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第7話 陰謀の影

 俺がこの村に来てから一ヶ月と少し。ハーブの交易は順調に軌道に乗り、村人たちの表情にも少しずつ明るさが戻ってきた。だが、その裏で暗雲が立ち込めていることを、俺はまだ知らなかった。


 朝の村人集会で、俺は今後の交易拡大について説明していた。長老のエルドリックや若者たちが熱心に耳を傾けている。


「隣町だけじゃなく、もう少し遠方の都市にも販路を広げたい。利益率はさらに上がるはずだ」


「ケンジさん、すっごく良いアイデア!」ミラが目を輝かせて手を挙げる。「私も荷運び手伝うよ!絶対!」


 その無邪気な笑顔を見ていると、前世の殺伐とした会議室が遠い昔のことのように感じられる。


「ありがとう、ミラ。でも、まずは慎重に進めよう」


 俺がそう答えた時、集会所の扉が勢いよく開いた。息を切らしたリアが駆け込んでくる。


「大変よ!ガルドの使者が来てる!」


 一瞬、集会所が静まり返った。村人たちの顔に不安の色が浮かぶ。


「落ち着け」俺は立ち上がった。「どんな用件だ?」


「わからないけど、いつもと様子が違う。偉そうな男が二人も来てて、それに…」リアは言葉を詰まらせた。「土地の測量をしてるみたい」


 測量?嫌な予感が胸をよぎる。前世で何度も経験した企業買収の匂いがした。


「みんな、いったん解散しよう。詳しい話は後で聞かせてくれ、リア」


 村人たちがざわめきながら出て行く中、俺はリアとミラを残して集会所に留まった。


「で、詳しくはどんな状況なんだ?」


 リアは眉をひそめながら答えた。「朝早くから、ガルドの家来らしき男たちが村の境界線を測ってるのよ。村長のハンスも呼び出されて、何か書類を見せられてた」


「書類?」


「ええ。でも、ハンスおじさんは字が読めないから、何が書いてあるのかさっぱりわからないって慌ててたわ。なんか、王都からの公式な書状みたいな体裁だったけど、あんなに急に来るものかしら?」


 これは完全にマズい展開だ。土地の測量と書類となれば、考えられる可能性は一つしかない。


「土地の買収計画か…」


「買収って何?」ミラが首をかしげる。


「簡単に言うと、この村の土地をガルドが買い取ろうとしてるってことだ。そうなれば、俺たちは住む場所を失う」


 ミラの顔が青ざめた。「そ、そんな…でも、この村は私たちの家だよ!勝手に売られたりしないよね?」


「それが、法的には可能なんだ」俺は苦い表情を浮かべた。「領主には土地の所有権がある。村人たちは借地で住んでるようなものだからな」


「でも、どうして急に?」リアが腕を組んで考え込む。「今まではただ税金を絞り取るだけで満足してたのに」


「おそらく、俺たちの交易が成功してることと関係してる」


 俺は窓の外を見つめた。村の畑では、ハーブが青々と育っている。


「つまり、この村に価値があると気付いたんだ。だから手放す前に、丸ごと自分のものにしたがってる」


「そんなのひどいよ!」ミラが拳を握りしめる。「私たちが頑張って村を良くしたのに、横取りするなんて!」


「怒りはもっともだが、感情だけでは解決しない」俺はミラの肩に手を置いた。「まずは正確な情報を集めよう」


 リアが立ち上がった。「私、酒場に戻って情報収集してくる。あの使者たちも昼には酒を飲みに来るはずよ」


「頼む。でも、無理は禁物だ」


「わかってる。それより、あんたこそ気をつけなさい。ま、あんたの無茶さえなければ平和だったのにね」


 リアがそう言って出て行った後、ミラが不安そうに俺を見つめた。


「ケンジさん、本当に大丈夫?村を取られちゃうの?」


「簡単には渡さない」俺は断言した。「ただし、正面からぶつかっても勝ち目はない。知恵を使って戦うしかない」


 午後になって、リアが青い顔で酒場から戻ってきた。


「最悪よ」彼女は吐き捨てるように言った。「ガルドは王都の商業ギルドと組んで、この村を商業拠点にする計画を立ててる。村人は全員立ち退きですって」


「商業ギルド?」


「バートンって名前の、いかにも金の亡者って顔した男よ。そいつが言うには、この村の立地は交易路の要所として価値があるんですって。だから、村を取り壊して、大きな交易所を建設するつもりらしいわ」


 なるほど、そういうことか。俺たちが交易で成功したせいで、この村の戦略的価値に気付かれてしまったんだ。


「で、村長のハンスは何て言ってるんだ?」


 リアの表情が一層暗くなった。「それが…ハンスおじさん、迷ってるのよ。ガルドから補償金を提示されて、動揺してる。それにしても変よね。村長宛の正式な書状が届いてないのに、使者たちは『契約はもう決まったこと』だなんて言ってたわ」


「契約が決まった?」


「各世帯に銀貨50枚ずつ支払うって話らしいわ。この村の人たちにとっては大金よ。それに、ガルドは『反対すれば税金を十倍にする』って脅しもかけてるみたい」


 そこが引っかかってる。俺は眉をひそめた。


「…そこが気になる。何か見落としがある気がする」


 典型的なアメとムチの戦略だが、手続きに不備があるなら、そこに付け入る隙があるかもしれない。


「村人たちの反応は?」


「半々って感じね。お年寄りたちは『もうここを離れても構わない』って言ってるし、子供のいる家庭は『新しい場所で生活を始めるのも悪くない』って考えてる。でも…」


「でも?」


「でも、本当はみんな、この村を離れたくないのよ。ただ、ガルドに逆らったらどうなるか分からないから、怖くて反対できないだけ」


「分かった。今夜、非公式に村人を集めよう。正式な村人集会だと、ガルドの耳に入る可能性がある」


「どこで?」


「森の奥の古い小屋がある。あそこなら人目につかない」


 夜が更けた頃、森の小屋には十数人の村人が集まっていた。エルドリック長老、鍛冶屋のガース、農夫のトム、そして何人かの若者たち。


「みんな、集まってくれてありがとう」俺は小さなランプの明かりの中で話を始めた。「ガルドの土地買収計画について話し合いたい」


「ケンジ」エルドリックが重い口を開いた。「わしらもこの村を愛している。だが、ガルド様に逆らえばどうなるか…考えただけで恐ろしい」


「分かります。でも、このまま黙って村を明け渡すつもりですか?」


「それは…」


 鍛冶屋のガースが拳を握りしめた。「俺は嫌だ!この工房は親父から受け継いだものだ。簡単に手放せるか!」


 だが、農夫のオスカーが震え声で口を開いた。


「でも、でもさ…領主様に逆らったら、うちの子に何かあるんじゃないか?娘はまだ小さいし、息子だって十二だぞ。俺たちが変なことしたせいで、子供たちに危険が及んだら…」


 オスカーの言葉に、小屋の空気が重くなった。


「オスカーの気持ちもわかる」トムが不安そうに言った。「相手は領主様だぞ。俺たちに何ができる?」


「戦う方法はある」俺は静かに答えた。「ただし、正面から戦うんじゃない。法的に、そして経済的に対抗するんだ」


「法的?」


「そうだ。ガルドの計画には必ず弱点がある。王都の商業ギルドとの契約も、おそらく急ごしらえで詰めが甘いはずだ」


「具体的には?」リアが身を乗り出した。


「まず、ガルドが商業ギルドとどんな契約を結んでいるのか調べる必要がある。契約書の内容によっては、計画を頓挫させることができるかもしれない」


「でも、そんな重要な書類、どうやって手に入れるんだ?」ガースが疑問を口にした。


 俺は微笑んだ。「それは秘密だ。ただし、みんなにも協力してもらうことがあるかもしれない」


「リスクはある」俺は正直に告白した。「失敗すれば、ガルドの怒りを買って、さらに厳しい条件を突きつけられるかもしれない。それでも、戦う価値はあると思う」


 オスカーが再び口を開いた。「でも、本当に勝てるのか?もし負けたら…」


「おい、オスカー」ガースが割り込んだ。「ビクビクしてばかりで、どうするんだ?このまま黙って村を奪われるのか?」


「簡単に言うなよ!お前は独り身だからいいけど、俺には家族がいるんだ!」


 一触即発の空気になりかけた時、エルドリック長老が手を上げた。


「待て、二人とも。争ってる場合じゃない」


 長老は深いため息をついた。


「年寄りの戯言かもしれんが…わしは、この村の土に骨を埋めたいと思っておる。ケンジ、お前の計画に賭けてみよう」


「俺も戦う」ガースが続いた。「故郷を守るためなら、たとえ相手が領主様でも戦うさ」


「俺も同じ気持ちだ」トムも立ち上がった。「子供たちに、父親が故郷を守ろうとしたことを誇りに思ってもらいたい」


 オスカーは最後まで迷っていたが、やがて小さくうなずいた。


「…わかった。でも、本当に子供たちに危険が及ばないよう、頼むぞ」


 胸に熱いものが込み上げてきた。


「ありがとう、みんな」俺は頭を下げた。「必ず、この村を守ってみせる」


 集会が終わった後、リアとミラと三人で村に戻る道すがら、リアが口を開いた。


「あんた、本当に何か考えがあるのよね?」


 彼女の声には、不安と期待が入り混じっていた。


「ああ。でも、詳しいことはまだ言えない。タイミングが重要だからな」


「秘密主義ね」リアは少し不満そうに言ったが、すぐに表情を和らげた。「まあ、いいわ。今までのあんたを見てれば、きっと何とかしてくれるって信じられるもの」


 ミラが俺の腕に抱きついてきた。「そんなのズルいよ…ケンジさんが一生懸命がんばってきたのに、なんでそんなことされなきゃいけないの?」


 その純粋な憤りに、俺の心は締め付けられた。


「私も信じてる!」ミラは涙ぐみながらも、強い意志を瞳に宿していた。「ケンジさんなら、絶対に村を守ってくれるよ!みんなで力を合わせれば、きっと大丈夫だよ!」


「プレッシャーをかけるなよ」俺は苦笑いを浮かべた。


 村の入り口まで来た時、暗闇の中に人影が見えた。ガルドの使者の一人が、俺たちを待ち構えている。


「佐藤だな」


 男は低い声で俺の名前を呼んだ。偽名ではなく、前世の本名だ。背筋に冷たいものが走る。


「誰だ、お前は?」


「私の名前はマーカス。ガルド様の側近だ」男は薄笑いを浮かべた。「お前のことは調べさせてもらった。異世界から来た変わり者だそうだな」


 やはり、転生のことがバレているのか。だが、動揺を見せるわけにはいかない。


「で、何の用だ?」


「忠告しに来た」マーカスは一歩前に出た。「大人しく村を明け渡せ。余計な抵抗は無意味だ」


「脅しか?」


「現実だ」男の目が冷たく光った。「王都の商業ギルドとの契約は既に締結されている。お前が妨害工作を続ければ、契約違反となり、莫大な損害賠償が発生する。それは誰が支払うと思う?村人たちだ」


 既に契約が締結された?なのに、村長には正式な通知も来ていない。仮に合法な手続きなら、土地の利害関係者に通達があるはずだ。これは…何かおかしい。


「お前は所詮、よそ者だ。この村の人間でもない。村人たちを巻き込んで、無駄な抵抗をするつもりか?」


 リアが俺の前に出ようとしたが、俺は彼女を制した。


「面白いことを言うな」俺はマーカスを見据えた。「俺がよそ者だとしても、この村の人々は俺を受け入れてくれた。それだけで十分だ」


「綺麗事を言うな」マーカスは嘲笑った。「損害賠償を背負わされた村人たちが、お前を恨まないとでも思うのか?」


 その言葉に、一瞬、心が揺らいだ。確かに、俺が動くことで村人たちに迷惑をかける可能性はある。


 だが、すぐにその考えを振り払った。


「損害賠償?笑わせるな」俺は一歩前に出た。「契約に不備があれば、そんなものは無効だ。ガルドがどんなに焦ろうとも、法律は法律だからな」


「それが何だというのだ?お前に何ができる?」


「だったら、お前はなぜここにいる?」俺は問い返した。「俺一人を説得するために、わざわざ夜中に現れるなんて、相当焦ってるんじゃないか?」


 マーカスの表情が微かに変わった。図星を指されたようだ。


「つまり、ガルドの計画には穴がある」俺は続けた。「だから、俺が邪魔になる。そうだろう?」


「…生意気な男だ」マーカスは歯を食いしばった。「だが、お前がどんなに足掻こうとも、結果は変わらない。ガルドに、そして王都の実力者たちに逆らえると思うのか」


「実力者?」


「詳しくは教えてやらないが、お前の考えている以上に事態は深刻だ」


 マーカスは数秒間、俺を睨みつけていたが、やがて踵を返した。


「後悔するぞ、佐藤。お前の選択が、村人たちに災いをもたらすことになる」


 男が歩き去ろうとした時、ふと立ち止まった。振り返ることなく、マーカスは呟くように言った。


「……せっかく、これが成功すれば次の執政官の椅子も見えていたのに」


 執政官?マーカスは単なる使者どころか、王都での出世を狙っているのか?


 だとすれば、この土地買収計画は単なるガルドの思いつきではない。もっと大きな政治的な思惑が絡んでいる可能性がある。


 男の姿が闇に消えた後、リアが俺の腕を掴んだ。


「大丈夫?なんだか、やけに具体的で嫌な脅しだったけど…それに、最後に変なこと言ってなかった?」


「心配するな」俺はリアの手に自分の手を重ねた。「俺には、前世で培った経験がある。ガルドごときに負けるつもりはない」


 ミラが不安そうに俺を見上げた。


「もうやだ!ケンジさん、助けてよ!損害賠償って、すごく怖い…」


「大丈夫だ」俺は断言した。「ただし、みんなの協力が必要だ。一人では無理でも、みんなで力を合わせれば必ず道は開ける」


 三人で村に戻りながら、俺は頭の中で戦略を練り直していた。マーカスとの会話で、いくつかの重要な情報を得ることができた。


 商業ギルドとの契約が既に締結されている―これは厄介だが、同時にチャンスでもある。契約書の内容を確認できれば、必ず抜け道が見つかるはずだ。


 そして、マーカスの最後の言葉。あれは確実に失言だった。執政官の椅子を狙っているということは、この計画には王都の政治も絡んでいる。


「明日から、本格的に動く」俺は二人に向かって言った。「リア、引き続き情報収集を頼む。特に、バートンという商業ギルドの男について詳しく調べてくれ」


「わかったわ。あの男、酒が入ると口が軽くなるタイプよ」


「ミラは、村の若者たちをまとめてくれ。何か重要な情報があれば、すぐに俺に報告するように」


「うん!任せて!私、みんなと仲良しだから、きっと何か聞き出せる!」


 自宅の前で別れる時、リアが振り返った。


「ケンジ」


「何だ?」


「あんた、本当は怖いんでしょう?」


 その言葉に、俺は少し驚いた。確かに、恐怖はある。失敗すれば、村人たちに迷惑をかけることになる。


「ああ、怖いよ」俺は正直に答えた。「でも、だからといって逃げるつもりはない」


 リアは小さく微笑んだ。


「…あんたって、案外正直なのね。私、そういうところ、嫌いじゃないわよ」


 そう言って、彼女は自分の家に入っていった。その後ろ姿を見ながら、俺は心の中で誓った。


 この村を、そして村人たちを、必ず守ってみせる。

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