沙也香の一
沙也香ウェディングウォーズ
康雄
1
「誰でもいいですから私を抱いてください。女にしてください」
「何だよ、それは?」
私立東陵高校。結構、偏差値も高くプチ名門と言っていい高校だ。季節は七月。いよいよ盛夏を迎え教室の熱気も高まりつつある。ここは三年二組の教室。
だが今は朝のホームルームを控えた時間。まだしも快適さは残っていた。
剣道部の朝練を終え寝不足の解消として目を閉じていた南隼人の耳にとんでもない台詞が飛び込んできたのはそんな時だった。
背が高く筋肉質。男らしい顔立ちで、すでに有段者。そんな隼人だが優柔不断というか、今一つはっきりしない面を持つ。
その上に奥手。彼にとってその台詞は衝撃そのものだった。あわてて声のする方を見る。
「勇気のある方はいませんか?……そのっ、誰でもいいですから」
声のトーンが落ちた。さすがに恥ずかしさがこみ上げてきたのだろう。台詞の主の顔は耳まで真っ赤に染まっていた。
「……篠宮さん。篠宮沙也香さん?」
信じられない。隼人は大きく目を見開いていた。
「……あのっ、もういいです。今のは忘れてください」
学園のマドンナ。古くさい言い方だが、篠宮沙也香を言い表すのにもっともふさわしい表現だ。
東陵高校の制服である古色蒼然としたセーラー服に身を包んだ同級生。家は十数社の関連会社を有するお金持ち。キリッと気品のある面立ち。かなりとんでもない美少女だ。
スラッと背の高い細身の、でも出る所はしっかりと出ている体型。
学業は学校でもトップクラス。運動神経も良好。隼人と同じ剣道部で、正確には女子部のやはり有段者。
性格もよく、これだけ高水準なスペックの持ち主なのになのにおごる所は全くなく、誰とでも気楽に話す。
「……篠宮さんが何で?」
隼人は小さく呟く。知っている限りでは隼人同様に保守的な考えの持ち主だったはずなので、隼人には今の沙也香の台詞がなおさら信じられない。
「……すいませんでした」
顔を真っ赤にしたまま床に視線を固定。沙也香は周りを見ないようにして、そそくさと自分の席に戻ろうとしていた。
「……何で篠宮さんが?」
「……そんな人だった?」
ザワザワと囁かれる驚き。教室内部の空気は冷たい。ドン引き状態だ。憧れの存在。なまじ普段の沙也香の素行の良さが目立っていた分、反動がきつい。
一部を除き、ほとんどの生徒は声も出ない有様だ。
「………?」
ご多分に漏れず沙也香に憧れを持っていた隼人も同じく無言。
「何も恥ずかしがることはありません。年頃のお嬢さんにとって当然の思いです。僕にはよく分かります」
しかし空気の読めない者もいる。沙也香の行く手を遮るように一人の男子生徒がたつ。
「この僕、前生徒会長の野々宮清彦があなたのお悩みに応えましょう」
立った男は一見沙也香とお似合いだ。背が高くしなやか。筋肉も十分付いていた。顔もハンサムと断言できる。
だが表情がいけない。軽薄を絵に描いたようだ。プレイボーイでこの学校の一番のもて男と本人だけが信じている野々宮清彦だった。
しかし行く手を遮った清彦と沙也香のさらにその合間に身をねじ込む剛の者が一人。
「あんたは寒いッす。男は情熱ッす?沙也香さん、遠慮しなくてもいいッすよ。いつでもおいらの胸に飛び込んで来いッす」
また一段と空気が冷え込む。野球部の元正捕手。がっしりとした体格。男らしいというか、濃い顔立ちだ。声が大きい。態度は必要以上にフレンドリー。
空気を読まないその二だ。稲葉精二。彼も自分はもてると確信していた。情熱的と言うよりともかく強引だ。気の弱い娘に迫って迫って、最後は泣き落とししてでも、関係を持とうと頑張る。もっとも本気で拒否すれば潔く身を退き、絶対に乱暴はしないので、さほど女の子に嫌われてはいないのが唯一の救いだろう。
それでも興味を持つ娘もいて、男女関係もそれなり。自称は性豪だ。
「……私、失礼します」
軽く髪の毛を払う清彦と肩をそびやかせる精二が対峙し、とても戻れない。沙也香はそっと引き返して別のルートで自分の席に急ごうとした。
「駄目よ篠宮さん。男なんて汗くさいだけ。女の気持ちは女にしか分からないわ」
しかしまた行く手を阻まれた。その三だ。東城アスカ。沙也香よりは小柄だが、胸は大きい。態度はさらに極大。
真正の美少女だ。沙也香と比すと顔立ちは可愛さ方面が目立つ。もっとも男性陣の人気は全くない。彼女自身が自分は男に興味はないと断言し、別の可愛い女の子を追いかけ回しているからだ。
完全なレズっ娘だった。
「男になんて処女を捧げたら痛い思いをするだけよ。入れて出すしか考えてないから。その点あたしは違う。相手の悦びがあたしの悦びだから」
あからさまと言うか?教室内で言う言葉か?誰もが言葉を失う。
「……あのっ、私、本当に席に戻りますから。その話は後で」
目を合わせてはいけない。本能的に悟り明後日の方向を見据えながら、沙也香はこの場を逃れようとした。
適当な方向を向き足早に歩き出す。
「お願い。男なんて相手にしては駄目」
「沙也香さんは僕がつきあう。異常な性癖に巻き込むな」
「そうだおいらのような力強い男が一番。女同士?変態は引っ込んでいるッす」
だが男二人も引き返してきていた。沙也香は完全に回り込まれた。
「お願いですから席に戻らせてください。このままでは先生がきてしまいます。返事は絶対に後でしますから」
まだ朝のチャイムはなっていない。しかし時間がないのも確かだ。沙也香の顔に焦りの色が浮かぶ。
「誰が変態よ。お猿は引っ込んでなさい。ナル男も寒いからどっかに行きなさい」
顔中に朱を散らしアスカが精二と清彦に怒鳴り散らす。
「女と女は不自然だろう。沙也香さんは僕に任せるがいい」
「ナルシストは黙ってろッす。変態も口をきくなッす」
清彦と精二。男二人も顔中を口にした。
「先生がきてしまう。私の優等生のイメージが」
オロオロと沙也香が視線をさまよわせる。完全にテンパっていた。
「いい加減にしろよ。篠宮さんが困っているだろ。三人とも篠宮さんから離れろ」
もう我慢できないとばかり、割り込んできた男が一人。優柔不断男。南隼人だ。沙也香の台詞のショックから何とか立ち直った隼人は机の間を抜けて憧れの相手、沙也香の手首をつかむ。
「篠宮さんもいけないからな。何が自分を女にだよ。俺はがっかりだよ」
我ながら頭が固いと自覚はしていた。今時は高校生にもなれば男女の仲もさほど珍しくない。自分のことは自分で決めればいいのだろう。
それでも気になる存在が自らを汚すのは我慢できない。沙也香の手を引きながら、隼人の顔は真っ赤。思わず美しい少女から視線を背けていた。
「有り難う、南君。追いつめられていたと言ってもさすがに軽率だった私」
クラブも同じ同級生。つかまれた手が恥ずかしい。南隼人。さほど気にしていなかった相手。意外ではあったがこんな状態で助けに来てくれたのは正直に嬉しかった。
吊り橋効果か?鼓動が高鳴る。こちらもまともに視線は合わさず、沙也香も改めて首筋まで朱に染めていた。
「こんなの有りなの?何で南なんかに沙也香をさらわれちゃうのよ」
「僕の役割を。でも仕方がないか。調子に乗りすぎたか」
「おいらはまだまだ諦めないッす。なんか事情がありそうだが、放課後に改めておいらの腕に来るッす」
突然の乱入者にアスカと清彦と精二は気をそがれた。元々あまり積極的でない二人、隼人と沙也香のなぜか微笑ましい雰囲気に気合いが空回りだ。
「後で必ず事情はお話しします。教室を引っかき回してごめんなさい」
律儀に三人やほかの生徒たちに謝りながら、沙也香は隼人に手を任せて行くのだった。
私立東陵高校は東陵市という地方都市にあった。全校生徒は千人ほど。場所は市街地の真ん中。大都会と比べれば土地代も安く、敷地は広くとってあった。
市街地の真ん中だから遊ぶ所も多く駅も近い。他人の目を気にする場合は隣の市にでも簡単にいけた。
しかし沙也香と隼人アスカ、清彦、精二の五人は遠出はせずに適当なファミレスを選び話し合いを始めていた。
欠食児童のような精二は軽食を頼んでいたが、残りの四人はコーヒーや紅茶などの飲み物だけだ。
人目を避けるように清潔感の漂うファミレスの端の方の席に固まって、四人は沙也香の説明を待っていた。
やはり処女云々の話し合いは電車に乗るほどではなくても気が引けた。
「簡単に言えば政略結婚なの。父と母と近い親戚と。みんなに責められているの」
憂鬱そうに沙也香が口を開く。手にした紅茶を何とも不味そうにすする。所詮はファミレスの紅茶なので限界はあるが、それにして眉根にしわを寄せ不快そのものの表情だ。
「今時なのに政略結婚なんてあるのか?」
特段貧しくはないがやはり一般家庭の人間である隼人はいきなりには信じられない。沙也香と同じように眉の合間にしわを寄せた。
「別に珍しくない。僕たちの家にとって結婚はガス抜きだ」
同じ金持ちの家の清彦があっさりという。
「ガス抜き?……結婚が」
訝しそうに隼人が呟く。
「そうだよ。変に対立したりしないように血縁関係を結んでおく。身内なら全くの他人よりは信用できるから」
当然のように清彦が返答をする。
「平成のこの時代に、前時代的ッす」
「お金持ちってややこしいのね。下手に生まれなくってよかった」
同じく庶民のアスカと精二も隼人と似た反応だ。
「政略結婚そのものはいいの。社長の娘は会社を護る義務があるから」
沙也香はあっさりと清彦に同調した。
「なら何で学校であんなことを?」
学校でロスト・バージン宣言など普通ではない。今の発言を聞く限りでは、沙也香は納得していたのではないのか。
隼人は頭の痛くなる思いだ。
「政略結婚はいいの。行けと言うなら誰でもとまではいかないけど嫁ぐ用意はある。でもそれは納得できる説明があった場合。無理矢理に結婚させられて黙っているほど私は大人しくないわ」
憤まんやるかたないと言いたげに沙也香は目つきを鋭くした。
「でも行けと言うだけで何も説明してくれない。何度も抗議したのに。だったら無理矢理にでも壊してやろって気になるでしょ?」
話を続けながら沙也香は鼻息を荒くした。
「それで手段としてロスト・バージン?」
隼人は目を白黒させる。納得できたような、そうでないような?とりあえず沙也香という娘が思ったより過激なのはよく分かった。
「今となっては反省しているわ。でもいざとなったら」
シュンと一度は顔を伏せた沙也香だが反抗心は未だ冷めていないらしく、傲然と胸を反らすと、キッと中空をにらんだ。
「自暴自棄になるのは僕は感心しない。しかしそれでもというのなら僕がお相手しよう。安心してください。僕は女の子の扱いは慣れてます。初めての娘でも天国に連れて行く自信があります」
一見さわやかな笑顔を浮かべると、清彦はかなり危ない発言を漏らす。コーヒーカップを持っての小指がたっている様はどこかカマっぽい。
「んな訳がないッす。初めての娘は痛いに決まっているッす。それとも痛みを感じさせないほどお前のアレはお粗末なのッすか?」
蔑むように精二が笑ってみせる。
「そんな事はないよ。僕のは大きい。君のように乱暴一筋には分からないだろうけど、丁寧に扱ってあげれば女の子は」
「痛いのは当然ッすけど、力強く抱いて安心させてやるッす、おいらなら。出来もしないことは言わないッすから」
清彦の台詞を遮り、精二はどこか誠実そうに言う。どう言い繕うが、危ないのは清彦同様だったが。
「あんたたち下品過ぎ。初めての女の子を前にして何を言っているか本当に分かってる?どっちにしろ本能全開じゃない。若い男に余裕なんてないの。女の子を大切に出来るのは女の子だけ。これがこの世の真理よ」
二人の男を鼻の先で笑うとレズ娘が自信満々に豪語する。
「だから全てをこのアスカ様に任せなさい。痛いのは最小限、悦びは無限大。男どもと違って、女の子同士は果てしがないんだから」
鼻息も荒い、危ない人の第三弾だった。
「えっと席を移動しようか?」
完全に他人の顔。さり気なく隼人は沙也香の手を引っ張る。
「そうね。せっかく二人で来たのに、変態みたいな人との相席は遠慮したいな」
すかさず沙也香も腰を浮かべた。
「酷いな。僕は君の相談に乗っているのに」
「人の親切を無に帰するつもりッすか。お前たちッす?」
「女の子同士の友情はどうなったの?ついでに愛情に発展できればさらにいいけど」
このまま逃がしてはならじ。遺恨を一瞬にして忘れ、清彦、精二、アスカの三人は絶妙のコンビネーションで隼人と沙也香を取り囲む。
「実際問題として沙也香が、その、したとして政略結婚を破棄させるほどのインパクトはあるのか?」
改めて腰を下ろし隼人は清彦に聞く。金持ちで尚、男としての立場。聞く相手は清彦しかいない。
「正直に言って処女じゃなきゃってことはないな。明治時代じゃあるまいし。僕の姉さんも結婚前にはかなり男遊びは激しかったし」
首をひねりながら清彦は答えていく。
「今時ならいくら名家でもそこまで気にしてないよ。もっともわざわざ高校生に嫁いでもらおうって事は処女を期待している可能性は大きいかな。そこを狙ってついこの間に処女ではなくなりましたと言ったら破談になっても不思議はないけど」
言葉を選びながらさらに清彦は答えを続ける。
「とにかくそんなことをしたら喧嘩を売ったとしか言い様がないから、さすがにやらない方が無難だとは思うけど」
大きく頷くと清彦は話を締めくくった。
「………?」
「そんな親の言うことを聞くことはないわ。娘のことを本気で考えてないのよ。アスカが沙也香を慰めてあげる。ねっ?」
行くも戻るも地獄。さすがに悄然とした沙也香の手をアスカが握る。
「だから不自然だといッてるッす。頼るならおいらッす」
横から手を出す精二。場の空気を無視し、再び争う姿勢のアスカと精二だった。
「仕方がない。僕が篠宮の親父さんに口をきいてあげようか?僕の野々宮家とは結構大きな取引があるし、子供とはいえ、親父さんもそれほど無視は出来ないんじゃないかな?」
黙り込んだ沙也香に清彦が初めてのまともな提案を持ちかけた。 「お願いします。事情が知りたいんです。決心するためにも」
沙也香は清彦に頭を下げる。とりあえず沙也香のロスト・バージンはお流れとなった。
2
東陵市の人口は十万人ほど。はっきりと言って地方都市。かなり市街地は広く、少し郊外に出れば広々とした田畑が広がっている
山の方向に高級住宅街が広がり大きな屋敷が点在していた。沙也香は普通は車で通っているが、両親との仲が不調の現在、一時間ほどかけて歩きで通学していた。
「しかし何でここまで広い家が多いッすか?」
「そうよね。あたしの町内がそのまま一軒の家に収まっている感じ」
あきれたように言う精二。普通なら男の言葉には無条件で反発するアスカだがそこは同じ庶民。長い長い塀の連なりに目を白黒させるしかない。
「さすがに篠宮の家だな。半端じゃない」
呟く清彦に隼人が驚いたような視線を向けた。
「これが個人の家なのか?それも篠宮の?」
「確かに大きい家だと思う。家の中を歩くのに時間がかかって」
「なんと言ったらいいのか?」
思わず溜息をつく沙也香。隼人の目が丸く見開かれた。ここまで差が付いてしまうと悔しいも何もない。ただ驚きだ。
「嫌みに聞こえたらごめんなさい。本当に大きければいいものではないの」
困ったように沙也香は目を伏せる。どういおうと隼人たちの気に障るのではないかと気になって仕方ない。
そんな人たちではないとは思うが、まるで財産を見せつけるために呼びつけたような複雑な気分だ。
「あっ。門があるッす。大きい門ッす」
「ほとんど城門並の大きさがあるんじゃないかしら?」
もはや名所旧跡を訪れている観光客気分の精二とアスカだ。遠慮なく大声で門を指さしていた。
「あの門なら車の二、三台が並んでくぐれるんじゃないの?」
「もっとたくさんの車でも通れると思うッす」
「確か四台までなら通れると思ったが」
アスカと精二の疑問に何度も篠宮邸を訪れていた清彦が答えた。
「すごいな、本当に。んっ、誰かいるけど」
感心しながら隼人も大きな門を見上げてみる。視線を戻し門の内側をみて隼人は首をかしげた。
「お客さんかしら?普通は会社の方に行ってもらっているけど」
門をくぐった沙也香が小首をかしげる。広い庭に木々の緑が濃い。緑の影で十数台は余裕の涼しげな広い駐車場。
彼女の視線の先に数台の黒塗り高級外車が止まっていた。
スモークガラスをはめたベンツ。やくざ屋さん御用達の仕様だった。
「おやっ?お帰りなさい、沙也香お嬢さんですな」
車の脇に立っていた十人近い男たち。その一人、背の低い小太りの中年男性。沙也香の父親と同年代と言うより明らかに年上の男が話しかけてくる。
いかにもお金のかかっていそうなスーツ。沙也香は父親のきているものを昔から間近で見ているのでスーツの質の善し悪しは一目で分かる。
生地、仕立て。全て完璧。完全なオーダーメイドだ。安い乗用車なら軽く買えてしまう値段だろう。
「お初にお目にかかりますな」
きつい香水の匂いをさせながら近づいてくる中年男性。時計は金無垢。全部の指にごつい武器にも出来そうな指輪が嵌っていた。金はかかっているのだろうが正直に言って悪趣味だと沙也香は思う。
男の声は妙に甲高い不快になる声質だった。沙也香とアスカは目線で会話する。薄気味悪い男。近づきたくない、と。
「どなたでしょう?父のお知り合いですか?」
しかしそうも言っていられない。自分の家に見知らぬ顔の男。どんな人間が入り込んでいるか、分かったものでない。沙也香は用心しつつ聞いてみた。
「儂の名前は山上龍彦。今度お嬢さんと婚約の議を執り行わされることになった者だ」
何の躊躇もなく男は言う。
「……えっ?婚約者。私の」
信じられない言葉に沙也香の頭は理解を拒んだ。分かっていても分かりたくない。
「そうです。ああっ紹介しておきましょう。こいつは息子の龍司。もう少しすればお嬢さんの息子にもなる男です」
「よろしくお願いします。お世話になります」
強張り固まった沙也香の前に二十歳を少し超えた程度の若者。父親と同様の質のいいスーツ。背は高く美形なのは確かだった。
しかし父親が下衆なら息子の印象は慇懃無礼。薄ら笑いを浮かべ、爬虫類を思わせる無機質な視線で沙也香を射抜いていた。
父親が論外なのは当然だが、息子だって結婚の対象にしたくもない。
「じょ、冗談じゃないわ!何で自分より年上の子供を持たないといけないの?絶対にお断りします」
呼吸も困難になるほどの怒り。声を裏返させながら沙也香は叫んだ。
「そうよ。馬っ鹿じゃないの?そこの下品な小父さん。いくつ年の差があると思っているの?いい小父さんが!年を考えなさいよ。年を!」
さすが女の子の味方。アスカは沙也香の援護射撃に出る。
「いい加減にするのはお前だろ?山上さんになんてことをいいやがる」
「山上さんたちは大人しいから何も言わないが、俺たちは違うぞ。女だって容赦はしないからな」
「一回うちの組の事務所に来てみるか?おうっ。嬉しい注射でそのキレイな体をボロボロにしてやろうか?」
山上親子は何も言わなかったが周囲に控えていた男たち。明らかなチンピラたちが口々に怒鳴り立てる。
「………?」
「………!」
強面の男たちに囲まれ沙也香とアスカの口が閉ざされた。相手はヤクザ者だ。犯罪者。体が震えてどうにもならない。
「何をするんだ?女の子を脅すなんて最悪だぞ」
「おいらも気分が悪いッす。乱暴なんて最低ッす!」
「君たち。女の子は大切にするものだろ?」
さすがに放ってはおけない。正直相手はプロだ。怖いが黙っていたら男じゃない。隼人と精二、清彦の三人は沙也香とアスカとヤクザ者たちの間に割ってはいる。
「粋がっているんじゃないぞ。本来は素人さんには手を出さないが、だからといっていつまでも我慢が続くとは思うなよ」
「それくらいにしておけ。先には儂の嫁だ。下手を打ったらただじゃおかんぞ。そっちのお嬢さんも沙也香嬢は儂の嫁になる。すでに決定したことだ。余計なことに口は出さない方がいい」
チンピラたちを止めたのは山上龍彦だった。もちろん善意ではなく十分脅しをかけたと判断したのだろう。
「帰るぞ。これ以上悪印象を重ねるのはごめんだ」
続いて息子の龍司が言うとベンツに向かう。
「命拾いをしたな。お前たちの顔はしっかり覚えたからな。夜道には気をつけるんだな」
車に乗り込む山上親子を追いながらチンピラが最後の捨て台詞を吐く。
「助かった。どうなるかと思った」
「おいらもおしっこが漏れそうだったッす」
「相手はプロだったからな。けががなくて何よりだった」
相手のチンピラたちが車に乗り込み篠宮家の敷地から出ていったのを確認し、男三人は大きく息をつく。
「……あんな手合いを相手にするのは?」
精一杯強気を見せてはいたが、隼人は内心ギリギリだった。多少剣道の心得があったとしても相手はプロ。真剣を持ってくるかもしれない。それどころか拳銃だって隠していたかもしれない。
とても安心して対峙できる相手ではない。
「冗談じゃない。あの小父さんの嫁。あの小父さんに初めてを許すくらいなら誰だって最初を許しちゃう。お父さまに言って何が何でも結婚なんかしない」
顔面を蒼白にし沙也香は叫ぶ。彼女は完全に追いつめられていた。
「山上さんに聞いたとしたらその通りだ。沙也香はあの人に嫁いでもらう」
険しい顔の沙也香の父親。広い屋敷の広い一室。高い本棚に詰まった経済学その他の難しそうな本の山。父親の書斎に急いだ沙也香の耳に聞きたくもない言葉が響く。
「だからといって、お父さまより年上としか思えない男の人に嫁ぐなんて無茶です」
頬を紅潮させ沙也香は父親にくってかかる。確かに納得できる理由なら嫁ぐのに異存はない。しかしアレはいけなかった。年の差が大きすぎたし、見た目で判断してはいけないのかもしれないが、とても人格的にも容認できる相手とは思えなかった。
ぶっちゃけ気色が悪い。
「沙也香さんが結ばれるに相応しい相手とは思えません。本当にあんな小父さんで沙也香のお父さんはいいんですか。あたしには沙也香さんが幸せになるとはとても思えません」
気難しそうに眉を寄せアスカは言葉を紡ぐ。実際に山上親子にあったアスカの印象は最低だった。ゲスな成金としか表現出来ない父親に、目が全く笑わない息子。どちらもご免だが、特にあの父親と結婚なんてはっきりあり得ない。
ありきたりな言い方だが、死んだ方がましという奴だ。
「お嬢さんには理解不能かもしれないな。確かに年上だが我々の間の婚姻ではよくあることだ。好みではなく利害の判断で我々の婚姻は決まる」
沙也香そしてアスカと視線を移動させながら沙也香の父親はフウッと吐息をつく。アスカに説明すると同時に沙也香に納得してもらおうという視線だった。
「確かにその通りです。我々は単純な好意だけで結ばれる訳ではない。しかしそれでも昔とは違う。沙也香さんに嫁いでもらうなら納得できる理由の提示は必要では?宜しければ僕の父親に話してみます。父ならあんな素性の怪しそうな中年に沙也香さんを嫁がずにすむ手助けも出来ると思います。どうでしょう?」
沙也香とアスカが黙り込んだのを見て清彦が口を挟む。沙也香とアスカでは感情的反発は出来ても対案を示すことは出来ない。理を説く沙也香の父親には通用しないだろう。
しかし清彦ならば立場が違う。少しは沙也香の父親に結婚の是非を考え直させることが出来るかもしれない。
「いくら取引先の息子かもしれないが君は所詮は子供にすぎない。大人の話に口を差し挟むのは行き過ぎじゃないのか?」
何とも不快そうに沙也香の父親は顔をしかめた。なまじ理に適っていたのが、まるで子供に言い負かされたかのようで、逆に面白くなかったのか。
「本当に分かっているのか?あんたの娘は学校で自分を抱いてくれ、女にしてくれといっていたんだぞ。それだけあんたの娘は悩んでいたんだ!」
ついに隼人の怒りが爆発した。娘も女友達の言葉も聞かない。少しは具体的提案をした清彦も逆ギレ気味に切り捨てられてしまった。
娘の持っている絶望感を沙也香の父親に突きつけてやらねば納得できない。
「………そんな?」
さすが沙也香の父親も動揺が隠せない。父親だけあって娘の気質は分かっている。保守的な娘がそんなことを。
沙也香の父親は絶句してしまう。
「おいら思うんッすけど、山上さん相手に少し相談したらどうッすか?こっちだけで考えていてもそう簡単に解決は出ないッす」
空気の重さに耐えられない。精二は何とか考えをひねり出した。
「……とりあえず話してはみよう」
苦渋の表情で沙也香の父親は頷く。義理絡み。その顔色を見て沙也香の父親も決して望んで娘の結婚を進めている訳ではないと五人にも分かった。
「……でもこれだけ大きな屋敷を構えている篠宮の家なのに?」
小声で呟きながら周囲を見渡す隼人。信じられない広さだ。東陵市の税収の何割かは篠宮家が納めているという。篠宮グループはそれほど大きな企業連合体だ。なのにそこまでの圧力をかけてくる相手とは。隼人には見当もつかなかった。
数日後、沙也香や隼人たちの姿は喫茶店にあった。またも放課後に連れ立っていた。
大型の喫茶店で席割りは女のたちと男で向かい合うとごく普通のもの。隼人は窓側に近い席で沙也香と向き合っている。
空調がよく効き、沙也香とアスカは少し寒そうだ。
「それで相手の正体は分かったのか?」
隼人は真ん中の席に座っていた清彦に視線を向ける。結局、沙也香の父親から詳しい事情を聞くことは出来なかった。そこで清彦の父親に頼んで、山上親子や一緒に来ていたチンピラ風の男たちの正体を確かめてもらっていたのだ。
男女の差もあるのだろうが、清彦の父親は経営的なことに興味を示した清彦のことを喜んでいたらしい。
「親子は山崎産業という企業グループの会長と社長。篠宮さんの所やウチなんかよりは小さな企業群だ。男たちは龍田組という暴力団の構成員だった。正直な感想だけど珍しい展開だ。篠宮さんや野々宮グループでもその手のつきあいは完全には断ち切れていないのが実情だ。でも普通は裏でやっているだけで真正面からつきあうなんて事はない。場合によって必要悪なのは本音で建て前は絶対に許されないことだから」
スラスラと本音の出し過ぎな解説を清彦は語ってくれた。
「本当の話そんな場所に沙也香をやってしまうのはなぜ?だって沙也香の家の方が大きいんでしょ?」
アスカが訳が分からないとばかりに首を振った。
「それがよく分からない。篠宮グループの業績は悪くない。娘の身売りなんて必要ないし、いくら暴力団がついていると言っても、こっちだってそれなりに話は通せる。裏で手を回す程度は簡単なはずだ」
「おいら思うッすけど、あっちに何か意地があって引っ込みがつかなくなったとか?」
「それにしたって同業者相手にしてまでは考えにくい。暴力団だって商売だから。適当に金銭面で優遇し、それなりにメンツを立ててやれば引っ込むと思う」
精二の言葉に首をひねる清彦だった。
「単純に考えてスケベ根性じゃないの。あたしだってその手を使えば沙也香の純潔をいただけるとなったら使っちゃうと思うし」
重くなりつつある空気を軽くしようと、アスカがレズっ娘の本性をかいま見せる。
「いくら何でも女の子同士の初体験は」
実際には単なる本音なのだがそれを冗談だと解釈し、沙也香がアスカの肩を叩こうとしたその時。
「………!」
隼人はピクッと体を震わせた。何か言葉が聞こえたような気がした。それも危険を知らせるような切実な声を。
「危ない、沙也香!」
声のした方向に視線を走らせた隼人の目にとんでもないものが飛び込んできた。車だ。黒い乗用車。駐車場にあった車がすごい勢いで喫茶店の中に突入しようとしていた。
「えっ?キャア、隼人君!」
沙也香の声が裏返る。低いガラス製テーブルを乗り越えてきた隼人に抱きつかれてしまった。そのまま押さえ込まれていく。
「アスカちゃん!危ない!」
「車がきたッす!」
隼人の動きにつられ一拍遅れて駐車場をみた清彦と精二の目にも同じ光景が映る。黒い乗用車が沙也香たちの座席の後ろ側の方向に突入してきていた。
女の子たちを護らないと。すでに沙也香は隼人が護っていた。残るのはアスカだ。
「男は来るな!変態!」
アスカの体に折り重なるように清彦と精二の筋肉質な肉体が被さる。絶叫し二人を引き剥がそうと暴れるアスカ。
これは岩なの?全くうごかない。嫌悪感より何より驚きが最優先だった。しかし本当の驚きは次の瞬間だ。爆発音?
ガッシャーンという甲高い破砕音と共に無数のガラス片が宙に舞った。沙也香とアスカには何の問題もない。背中は喫茶店の三人掛けソファー、ガラス片の飛ぶ空中は分厚い男の肉体に護られていた。
「………!」「………!」
声も出ない。沙也香とアスカは目を閉じ、ただ縮こまって、目の前の堅くてがっしりとした肉体にしがみつく。
「……これはこれで?」
アスカは男には全く興味がなかった。汗臭くて乱暴。柔らかくていい匂いのする女の子の体とは大違いだ。
はっきり嫌悪感を持っていた。でも今は安心していられた。アスカには初体験の不思議な感覚だ。
これなら抱かれていてもいいかなとアスカは思った。
「……何か気持ちいいかも?」
隼人の重みを全身で感じる。躾の厳しい篠宮家の娘。沙也香には初めての体験だ。まるで別の意味の初体験であるかのように思えて、沙也香の胸はドキドキと高鳴っていた。
「どうだ無事か?体は大丈夫か?」
「ガラスは全部防いだはずッすけど?けがはないッすか?」
アスカの体から重みが消える。清彦と精二が退いてくれたからだ。ガラス片が二人の体から落ちるガシャガシャという音がアスカの耳にも届く。
「有り難う。けがはないわ。初めての体験だったけど」
ホッとしたような、残念なような。困惑する内心を隠しアスカは周囲を見回す。
「沙也香もけがはないな?」
「隼人君が護ってくれたから、私も無事」
少し遅れて隼人も身を起こす。抱かれていた沙也香の顔が少し赤い。
「躊躇なく篠宮さんに抱きついたな」
「おいらの割り込む隙などどこにもないッす。やるなお主ッす?」
「目、目の前に篠宮がいたから護っただけだ。目の前が東城だったって同じ事をやっていたから」
からかう清彦と精二に隼人の顔が真っ赤になった。
「……そうなんだ。東城さんでも?」
理不尽と自分でも分かっている怒りに沙也香はイライラと爪をかむ。
「みてあの男。みたことあるよね?」
意外な嫉妬の対象となったアスカ。しかし彼女は別のことに気をとらわれていた。指を指すアスカの顔が強ばる。その視線の先には喫茶店に突入した黒い乗用車。中から男が一人姿を現していた。
「アレはこの間山上と一緒にいた男。龍田組の構成員だ」
崩れた雰囲気のその男は何事もなかったかのように平然としていた。隼人の表情も瞬時に硬くなった。
「命を狙ってきたってことッすか?」
チラチラと龍田組の構成員に視線を送る精二の声も緊張が隠せないもの。
「それはどうだろう?実際の所我々の座っていた席とはかなり離れたところを狙っていたからな」
清彦の目が車の位置を確認していた。三メートルは離れている。直接狙うつもりではないようだ。
「き、君なんて事をしてくれたんだ?」
呆然としていた店員の一人がハッと気づき男の前に立つ。
「すいません。駐車しようとしていたらうっかりとブレーキとアクセルを間違えて踏んでしまいました」
龍田組組員は駆けつけた店員に素直に頭を下げていた。
「うっかりじゃすまないよ。店をこれだけ壊してどうしてくれるんだ?」
肩を怒らせなおも店員は男を詰問していく。
「……申し訳ない」
「……素直に謝っているけど」
悪いことをしたから頭を下げる。ごく当然の組員の態度に沙也香は逆に釈然としないように首をひねった。
「どうやら安全ガラスみたいだし、けが人がいなかったのが幸いでしたね」
組員は薄ら笑いを浮かべながらと言うと、テーブルの上に散乱していたガラス片を手に取る。丸っこい形状のそれは確かに普通のガラスではない。
「そちらのお客さんもけがはなかったようですね?」
沙也香や隼人たちを視界に入れながら組員は平然と言う。
「脅しをかけてきたんだ。今はそんな気持ちはないけど、やろうと思えばいつでもと」
安全ガラスを承知で突入してきたらしい。どうやら最初からけがをさせる気すらなかったようだ。
でも組員の態度をみれば狙いは明白。隼人はギリっと唇をかみしめた。
「事故を起こしたのは君だね?」
パトカーのサイレンの音が止まり、店の人間が呼んだのだろう警察官が数人、喫茶店内に入ってきた。
「これで完全に単なる自損事故というわけか」
隼人たちと龍田組との軋轢を警察官は知らない。知っていても偶然と主張されればそれまでで終わるだろう。
隼人は大人しく警察官に連れられていく組員をみながら口の中で呟いた。
「でもなぜ今更あたしたちに脅しなんかを?だってあの時はあんなにあっさりと退いて見せたのに」
篠宮家駐車場での山上親子とのやりとりを思い出し、目を二、三度瞬かせるとアスカが疑問を漏らす。
「たぶん僕たちがヒビって、あのまま退いてしまうと思ったんじゃないか?」
清彦が顎の先に指を当てながらアスカに答える。
「つまりおいらが沙也香の親父さんに山上たちに相談しろって、安易にアドバイスしたからッすか?」
「俺たちに退く気がないと思って。……でも今更」
パトカーのライトの瞬くのをみながら、隼人は改めて最後まで沙也香を護ることを決心したのだった。
龍田組による数回の襲撃。大したことはなかったものの近頃は用心して五人で行動をしていたのだが今日は清彦たちに用事があり、アスカは自ら望み、清彦たちと行動を共にしていた。
隼人は沙也香を護るので手一杯。勢いアスカの頼みの綱は清彦と精二。いつの間にかアスカは完全にレズっ娘を卒業していたらしい。
隼人と沙也香だけで帰宅をしていたその日、夕日が赤く二人を照らしていた。
『右から来るぞ!』
「………つっ!」
隼人の右手に衝撃。事前に予知。正確には近頃さらに明瞭となった、隼人の頭にのみ響く警告の声が聞こえていたからまだつかむことが出来た。
男たちの放った金属バットを。
幻聴?正直自分がどうにかなったのかと不安になるが、沙也香を護るための力になっていたのは確か。
「何よ、一体?」
突然のバットの飛来に、さすが沙也香の顔も強ばる。
「……便利は便利だが?」
声に深入りしてはいけない。そのうち怖いことになりそうで、隼人はあまり考えないようにしていた。
「危ないぞボウズ!」
「そっちに行ったぞ!」
一拍遅れて大声が空気を揺らした。
「……こんな事!」
あと少し隼人の反応が遅れていたら自分にぶつかっただろうバット。恐怖と怒りに沙也香の目が見開かれる。
「教えてくれるのが少し遅いんじゃないか?」
怒りに身をさいまれながら、隼人は低く漏らす。
「すまんな。こっちも驚いてしまって、とっさに声が出なかったんだ」
「ちょっとバットがすっぽ抜けてしまって」
ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら男が数人こちらに向かっていた。男たちの背後には黒々と口を開いた空間。
「危ないな。何でガレージの中でバットなんか振っているんだ?」
コンクリートに囲まれた大型外車でも三台くらいは収納できそうなどでかい車庫。強い憤りに隼人の声が震えていた。こちらに悟らせないように隠れてバットを投げつけてきたのは隼人にとって明白だった。
「どこで野球の練習をしようとこっちの勝手だろ?確かにバットがすっぽ抜けたのは悪かったが悪意はなかったんだ」
「素直に謝っているんだから勘弁してくれよ」
何度も頭を下げる龍田組の組員たち。悪気は当然あるに違いないと隼人は思う。だが証拠はない。単なる事故だと言い張られれば隼人に対処の方法はない。
改めてあれから何度もこんな事があったのを思い出す。いつも龍田組の組員が関わっていた。夜道でヘッドライトが光ったと思ったら、車に急接近された時もあったし、いきなり鎖をはずされた大型犬にかまれそうになったりもした。
「何回こんなことをしたら気が済むんだ?」
隼人は低く漏らす。
「もういい加減にしてください」
眉を痙攣させ、沙也香が声を低くする。
「何回って俺たち篠宮の家の駐車場であった以来だし」
首をひねりながら、いかにも心外そうに組員の一人が漏らす。
「確かにお前たちは初めてかもしれないが」
「だったら言いがかりはやめてくれよ。俺たちは何にも知らないんだから」
隼人の怒りも沙也香の苛立ちも何の役にも立たない。最初は絶対にけがをさせまいとしていたようだが、今となってはそんな心配りもない。
なまじ何度襲っても隼人が事前に察知して危地を避け続けていたので、龍田組組員の行動がエスカレーションしてきていた。
「……隼人君」
剣道を嗜み強気な一面を保つ沙也香だが、やはり女の子。さすがに心細そうに体を震わせた。
「……このままじゃいけない」
追いつめられつつある自分たち。これまでは何とか沙也香を護ってこられた隼人。しかしいつまで保つのか?
方法が分からないが現状を打破しなくてはいけない。もう沙也香を危険な目には遭わせてはいけないと隼人は決心をした。
3
背の高い書棚には分厚い本。経済学や経営学、いかにも難しそうな書物。日本語ばかりではなく外国語の書物も多い。
分厚い一枚板の木のテーブル。少し暗い室内には一人の紳士、沙也香の父親。ここは篠宮沙也香の父親の書斎だった。
「また君たちか?私の考えは変わらないよ」
重い溜息を漏らし、組んだ指の甲の上に沙也香の父親は顎をのせた。
「お父さま南さんの言うことを聞いてください」
「あなたは沙也香の父親として本当に娘のことを考えているのですか?」
再度篠宮の家を訪れた隼人たちは改めて沙也香の父親と対面していた。
「父親だ。当然考えている」
不快そうに沙也香の父親は若僧としか思えない隼人の顔を見返す。
「ならばあなたが娘の結婚相手に選んだ男が何をしているか知っていますか?」
テーブルを囲んで立つ五人の一人清彦が低く漏らす。
「山上さんが何かしたのかな?」
「あいつはおいらたちに危害を加えようとしているッすよ」
精二が何も知らないらしく落ち着いた態度の沙也香の父親に真実をぶつける。
「馬鹿な。山上さんは沙也香のことを大切に思っているはずだ」
沙也香の父親の眉がピクッと震えた。表情が険しくなる。
「何も知らないの。あのゲスは配下の暴力団を使って車をぶつけてきたり犬をけしかけてきたり、色々とやってきてるの」
アスカが低く鼻を鳴らす。娘の窮状もその相手として選んだ男の行状も知らない。目には軽蔑の色が浮かんでいた。
「今はまだいい。ですが、いずれけが人、下手をしたら死人が出ますよ」
隼人は沙也香の父親の顔を見据えた。
「私も何度も危ない目にあった。隼人君が護ってくれなかったら今頃は大けがをしていたかもしれない」
沙也香は拳を固く握りしめ父親に訴える。
「山上さんは本当に知っているのか。配下の者が暴走しているのかもしれない」
娘の真摯な言葉。山上の行動に疑念を感じたのか。沙也香の父親の視線はテーブルを這っていた。
「そんなことはない。あれだけ何度も動いている配下の行動に気がつかないはずがない」
憤りを隠さぬまま隼人が低く言う。
一人二人ならともかくほぼ全員が重ならないよう動いているのだ。誰かがちゃんと計画を立てて動いていた。
上の人間が知らないはずがなかった。
「仮にそうだとしたら本人の管理能力が極端に低いと言うことで、いずれにしても沙也香さんの結婚相手として不適格です」 隼人の言葉を受け清彦が冷静に切って捨てる。
「おいらたちは山上親子に直談判したいんだッす。このままじゃ落ち着いて高校にも行けないッす」
「でもさすがに直接向こうの会社に乗り込むのは危険すぎるので、話し合いの場を用意していただけません?」
沙也香の苛立ちと恐怖は頂点に達しようとしていた。隼人たちだって正直怖い。特に山上の花嫁という最後の砦がないアスカは何をされるものか?
一か八か。虎穴にいらずんば虎児を得ず。安心を得るためには思いきったことをするしかないというのが隼人たちの結論だった。
「分かった手配をしよう。いくら何でもそれが事実だっらひどい」
ついに沙也香の父親は折れた。明らかに気乗りはしていなかったが娘に対する愛情が山上親子との関係を上回ったのだろう。
「でもなぜそこまで山上との関係が大切だったんです?会社だって順調らしいし、大切な娘を何もあんな親父にくれてやることないのに。何ならあたしにください、なんちゃって?」
久方ぶりのレズっ娘発言。すっかり調子を取り戻したアスカは、疑問を沙也香の父親に聞いてみた。
それは誰もが気になっていたことでもあった。
「おいらもそう思うッす。いくら大切な取引先でも息子ならともかくおやっさんとは」
同調した精二も大きく頷く。
「君たちが知らないのも当然だが、企業グループや暴力団というのは隠れ蓑。山上親子はある特殊な教団の主宰者なんだ」
沙也香の父親の口から核心部分が漏れだしてきた。
「教団って宗教関係ですか?野々宮グループは知りませんでしたが」
不思議そうに清彦が首を傾げる。大金持ちである清彦の実家、野々宮家は雑多な宗教関係者が多々訪れていた。
目的は寄付や献金、喜捨。言葉は違っても中身は同じ。しかし山上親子がそういった目的で野々宮家を訪れたことはない。
少しくらいならその手の話を匂わせてもいいのに。
「普通の教団じゃない。特殊な血の関係を大切にするきわめて閉鎖的な教団だ。篠宮家もその古い血が流れているらしい。特に沙也香の血は貴重なものだと言っていた。彼らの中では神にも匹敵する血の持ち主らしい。実は血の盟友と言うことで、篠宮家も昔から何度も助けてもらっていた。今度の結婚も実際には今の教祖である息子に嫁ぐはずだった。しかし教祖の妻帯は許されていないので、名目として父親の名で迎え入れると」
意外な事情が沙也香の父親の口から語られた。聞いていた沙也香や隼人も驚きの色が隠せない。
「それでもあんな汚い手をした人は嫌いです。欲しいからと言って人にはやっていけないことがあります」
父親の顔を見ながら沙也香は断言をする。山上龍司の酷薄そうな瞳を思い出す。嫌悪感に身震いをした。
「しかし秘密の教団なんッすよね。部外者のおいらたちに言ってしまっていいッすか?」
精二が考え込む。
「言っていい訳がなかろう。困ったことをしてくれましたね篠宮さん」
突然粘っこい声が書斎の扉から流れ込んできた。背の低い中年男、山上龍彦が書斎内に入ってきた。
「申し訳ないがちょっとした事情があって勝手に入らせてもらいました。屋敷の者とてあまり信用しない方がいいでしょう」
続いてた津田組の組員を連れた山上龍司が入ってくる。
「いくら何でも無礼でしょう。人の屋敷に」
沙也香の父親が山上一派に厳しい視線を向けた。
「そちらこそ今まで教団に何回も助けてもらったはず。その相手を子供の戯れ言で裏切るのは感心しませんな」
悪びれることなく山上龍彦が言う。
「我々古き血の者の教団は信奉者を大切にする。その分そちらもそれなりの誠意は必要でしょう」
山上龍司は父親と並び立ち冷たい視線で沙也香の父親と隼人たちを見つめる。
「何が誠意だ。その信奉者に黙って裏でこそこそと。自分たちにないものを人に要求するんじゃない」
言葉で何を言おうと実際には女相手に卑劣な脅しをかけてきただけ。隼人は固い表情で吐き捨てた。
「しかしいかにもな名前なのね。何が古き血の者よ。変なゲームでもやりすぎて脳が膿んでいるんじゃないの?」
隼人の脇によると沙也香がいかにも嫌そうに眉をひそめる。
「それどころじゃないッす。龍田組の組員ッす」
「全員固まれ。女の子を内側に」
精二と清彦が叫んだ。書斎の扉から十人ほどの男たちが姿を見せたのだ。
「警察を呼んで。家宅侵入よ。もう完全な犯罪行為だわ」
男の後ろに隠れながらアスカが必死に叫んだ。これはもう高校生の手に負える事態ではなかった。
「沙也香さまは貴重な血の持ち主。素直に嫁にきてれば何もなかったのに」
「恨むのなら自分たちの頑固さを恨むんだな」
組員たちは酷薄に笑う。
「駄目だ。警報機が通じない」
山上一派と隼人たちを交互にみていた沙也香の父親が低く漏らす。
「非常用の緊急警報装置に何の反応もない」
警備会社ではなく直接警察に。篠宮家のような資産家ならではの警報装置。改めて沙也香の父親が繰り返す。
「お父さま。お父さまも私たちと一緒に」
「分かった、しかしまさか?」
沙也香は父親の手を引くと、自分たちと合流させる。まだ沙也香の父親は山上たちの暴挙が信じられない様子だったが、大人しく娘に従う。
「この屋敷にも古き血の者の信者はいる。情報は筒抜けさ」
山上の父親が低く笑った。小柄で太った体が妙に嫌らしい。
「可愛がってやれ。ただし沙也香嬢には絶対に手を出すな」
息子の腕が上がり隼人たちを指さす。
「ちょっと痛い目を見てもらうぜ」
「これも教祖さまの御威光に逆らうお前たちが悪いんだ」
龍田組の組員。今は古き血の者の教団員たちが一斉に動き出す。
「仕方がない。こうなったら応戦してやる」
「おいらたち現役高校生の体力を見せてやるッす」
「固まって戦うんだ。相手の数が多い。囲まれたら終わりだぞ」
隼人、精二、清彦は半円形を組み教団員との戦いに入った。
「このガキが、死にさらせ!」
顔中を口にし大声で喚きながら、半分とはいえ宗教の教団員とは思えない勢いで男、隼人の知っているバットを投げつけた男が襲いかかってきた。
「沙也香の恐怖を思い知れ!」
相手は暴力団員、喧嘩のプロだが隼人だって剣道の有段者、単なる素人ではなかった。
ウオっ!と叫びながら振り下ろしてくる拳も有段者の放つ上段からみるとハエのとまるようなスピードでしかない。
「遅いんだよ!」
右の拳をストレートに打ち抜き男の顔面にぶち当てる。鼻血を吹きガハッ!と呻きつつ後ろに吹き飛ぶ。
「おいらは強いッすよ!」
「来るんじゃない!」
精二は野球部、当然だが体は鍛えている。生徒会活動に忙しい清彦はよく分からない。しかし自分で体を動かしているのか、見る限りは動きはいい。
なんとか陣形は保っていた。




