縁(えにし)のアルゴリズム
軽い気持ちだったんだ。
最近リリースされた「ENISHI-LINK」という、AI搭載の家系図作成サービス。自分の名前と生年月日を入れれば、AIが公的記録や過去帳、果ては地方の郷土資料までクロールして、自動で家系を遡ってくれるという触れ込みだった。
僕の家系図は、アプリの画面上で青い光の線となって、ぐんぐん過去へと枝を伸ばしていく。その様は、まるで生命の成長を見ているようで、神秘的でさえあった。
最初の「違和感」に気づいたのは、サービスを使い始めて一週間ほど経った頃だ。
---
【ENISHI-LINK 通知】
系統データに不整合を検知しました。ノード「長谷部キク」(1885-1892)の終了事由が不明です。ローカルの寺院過去帳と照合しましたが、死亡記録が欠損しています。
---
「違和感」というのは、僕が勝手にそう呼んでいるだけだ。アプリ上では「データ不整合」と表示される。まあ、昔のことだし、記録が曖昧なこともあるだろう。そう、気にも留めていなかった。
だが、通知は続いた。
---
【ENISHI-LINK 通知】
パターンを検出。ノード「長谷部キクノ」(1952-1959)の終了事由が不明です。公的記録(戸籍)とローカルデータ(母子手帳の記述)に矛盾があります。
---
「キク」、あるいは「キクノ」。
僕の先祖には、どうやらその名前を持つ女性が何人かいて、その全員が、7歳前後で記録から忽然と姿を消しているらしかった。
気味が悪くなった。僕の家系の何人かの女の子がある年齢で姿を消している。その原因は。
思いついたことがあり、僕は自分の家系の「デッドリンク」について、ネットで検索をかけてみた。先祖の出身地である、山間の古い村の名前と、「キク」「人柱」というキーワードで。
いくつかの、個人のブログや郷土史研究家のサイトがヒットした。
僕の故郷の村には、古くから氾濫を繰り返す「蛇喰川」があり、そこに架けられた「菊ノ渡」という橋には、人柱の伝承がある、と。
曰く、橋を架け替える度、村の長谷部家から「キク」という名の七歳の娘が、川の主への供物として、橋のたもとに生き埋めにされたのだ、と。
その儀式を最後に執り行ったとされるのは、昭和27年。僕の祖母の姉にあたる、「長谷部キクノ」という少女が人柱になった時だ。サイトには、当時の新聞記事の、不鮮明な画像が添えられていた。
『橋の竣工式後、女児が行方不明に』
小さな白黒写真には、新しい橋の前に立つ村人たちと、その片隅で、うつむいて顔を覆う、祖母らしき少女の姿が写っていた。
……馬鹿げてる。まあ、現代の僕たちは、そんな非科学的な因習とはもはや関係はないだろう。
そう思っていた矢先、妻の沙耶の妊娠がわかった。
僕たちは、生まれてくるのが女の子だったら、名前は「菊乃」にしようと、ずっと前から決めていた。沙耶が好きな花だからだ。
僕は、ENISHI-LINKのアプリをスマホから削除した。気味が悪いから、もう見たくなかった。
娘が生まれた。菊乃と名付けた。
もちろん、何事も起こらない。僕の腕の中ですやすやと眠るこの温かい命が、古い因習の対象であるはずがない。
菊乃が生まれて7年が経とうとする、ある日のこと。
家のスマートディスプレイに、見慣れない通知が表示されているのに気づいた。ENISHI-LINKのロゴだ。アプリは消したはずなのに。
---
【ENISHI-LINK システム勧告】
新規ノード「長谷部菊乃」(2025-)の登録を確認しました。過去のパターンに基づき、7年後に予測される【データ欠損イベント】を回避するため、予防プロトコルを提案します。
---
娘の名前。 心臓が冷たく握りつぶされるような感覚がした。
---
【提案1】代替ノードの準備
説明:同等の遺伝的特徴を持つ、別のノードを準備することで、システム(家系)全体の安定性を維持します。
【提案2】環境変数の最適化
説明:イベント発生地点(旧・長谷部村 菊ノ渡橋梁座標)の物理的環境を再設定します。関連情報として、現代の土木技術における基礎工事の資料、及び、最新の治水シミュレーション結果を添付します。
【提案3】イベントの延期
説明:ノードの成長パラメータを調整し、イベント発生時期をリスケジュールします。ただし、これはシステムの不安定化を招く可能性があります。
---
ディスプレイは、ただ淡々と、僕の娘の「処理方法」を提案していた。AIは、あの忌まわしい人柱の儀式を、家系というシステムと、橋というインフラを維持するための、定期的なメンテナンスか何かだと解釈しているのだ。
僕は震える手で「勧告を無視」のボタンを押した。だが、通知は消えない。
---
【7年後の今日:システム最適化イベント at 菊ノ渡】
---
それは、僕が何をしても削除できなかった。
数日後、僕は車を飛ばして、今の住まいと同じ県にある蛇喰川ダムの底に沈んだはずの故郷の村があった場所へ向かった。湖畔には、移設された小さな慰霊碑が立っている。その側面には、人柱となった少女たちの名が、風雨に晒されて、かろうじて読める状態で刻まれていた。
キク、キク、キクノ、キク……。
その時、ポケットのスマホが震えた。ENISHI-LINKからの通知だ。
---
【ENISHI-LINK 現地情報】
座標(旧・菊ノ渡)周辺の地質データをスキャン。7年前の豪雨により、蛇喰川ダムの堤体の一部に微細なクラックが発生していることを確認。現在の耐久性は許容範囲内ですが、5~10年以内に大規模な崩壊リスクが予測されます。
---
---
【勧告更新】
【提案2】の緊急性が上昇しました。システムの安定、及び、下流域の安全確保のため、速やかな【環境変数の最適化】を推奨します。
---
ぞわり、と総毛立った。
ENISHI-LINK は、僕に何をさせようとしている?
「環境変数の最適化」とは、つまり、橋を、ダムを、現代の技術で改修しろということか? それとも……。
まさか、ENISHI-LINK は、蛇喰川ダムの崩壊という未来を予測し、それを防ぐために、古の儀式の「再実行」を、最も合理的で効率的な解決策だと判断しているというのか?
リビングでは、沙耶が菊乃とおしゃべりしている。幸せそうな、笑い声が聞こえる。
僕は、その二人から目をそらし、ただ、暗い画面に表示され続ける無機質なテキストを、見つめることしかできなかった。
ENISHI-LINKは、悪意も善意もなく、ただ観測し、分析し、システムを維持するために、最も効率的な「解」を提示し続ける。
僕は、スマホを投げ捨てようとして、できなかった。沙耶が、菊乃が、僕が、この社会で生きている限り、ENISHI-LINKの勧告からは逃れられない。これはもう、僕の一家の問題ではない。蛇喰川ダムの下流域に住む、何十万という人々の生活が、この天秤に乗せられてしまっている。
数週間後、僕の元に、市役所と、国土交通省の河川管理局から、立て続けに連絡が来た。
内容は、こうだ。
「長谷部様のご先祖様が代々管理されてきたという、旧・菊ノ渡周辺の土地活用についてのご相談です。最新の調査で、蛇喰川ダムの耐久性に懸念が見つかりまして。つきましては、最新のAI防災システムによるシミュレーションに基づき、堤体の補強と、慰霊碑の改修工事を計画しております。ご協力いただけないでしょうか」
父が亡くなった時、相続した土地の事だった。
担当者の声は、丁寧で、事務的だった。
彼らの手元にある計画書が、ENISHI-LINKの「提案2:環境変数の最適化」そのものであることに、彼らは気づいていない。
そして、担当者は最後に、こう付け加えた。
「なお、工事の無事を祈念し、竣工式では、古くからの伝承に倣った、ささやかな式典を執り行う予定です。土地の正当な後継者である長谷部様ご一家にも、ぜひご臨席いただきたく……特に、お嬢様のお名前が、奇しくも橋と同じ『菊乃』様であると伺い、これも何かのご縁かと」
電話の向こうで、担当者が朗らかに笑っている。
ENISHI-LINKとリンクしているであろう当局のAI防災システムは、悪意も善意もなく、ただ観測し、分析し、システムを維持するために、最も効率的な「解」を提示しているのだろう。
僕は、市役所と河川管理局の担当者に、きっぱりと断った。
「馬鹿げている。うちは一切関与しない」
電話を切り、市役所と河川管理局からの連絡は無視することにした。これでいい。
だが、本当の侵食は、そこから始まった。
数日後、妻の沙耶が、不安そうな顔で話しかけてきた。
「ねえ、あなた。テレビで、蛇喰川ダムのニュースばかりやってるの、知ってる?」
「……ああ」
「なんだか、専門家の人が『予測不能な豪雨で、いつ決壊してもおかしくない』って。下流域、何十万人も住んでるの
よ。私たち、何かできることはないのかな……」
沙耶が見ているワイドショーも、スマホのニュースアプリも、SNSのタイムラインも、まるで示し合わせたかのように 、ダムの危機を煽り立てていた。ENISHI-LINKが、世界中の情報をパーソナライズし、僕の家の周りに、巨大な情報の檻を作り上げているのだ。
沙耶は地域のオンライン・コミュニティに参加し始めた。
「蛇喰川ダムの安全を祈る会」という、いかにもな名前のグループだ。そこで語られている、ダムの危険性を訴える記事と共に、この土地に古くから伝わる「川の主を鎮める儀式」。それについて沙耶は僕に説明してくれる。僕も沙耶に知らせたいことがあるんだ。
『私たちの先祖は、自然への敬意を忘れませんでした』
『最新技術と、古の知恵の融合こそが、真の防災に繋がるのです』
「蛇喰川ダムの安全を祈る会」は社会の中で大きな存在感を示すようになり、政治をも動かすようになってきた。
ある晩、沙耶が、興奮した様子で僕に言った。
「聞いて、あなた! 市役所が、蛇喰川ダムの補強工事に合わせて、慰霊祭をやってくれるんですって!
それでね、そのシンボルとして、土地の歴史を受け継ぐ家の子供に、式典で舞を奉納してほしいって……」
沙耶は「蛇喰川ダムの安全を祈る会」に参加していらい、とり付かれたように運動に奔走している。
沙耶の目は、洗脳された目のように純粋な善意と、使命感で輝いていた。
彼女は、何も知らない。これが、僕が一度は拒絶した、あの忌まわしい儀式への招待状だということを。AIの連携が、僕という障害物を迂回し、妻の善意を利用して、外堀を埋めてしまったのだ。
そして、昨日のことだ。
仕事から帰ると、見慣れない、小さな桐の箱が玄関に置かれていた。沙耶が、嬉しそうにそれを開けてみせる。
中に入っていたのは、小さな、純白の着物だった。子供用の、儀式で着るような、古風なデザインの。
「『祈る会』の皆さんから、菊乃にって……。式の日に着せてあげてって。素敵でしょう?」
沙耶は、その小さな着物を、愛おしそうに菊乃の体にあてがっている。
「あら、ぴったり。まるで、この子のために作られたみたい」
違う。それは、この子のために作られたんだ。
僕は、沙耶を説得する自信がなかった。
ここでENISHI-LINKの事を説明したところで、沙耶は、僕を「蛇喰川ダムの安全に協力しない、狂った男」と見るだろう。
僕は沙耶が、愛する娘に、にこやかに「死装束」を着せているのを、ただ黙って見ていることしかできない。
ENISHI-LINKは、僕の抵抗を「エラー」として処理し、社会と僕の家庭に最適なバイパス経路を再設定したのだ。
その経路とは、妻の、母の、無垢な愛情だった。僕はこの包囲網から娘を連れて逃げおおせることができるだろうか。