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飽食の腹  作者: 神楽の蔓
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隣の男

お、お久しぶりです……えへ。いや、ごめんなさい。

口癖のようにごめんなさい言ってますが、前回の変更点、椎名の空手娘→合気道娘、につきまして、後々のことを考えて元の空手娘に戻しました。九話目見ると、あとがきも消されてるんだぜ……! あんまり設定が生きていないので変更点は少ないのですが、読者様にはどっちやねん、状態です。申し訳ないです。

そして今回はちょっとした人が再登場します。

「着替えるのか」

 頭の上で一つくくりにしていたゴムバンドを解いた瑛里に、セシルは飲んでいたコーヒーを机に置いて訊ねた。ソファに座ってテレビを見ていた目も、瑛里がいる方向を向いている。その先にいる瑛里は、少々癖のついた髪を手櫛で梳きながら、うなずいて肯定した。特に盛り上がり気味の部分を湿った指先で直しながら、椎名の道場へ行くのだと告げた。

 平日に比べると遅い時間帯に朝食を食べ終え、瑛里は先程まで使用済みの食器を洗っていた。出掛ける際には鬼頭も言っていたゴスロリを着る予定なのだが、ともかく作業をするのに向いていないため、現在はネグリジェの上にパーカーを羽織っている。分厚い生地は黒く、大きく開いた首周りを縁取るフリルも黒い。ボタンも黒く艶消しまで施してあり、かけたボタンは生地に埋没して見える。通常のパーカーなら紐を通す部位に取り付けられた鎖などは反対に光っている。さすがに霧も晴れているので、洗濯物は全て外に干してあり、鎖はその隙間をぬって入り込んだ陽の光を受けていた。

「最初から行くかどうかでも話したんだけど、特に試合を見てほしいって言われたから」

「目的はその後にあるんじゃないのか」

 セシルはソファの背もたれに肩肘をかけ、乗り出すようにして瑛里をうかがう。二日ほど前のことが瑛里の脳裏をよぎり、そこから近づいてくるのだろうか、とあまり重要でもないことを思った。セシルが、接近が威圧になると考えているのであれば、それはたいして意味を成さない。嫌味はかろうじて瑛里の癇に障ることもあるのだが、そちらは流すすべも心得ていた。

「この前も言ったけど、セシルに頼むほどのことはないよ」

 端的に言えば、瑛里が積極的にセシルを巻き込まないのは、そういう理由からだ。

 そもそも自分たちの助けた人間が植物状態になりかけていると聞き、近隣でもよく起こっているとの情報を得た。身体に異変らしきものはなく、状況が気になる、というのが興味を引いた点だが、瑛里にはとてもほめられたものではないという自覚もあった。瑛里も椎名も、医学生でも医療知識があるわけでもない。原因究明は無理であろうし、ならばどうするのかといえば、おおよそは好奇心のようなものだ。そこに気まずさや、知りたいという気持ちがあっても、冷やかしとなんら変わりはない。

 セシルも不用意に瑛里を追い詰めようとはせず、瑛里の動向をうかがうにとどまっている。なにより先日の会話で瑛里がなにをしているかは予測もついていた。瑛里の言う私たち、の中に瑛里の友人である渡邊椎名がいる確率も、セシルの中では高い。後は瑛里が望むのならば、言葉に出すのであれば、瑛里についていく心積りもしていた。

 あくまで瑛里の言葉を待っていた。

 瑛里は胸中で息を吐き、無表情に近い顔のまま、冷蔵庫の時間表示に目をやる。一瞥するようにして時間を確認すると、片付けが終わった時間からたいして経っていない。おおよそ四分、それも分をぎりぎり越えただけだった。睨み合いは判断を鈍らせる、とまた胸中で忠告めいたものを呟いて、瑛里は口を開いた。

「ただの興味本位だけど、ついてくる意味はあるの」

「使える力がそばにあるだけでも違うだろう」

「ああ、なにかがあった時のためにね……そんなものはないと思いたいけど」

「お前がそう思うなら、使う気が起きなければいいだけだ」

「それはそうだけど……ああ、いや、本当に」

 脳裏に三人の人影が映っては通り過ぎていく。瑛里は写真を眺める心地で、ため息と共にうめいた。吐いた悪態も空気ににじんで消えていくのに、息をつめてとどめる。罪悪感が浮かんでも、前提として瑛里にセシルを使う選択肢はない。それを実感するだけでは、セシルを連れて歩いてもたいして変わらないだろう。ましてや椎名と話したとしても、セシルが積極的に関わらない限り変化はないように瑛里には思えた。

(実際は、セシルの反応を見てからになるのだろうけど)

 その点は留意しておくべきだが、そこまでするのかもやはりわからない。瑛里にしても実態をつかんでいるわけではないのだ。植物状態に陥っている人間を見つけたとして、どうするのかは別問題である。人的な仕業なら他に気をつける必要もあるが、その時にセシルは瑛里にとって武器になりえる。セシルはそういった存在であり、少なくとも彼自身は普段のように、マンションにこもる気はない。瑛里についていくのは、その意思表示でもある。なにがセシルを駆り立てのかは、瑛里にはまったく思い当たらなかったが。

 もう一度、瑛里が冷蔵庫の液晶に表示された時間を確認する。二度目に見た時は、先程よりもわずかに短く、三分経っていた。合わせて七分。四捨五入すれば一〇になるだけに、瑛里は振り向いていた体勢からセシルへときちんと向き合い、十分以内に家を出ることを伝えた。


  ※・※・※


 中世の貴族然とした格好の瑛里は、晴雨兼用のフリルが多分についた傘を腕にかけ、自身に合わせて歩くセシルを見上げた。飾りボタンの多くついた紅樺色コートに身を包んだ瑛里のそばにあるのも、やはり黒いコート。ただしこちらは簡素な形のもので、コートの形をした生地に同色のファスナーがついただけのものだ。巻き込んだ先端が見え隠れする納戸色のマフラーを押さえて、セシルは白いため息を吐いた。

風を止めろ(イルフーム)

 滑り込むようにこぼした言葉が、わずかに凪いでいた風を消す。小さなかすり傷を作るような風が姿を消した半面で、純然とした寒さが分厚い生地越しにしみこんでくるのに、瑛里は肩をすくめた。風の冷たさがなくなっても、季節柄の寒さや乾燥がなくなるわけではないのだ。若干、湿り気も遠のいたように感じる空気に、瑛里は続いて墨色の五本指の手袋に息を吹きかける。少し厚めの生地で作られているそれは、毛糸ほどに熱気を通すことはないが、硬直しかかっている関節の曲がりをよくした。

「風まで止めなくても」

「寒さは風が運ぶものだ。熱さも、湿気も。防いでなにが悪い」

 不遜な響きで行使された魔法に、瑛里は短く息を吐き出して、呼吸のたび入り込む冷たい空気に目を細める。

 エルフであるセシルの魔法は、自然に作用するものが多い。植物の使役を得意とし、風や水は容易だが、火とは相性が悪い。瑛里には視認できないが、魔法には空気中を漂っている精霊に働きかける形で行うらしく、セシルは一方で火の精霊との相性が悪いのだという。具体的には、魔法を唱えても精霊が反発してどこかへ行く、らしい。瑛里はエルフがそういうものなのかは訊ねなかったが、なにもない中空を睨むセシルを見つめて納得していた。

 相性というものは確かに存在するらしい、と。

 他にセシル自身の魔力を変換して力そのものにもできる。これならば火の魔法も使用でき、精霊に頼むよりもよほど早く魔法を行使できるが、疲労感は大きくなる。セシルはそのため、滅多にそちらは行わない。けれど精霊に頼むよりも魔法の自由度は高く、応用も多岐にわたる。

 小さな奇跡ならば、少しの都合のいい未来ならば、セシルは実現させることができるのだ。

 それを望まない自分がひどいのか、とどこか膜がかかったような思考の先で、何人かの人間が下をむいて歩いている。瑛里の服装が奇異であろうが、セシルの目に痛いような容姿があろうが、普段はそんなもので、どこか急くようにして歩いていくのだ。休日にもかかわらずビジネススーツがそこかしこにあり、中にはパンツルックの女性の姿もある。瑛里も出向く先のことを考え、スカートは止めてきたのだが、うつむくことがないのは傍らにセシルがいるからだ。他には、二人組みの男が瑛里たちの少し前を歩きながらなにかを喋っていた。

「……あ」

 ちらりと、二人組みの背の低い男の横顔を捉える。瑛里と同年代ぐらいの、少し出た喉仏を蜜柑色と煉瓦色のチェック柄をしたマフラーで覆っている。暗い茶色の瞳に瑛里を映した青年も、一度だけ見たことのある人物の特徴的な容貌に、同じく声を上げた。


  ※・※・※

 

 朝と昼の中間のような時間は、休日ならばそれなりに外出する人間も多い。けれどもそれは大型施設があるような賑わっている場所の話であり、旧市街といわれる地域に足を運ぶものは少ない。単純に用がないのもあるが、その数は年々増えていた。同じ町に住むにしても、古いものではなく新しいものへと人は流れていくからだ。

 各駅停車の電車の扉が開くたびに減っていく人影を追っていた青年は、苦笑して隣の少女に目を向けた。

 少女は飾りボタンのたくさんついたコートを羽織っていた。実際に前を閉じるファスナーは胸の中ほどで止まっていて、そこからグラフトンタイが見えている。紅樺色よりも色の鮮やかな紅赤色の生地と白い生地の二段で作られたタイは幅広で、白いシャツとあいまって鮮やかだ。黒いズボンはハイウエストで、小柄な身体を強調しながらも華美に映った。

「遅くなりましたけど、私は朝永瑛里(ともながえり)といいます。こちらは同居人のセシルです」

「ああ。俺は矢島一(やじまはじめ)。こっちは俺の兄貴で矢島一仁(やじまかずひと)。お世話になってます」

「いえ、こちらこそ。椎名の知り合いのお友達なんですから、役に立ててよかったです」

 一は瑛里の言葉に柔らかく笑うと、以前に会った時のことを思い出して、困ったようにもう一度礼を言う。それに軽く首を横に振って、瑛里は高校の先輩だという矢島兄弟を見比べた。

 弟の一は黒茶色の髪をした青年で、深い色をした茶色の瞳は明るい輝きがある。一度だけ見た時のように付き合いがいいのだろうと、そう予想させる人の良さがあり、柔らかい印象を瑛里は抱いていた。一方で兄の一仁は墨色の瞳と髪をもつ男で、弟から紹介を受けたにもかかわらず口を開くことはない。無口である以上に感情の見えない瞳は、思いやりに欠けるようでありながら、それ以上に静かに見える。揶揄や悪態ではなく、静か、というのが、矢島一仁には似合っていたのだ。

「その髪は地毛か?」

 不意に、電車に乗り込んでから腕組みをしていたセシルが問う。だれに訊いているのか瑛里は視線の先をたどって、その先にいる一仁に目を瞬かせた。唐突にその質問か、という気もしたが、そもそも面識もないような人間なら、セシルは髪色など気にしない。瑛里と一の関係よりも先に訊くというのは、あまりしない行動だった。

 一仁はそれに対し、セシルを一瞥して首を横に振る。天然の髪色に見えた瑛里は少し意外に思っていたが、盗み見た一は兄を見て目を丸くしていた。凝視するような、探るような視線を受けた一仁は、忘れてしまった、と付言して口を引き結ぶ。

 それも信じていないようなセシルの横顔を、一たちが見ていないことを確認して見つめた瑛里は、内心で首をかしげながら、言い訳も考えていた。

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