨に張り付くように広がった皮膚とこけた顔で、それを思い出すたびに追憶にふけるのも止めていた。

「懐中時計か。なんか格好いい」

 感心した様子でチェーンがあった場所を見つめる一に、瑛里は瞬きをして意識を戻した。いつの間にかぼやけていた視界が焦点を結び、三人の男たちの中では一番近い位置にある顔を見上げて、苦笑をもらす。チェーンがあった場所からしてあまり凝視すべきところではないのだが、瑛里は首を小さくかしげて懐中時計を取り出した。

 瑛里の手の中でちょうどいいサイズの懐中時計は丸い蓋に蔓と葉で周りを覆うようにしていて、所々に小さな花が咲いている。比較的空間のある中央部には、更に狼がいる。しばらくして懐中時計の上にあるボタンを押すと、ギリシア数字の文字盤が目に入る。壊れているだけに針は動かないが、文字盤から三ミリの円を描いてガラスがはめ込んであり、精緻な仕組みが見える。小さな時計をもう一つ組み込めそうな下部には、女性の横顔のシルエットがあった。

「なんだか、凝ってるね」

「本当かどうかは分かりませんけど、祖父が言うには乙女を守る、という意味がこめられているそうですよ」

 不思議とそのことは容易に思い出せ、瑛里は先程よりも気軽に笑いかける。一は似合っている、と笑みを返し、セシルへと視線を飛ばして、一つうなずく。瑛里と一の会話をただ聞いていたセシルは目を細めて顔ごと視線を避ける。一仁と同様に腕を組むようになっていた腕を手の平でさすり、また一仁に目をやる。

 セシルにしてみればおかしな、黒に近い瞳をした男は、口からわずかに息を吸っていた。

「それはつまり、お前とセットだったのか」

 失礼とも取れる発言に、一は慌てて兄の服を引っ張った。打ち解け始めた雰囲気を崩された怒りもあり、ついで扱いになってしまったセシルに謝る。最後に瑛里にも頭を下げると、錆びた真鍮よりも明度のある金の瞳が丸まって、ゆっくりと首を横に振った。そう取られても仕方がない、と動作と同じくゆるく笑みを浮かべた。

「どちらも大事なので」

 セシルではなく、瑛里に向かっていた一仁の視線を見返して、瑛里は片手の中にある懐中時計を握りこむ。

 カチリ、とかろうじて耳に届いた音に笑みを深め、セシルを視線で一瞥してから、瑛里も小さく息を吸った。 

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