新しい日
朝は、いつも唐突にやってくる。
何の前触れもなく、ただ当たり前のように。
カイは、ゆっくりと目を開けた。
見慣れた天井が視界に入る。小さなアパート、変わらない景色。
目覚ましは鳴っていない。スマホにも通知はない。
薄いカーテンの隙間から、夏の光だけが差し込んでいた。
「……また朝か」
小さく呟き、カイはしばらく布団の上で動かずにいた。
その後、簡単に顔を洗い、着替えを済ませると、アパートの外に出る。
朝の空気はまだ少しだけ涼しく、肺いっぱいに吸い込むと頭が少し軽くなった。
――その時だった。
アパートの前を歩いていく、一人の女性の姿が目に入る。
手には空の買い物袋。どこかへ出かけるところらしい。
同時に、彼女もカイの方を見た。
視線が合う。
「……あ」
「……あ」
お互い、思わず声が漏れる。
数秒の沈黙。少し気まずいが、不思議と嫌な感じはしなかった。
先に視線を外したのはカイだった。
小さく息を整え、歩み寄る。
「おはようございます、直原さん」
ミサキはふわりと笑った。
柔らかくて、自然な笑顔だった。
「おはよう、カイくん。今起きたところ?」
「はい……まあ、そんな感じです」
また沈黙。
カイは居心地の悪さを感じ、無意識に足の位置を変える。
――人と話すのは苦手だ。
ましてや、自分から話題を振るなんて、ほとんどない。
頭が真っ白になる。
なのに、口の方が先に動いた。
「……どこか、行くんですか?」
言った瞬間、後悔が押し寄せる。
(何でそんなこと聞いたんだ……)
(変じゃないか?距離感おかしくないか?)
だが、ミサキは気にした様子もなく答えた。
「これからお店に行くの。材料を買いにね」
「材料……?」
「うん。昨日、あなたの職場で食べた甘いもの、あれを自分でも作ってみたくて」
「あ……」
カイは小さく頷き、少し考えてから言った。
「……じゃあ、僕も一緒に行っていいですか。飲み物も買いたくて」
一瞬驚いたような顔をした後、ミサキは嬉しそうに微笑んだ。
「ええ、もちろん。一緒に行きましょう」
二人は並んで歩き出す。
急ぐこともなく、ゆっくりとした足取りで。
道すがら、ミサキは作りたいお菓子の話をしていた。
カイはそれを聞きながら、時々短く相槌を打つだけ。
話すより、聞いている方が楽だった。
店に着くと、ミサキは真剣な表情で材料を選び始める。
小麦粉、砂糖、新鮮な果物。
カイはその横顔を見ながら、
こんな何でもない時間が、なぜか心地いいと感じていた。
一方で、カイは飲み物売り場へ。
いくつか手に取っては戻し、財布の中身を確認する。
「……最悪だな」
結局、レジに持って行ったのは二本だけだった。
支払いを終え、入口で待っていると、
ミサキが両手に袋を下げてやって来た。
「待たせちゃって、ごめんなさい」
「いえ、大丈夫です」
外に出ると、日差しはすっかり強くなっていた。
カイは自然な動きで、ミサキの荷物を持つ。
「僕が持ちます」
「……ありがとう」
暑さに耐えきれず、二人は近くの小さな公園で休むことにした。
ベンチに座り、カイは一本の飲み物を差し出す。
「どうぞ」
「え……ありがとう」
無言で飲み物を口にする。
風が吹き、少しだけ暑さが和らいだ。
その後、二人はミサキの家へ向かった。
「どうぞ、入って。色々手伝ってもらったし」
一瞬迷った後、カイは家に入る。
部屋は整っていて、どこか落ち着く雰囲気だった。
キッチンで料理を始めるミサキを、カイが手伝う。
「これ、どれくらい切れば……?」
「もう少し小さくかな」
「……難しい」
ミサキは小さく笑った。
やがて、お菓子が完成し、二人でテーブルを囲む。
「……美味しい」
カイの素直な一言に、ミサキは照れたように視線を逸らす。
「大げさよ……」
会話は、いつの間にか自然になっていた。
しばらくして、ミサキがぽつりと言う。
「夏休みが終わったらね、仕事を始めるの」
「仕事?」
「うん。非常勤だけど、先生として採用されたの」
カイは目を見開き、すぐに微笑んだ。
「すごいですね」
「ありがとう」
さらに話は続き、やがてミサキが切り出す。
「ねえ、カイくん。明日、この辺で小さな夏祭りがあるんだけど……よかったら一緒に行かない?」
少しの沈黙の後、カイは頷いた。
「……行きます」
ミサキは、分かりやすく嬉しそうだった。
――その夜。
ベッドに横になったカイのスマホが震える。
> 「明日、祭り行こうぜ。夏なのに一人とか無理」
「……はあ」
> 「分かったよ」
少しして、ミサキのことを思い出す。
> 「あ、先約あった。三人でもいい?」
返事はすぐに来た。
> 「全然OK。人多い方が楽しいし」
「……助かった」
夜、バイト先で。
店が落ち着いた頃、ミサキが入ってくる。
「直原さん?」
「こんばんは。今日は別のを試したくて」
「……常連ですね」
カイは軽く笑う。
「冗談よ」
「甘いもの、もっと勉強したくて」
「直原さんの作るもの、全部美味しいですよ。明日も楽しみです」
その後、少し話し、ミサキは帰っていった。
同僚がからかうように言う。
「彼女?美人じゃん」
「違います」
「……でも、可能性は?」
「……知らないです」
一日が終わり、
カイは自分でも分からない感情を抱えたまま、家路についた。




