表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/12

第6話 絆の芽生え、そして迫り来る陰謀

 俺は朝一番、村の中央広場に立っていた。手には昨夜作った簡単な計算書がある。ハーブの収益を村人にどう分配するか、前世の給与計算の経験を頼りに夜通し考えた結果だ。


 だが、胸の奥には妙な違和感があった。

——本当に、これでいいのか?


 前世では、他人のために何かをしても裏切られるか、利用されるかのどちらかだった。部下のミスを庇えば上司に怒られ、上司の無茶振りに従えば部下に恨まれる。善意は常に空回りし、最後は一人で倒れた。

——また同じことを繰り返しているだけじゃないか?


 そんな疑念が頭をもたげる。だが、俺は首を振った。今度は違う。今度こそ、みんなで成功する。


「みんな、聞いてくれ」


 声をかけると、村人たちが三々五々集まってくる。トムが眠そうな目をこすり、長老のオーウェンは杖にもたれながらゆっくりと歩いてきた。リアは酒場の掃除を途中で止めて、濡れた手をエプロンで拭いながら現れる。


「何よ、朝っぱらから」リアが眉をひそめる。「またなんか企んでんの?」


 俺は苦笑した。相変わらずの毒舌だが、以前と違って声に敵意はない。むしろ、どこか期待を込めた響きさえある。


「いや、昨日のハーブのことだけどさ。ちょっと面白い話があるんだ」


 俺は計算書を掲げた。文字の読めない村人のために、図を多用して作った資料だ。


「隣町での売り上げは金貨十二枚。輸送費と手数料を引いて、純利益は八枚だった」


「おお…」という感嘆の声が漏れる。村人の多くにとって、金貨八枚は月収に匹敵する大金だ。


「で、この利益をどうするかなんだが」俺は一呼吸置いた。「全額、村の皆で分けたいと思う」


 静寂が流れた。村人たちが顔を見合わせている。


 その時、群衆の後方から渋い声が響いた。


「ちょっと待てよ」


 全員が振り返ると、村の古株の一人、グレゴリーが腕組みをして立っていた。六十代の頑固そうな男で、村の伝統を重んじる保守派として知られている。俺が村に来る前は、村長の次に発言力を持つ存在だった。


「グレゴリーさん、どうしたんですか?」俺が聞く。


「どうしたもこうしたもない」グレゴリーは不機嫌そうに前に出てきた。「お前、外から来たばかりの奴が、勝手に村のことを決めていいと思ってるのか?」


 村人たちがざわめいた。グレゴリーの発言は予想外だった。


「グレゴリー、何を言ってるんだ」トムが困惑した声で言う。「ケンジが村のために頑張ってくれてるじゃないか」


「頑張ってる?」グレゴリーは鼻で笑った。「昔からのやり方があるんだ。この村を支えてきたのは、俺たち年寄りなんだよ。外の知恵とやらに頼って、恥ずかしくないのか?」


 グレゴリーの声には、単なる反対以上の感情がこもっていた。


「それに」グレゴリーは続けた。「ガルド様には昔、凶作の年に助けてもらったこともある。その恩を忘れて、勝手に商売を始めるなんて、筋が通らないじゃないか」


 俺の胸に、鈍い痛みが走った。

——拒絶される感覚。この冷たさは知っている。


 前世でも同じような経験をした。新しい提案をしても、「前例がない」「リスクが高い」「若造が生意気な」と言われ続けた。そして最後は、孤立して倒れた。


 俺は拳を握りしめた。今度は違うはずなのに。


「グレゴリーさん」俺は声を絞り出した。「俺は村のことを思って…」


「村のことを思ってる?」グレゴリーは冷笑した。「お前が思ってるのは自分のことだろう。村で成功して、英雄気取りをしたいだけじゃないのか? 俺たち古参を差し置いて、若者たちを先導して…」


 俺の顔が青ざめた。図星だった。確かに、自分の中には承認欲求もある。前世で得られなかった成功体験を、この村で味わいたいという気持ちもある。


「そんなこと…」俺が反論しようとした時、リアが一歩前に出た。


「ちょっと待ちなさいよ、グレゴリーさん」


 リアの声には、俺が今まで聞いたことのない強さがあった。普段の毒舌とは違う、誰かを守ろうとする意志の強さが込められていた。俺は驚いてリアを見つめた。彼女の横顔は、いつもより凛々しく見えた。


「あんたが何を言おうと勝手だけど、ケンジを悪く言うのは許さない」


 ——リアが、俺を庇ってくれている…。


 その時、俺の胸に小さな感動が芽生えた。前世では、自分を庇ってくれる人など誰もいなかった。いつも一人で戦っていた。


 その瞬間、俺は気づいた。

——もう、俺一人の判断じゃないんだ。


 リアの必死な横顔を見て、トムの心配そうな表情を見て、ミラの信頼に満ちた瞳を見て。俺の決断が、彼らの人生に直接影響を与える。その重みと、そして彼らが俺を信じてくれているという事実に、胸が詰まった。


「リア、お前まで…」グレゴリーが眉をひそめる。


「あたしのお父さんが病気で倒れた時、薬代を出してくれたのは誰だと思ってるの?」リアは村人たちを見回した。「あんたたちも忘れたの? ハーブで初めて利益が出た時、ケンジが一番先に考えたのは、みんなに分配することだったのよ」


 リアの声が微かに震えているのに気づいた。緊張しているのだろう。でも、それでも自分を守ろうとしてくれている。


 ——こんなに必死になって、俺を庇ってくれる人がいるなんて…。


 俺は「ありがとう」と小さく口を動かした。リアは俺の方を一瞬見て、軽く頷いた。その瞬間、リアの頬にかすかな赤みが差したような気がしたが、すぐに真剣な表情に戻る。


 ミラも声を上げた。


「そうだよ! ケンジさんは、私たちのことを本当に心配してくれてる!」少女の目には涙が浮かんでいた。「ケンジさんがいなかったら、私、もっと一人ぼっちだった。でも今は…今は家族みたいで嬉しいの!」


 ミラの純粋な言葉が、広場に響いた。俺の胸が熱くなる。


「家族…」俺が小さく呟いた。


「グレゴリーさんは意地悪よ!」ミラが涙声で続けた。「みんなで頑張ってるのに、どうして邪魔するの?」


「ミラ、口の利き方に気をつけろ」グレゴリーが睨む。


 だが、グレゴリーの表情に変化が見えた。ミラの「家族みたい」という言葉が、彼の心に何かを触れたのかもしれない。


 オーウェン長老が杖でトントンと地面を叩いた。


「グレゴリーよ、お前の気持ちも分からんでもない」長老の声は穏やかだった。「だが、ケンジの行いを見てみろ。利益を独り占めせず、村人に分配すると言っている。これのどこが自分勝手だと言うのか?」


「それは…」グレゴリーが口ごもる。


「確かにケンジは外から来た者だ」長老は続けた。「だが、この村のことを本当に思ってくれている。それだけで十分ではないか?」


 村人たちが頷く。グレゴリーは不満そうな顔をしたが、これ以上反論できずにいた。


「グレゴリーさん」俺が口を開いた。「あなたの言うことは正しい。俺は確かに外から来た者だ。この村の歴史も伝統も、まだよく知らない」


 俺は深く頭を下げた。


「どうか、俺を信じて、一緒に村を良くしていただけませんか?」


 長い沈黙が流れた。風が広場を吹き抜け、誰もが固唾を呑んで見守っている。やがて、グレゴリーが重い口を開いた。


「…分かった。とりあえず、様子を見てやる」彼は照れ隠しのように咳払いをした。「だが、村に害をなすようなことがあれば、容赦はせんぞ」


 俺は顔を上げて微笑んだ。


「ありがとうございます」


 リアが俺の袖を軽く引いた。


「ほら、早く利益の分配の話を続けなさいよ」


 リアを見ると、彼女は少し照れたような、でもどこか誇らしげな表情をしていた。俺が頭を下げている間、ずっと心配そうに見ていたのだろう。


 俺は計算書を読み上げ、村人一人一人に金貨を配った。皆の顔に笑顔が戻る。


 だが、その和やかな雰囲気は、馬の蹄の音によって破られた。


 村の入り口から、立派な馬に乗った男が一人、村に入ってくる。服装は商人風だが、どこか威圧的な雰囲気を纏っている。


「あれは…」リアの顔が強張った。「ガルド様の使いの人よ」


 俺の表情も険しくなる。タイミングが悪すぎる。村人たちの間に不安の色が広がった。


 男は馬から降りると、硬い革靴の音を響かせながら広場の中央まで歩いてくる。空気が一瞬にして張り詰めた。


「ルナス村の者たちよ」男の声は冷たく響いた。「我が主、ガルド様よりお達しである」


 俺は一歩前に出た。


「俺はケンジ。この村の住人だ。用件を聞こう」


 男は俺を値踏みするような目で見つめた。


「噂に聞く転生者か。まあいい」男は懐から羊皮紙を取り出す。「ガルド様は、この度の無許可交易を重く見ておられる。今後、村外との商取引は一切禁止する」


 村人たちがざわめいた。


「待ってくれ」俺が手を上げる。「交易に許可など必要なのか? 今まで制限はなかったはずだが」


「法が変わったのだ」男は薄く笑う。「つい先日、エルドラント公国で商取引規制令が制定された。領内の全ての商取引は、領主の許可を得る必要がある」


 俺の脳裏に、前世の法務部時代の記憶がよみがえる。急に制定される法律には、必ず裏がある。しかも「エルドラント公国」という名前が出てきたことで、俺は直感的に大きな陰謀の存在を感じ取った。

——エルドラント…確か、この地域最大の商業都市がある公国だ。なぜそこの法律が、この辺境の村に関係してくる?


「その法律、施行はいつからだ?」


「今月の初めからである」


「昨日の交易は問題ないということか」


 男の表情が一瞬曇った。俺の指摘は的確だった。


「まあ、それはそうだが…」


「なら、正式な手続きを踏んで許可を申請する。窓口はどこだ?」


「それは…ガルド様の館で…」


 俺は内心で舌打ちした。つまり、ガルドが許可権者ということだ。承認するかどうかは、彼の気分次第ということになる。


「分かった。近日中に伺わせてもらう」俺は冷静に答えた。「それまでの間、交易は自粛するとしよう」


 男は拍子抜けしたような顔をした。もっと抵抗されると思っていたのだろう。


「そ、そうか。では、そのように…」


 男は馬に跨り、そそくさと村を去って行く。


 ◇


 使者が去った後、村人たちの表情は暗かった。せっかくの希望の光が、急に消されてしまったような感覚だった。


「結局、ガルドには勝てないのか…」誰かが小さくつぶやいた。


 俺は村人たちの失望した顔を見回しながら、前世の記憶と照らし合わせて状況を分析していた。

——エルドラント公国の商取引規制令…タイミングが良すぎる。これは明らかに、俺たちの動きを封じるために急遽制定されたものだ。でも、なぜエルドラント? ガルドにそこまでの政治力があるとは思えない。誰か、もっと大きな存在が背後にいる。


 村人たちが俺を取り囲んだ。


「ケンジ、どうするんだ?」トムが不安そうに聞く。


「ガルドの許可なんて、もらえるわけないじゃない」リアが苛立った声で言う。


 その時、リアは俺の近くに立って、小さな声で付け加えた。


「でも、あんたならきっと何とかしてくれるのよね?」


 俺はリアを見つめた。彼女の瞳には不安と、それでも俺への信頼が混在していた。そんなリアの表情を見て、俺の胸に改めて責任感が湧いてくる。


「みんな、心配するな」俺は村人たちを見回した。「法律があるなら、その抜け道も必ずある。俺に任せてくれ」


 だが、心の奥では不安が渦巻いていた。相手の規模が想像以上に大きい。前世の記憶が蘇る。大企業を相手にした無謀な交渉で、完膚なきまでに叩きのめされた苦い経験。


 ——また同じ結果になるのか?


 その時、トムが一歩前に出た。


「ケンジ、俺たちも何かできることはないか?」


 俺はハッとした。トムの表情には、俺が今まで見たことのない決意が宿っていた。そして、他の村人たちも同じような顔をしている。


 ——違う。今度は一人じゃない。


「みんな…」


「あたしたちも一緒に戦うわよ」リアが強い声で言った。「あんた一人に背負わせるつもりはないんだから」


 俺の胸に、温かいものが広がった。前世では、困難な状況になると誰もが逃げていった。だが今は…


「分かった」俺は頷いた。「みんなの力を借りる。でも、まずは情報収集だ」


 ◇


 その夜、俺たちは村外れの古い納屋に集まっていた。リア、ミラ、トム、そして数人の若い村人が輪になって座っている。


 風が納屋の隙間から吹き抜け、古い梁がぎしりと音を立てた。誰も口を開かず、ただ冷たい空気だけが場を支配している。


「まず、状況を整理しよう」俺が口を開いた。ランプの明かりが皆の顔を不安げに照らしている。「エルドラント公国の商取引規制令。これが鍵だ」


 トムが手を上げた。


「でも、エルドラントって遠いだろ? なんで向こうの法律が俺たちに関係するんだ?」


「それが問題なんだ」俺は深いため息をついた。「普通は関係ない。でも、ガルドに政治的な後ろ盾がいるとしたら話は別だ」


 その時、納屋の扉がそっと開いた。


「すまない、遅れた」


 現れたのは、意外な人物だった。村で雑貨商を営む中年男性、コレットだ。普段は目立たない存在だが、今夜の彼は何か違った雰囲気を纏っていた。


「コレットさん?」リアが驚いた声を上げる。


 コレットは皆を見回してから、重い口を開いた。


「実は…話があるんだ。ガルドのことで」


 俺は身を乗り出した。


「何を知ってるんですか?」


 コレットは一瞬躊躇してから、決意を固めたように頷いた。


「私の正体は、かつてこの領地を治めていた家の息子だ」


 一瞬、空気が止まった。


「じゃあ、なんで今は……?」ミラが口を挟む。


「……追放されたからだ」コレットの声は苦々しかった。「理由は――後で話す。今、急がねばならないのは、ガルドの真の狙いについてだ」


 俺は混乱していた。コレットの告白を聞いたとき、胸の奥がざらついた。「信じてほしい」という言葉が、果たしてどれほどの重みを持つのか。


 ——また騙されるのか? 前世のように、信頼した相手に裏切られるのか?


 だが、トムの表情を見たとき、俺は気づいた。もう、俺一人の判断じゃない。皆で決めるんだ。


「続けてください」俺は慎重に言った。


「ガルドは単なる田舎領主ではない」コレットは続けた。「エルドラントの商業ギルドと深いつながりがある。そして今回の法律改正も、彼が裏で糸を引いている」


「商業ギルド?」リアが聞く。


「エルドラントで商取引を行うには、必ずギルドの許可が必要だ。そして、ギルドを牛耳っているのは一握りの大商人たち。ガルドは、彼らの代理人として動いている」


 俺の脳裏に、前世の記憶が蘇った。大企業による中小企業の吸収合併。まず競合他社の資金繰りを悪化させ、経営難に追い込んでから安く買い叩く手法だ。


「つまり、村を経済的に干上がらせて、土地を安く買い取るつもりか」


「その通りだ」コレットは重く頷いた。「そして、エルドラントの大商人たちは、この一帯を一大商業拠点にする計画を立てている。村々を買い占めて、巨大な交易路を建設するつもりだ」


 沈黙が流れた。予想以上に大きな陰謀だった。


「でも」ミラが小さく言った。「どうしてコレットさんがそんなことを知ってるの?」


 コレットは苦笑した。


「私は…ガルドの内通者だからだ」


 再び、静寂が納屋を支配した。外で風が唸り、古い木材がきしむ音だけが響いている。


「内通者?」トムが驚愕の声を上げた。


「待ってくれ」俺が手を上げる。「なぜそれを俺たちに話すんですか?」


 コレットは深いため息をついた。


「最初は、ガルドに脅されて仕方なく情報を流していた。だが、君たちを見ていて…特にミラの純粋さや、ケンジの村への献身を見ていて、考えが変わった」


 コレットはミラの方を見た。


「君のような子供が、大人の汚い政治に巻き込まれるのを見ていられなくなったんだ」


 ミラは複雑な表情でコレットを見つめていた。


「私は、どうすべきでしょうか?」俺が率直に聞いた。


「エルドラントに行くべきだ」コレットは即答した。「ガルドや商業ギルドの裏をかいて、直接市場に参入する。そして、彼らの計画を内部から崩す」


「でも、素人の俺たちが都市で成功する保証はない」


「確かにそうだ」コレットは認めた。「だが、私が手伝う。元領主の息子として培った人脈と知識がある。完全ではないが、君たちの力になれるはずだ」


 俺は悩んだ。コレットを信じるべきか、それとも…


 その時、リアが口を開いた。


「コレットさん、一つ聞きたいことがあるの」


「何だ?」


「どうして今まで黙ってたの? 村のためを思うなら、もっと早く教えてくれてもよかったじゃない」


 コレットは困ったような表情を浮かべた。


「それは…恥ずかしながら、自分の身が可愛かったからだ。ガルドを裏切れば、今度は私が追放されるか、もっと酷い目に遭う。だから、見て見ぬふりをしていた」


 リアは納得したような顔をした。


「正直でいいじゃない。人間らしいわよ」


 俺も同感だった。完璧すぎる申し出よりも、人間的な弱さを見せる方が信頼できる。


「分かりました」俺は決断した。「コレットさんの協力を受けて、エルドラント進出を実行します」


 トムが不安そうに聞く。


「本当に大丈夫なのか? 相手は大商人だぞ」


「大丈夫じゃないかもしれない」俺は正直に答えた。「でも、何もしなければ確実に負ける。ならば、リスクを取って戦う価値はある」


 ミラが手を上げた。


「私も一緒に行く! エルドラントに!」


「ミラ、都市は危険だ」俺が心配そうに言う。


「でも、私がいれば、きっと役に立てる! 薬草の知識だって覚えたし、計算もできるもん」


 リアが苦笑した。


「この子、案外頑固なのよね。決めたら絶対に譲らない」


「それに」ミラは続けた。「みんなで一緒だから頑張れるの。一人だけ村に残されるのは嫌」


 俺は考え込んだ。確かに、ミラの薬草知識は貴重だ。そして、何より彼女の純粋さが、交渉の場で相手の心を動かす可能性もある。


「分かった。でも、絶対に無理はするな」


「約束する!」ミラが嬉しそうに笑った。


 コレットが立ち上がった。


「では、具体的な準備に入ろう。まず必要なのは資金だ。エルドラントでの滞在費、商談のための接待費、保証金…最低でも金貨五十枚は必要だろう」


「五十枚?」トムが驚いた。「そんな大金、どこで調達するんだ?」


 俺は考えた。


「ハーブの加工を本格化する。短期間で利益を上げて、必要な資金を作る」


「でも、交易禁止令があるだろ?」


「村に買い手を呼ぶんだ」俺は微笑んだ。「技術的には、こちらから売りに行くわけじゃない」


 コレットが感心したような顔をした。


「なるほど、法の抜け道を突くわけか。前世での知識が活きているな」


「ただし」俺は表情を引き締めた。「時間は限られている。ガルドが次の手を打ってくる前に、必要な準備を整えなければならない」


 納屋の外で、再び風が唸った。今度は、嵐の前触れのような不穏な響きを含んでいた。


「皆、覚悟はいいか?」俺が最後に確認した。


 全員が頷く。その表情には不安もあったが、同時に強い決意も宿っていた。


「よし、明日から本格的に動く」俺は立ち上がった。「エルドラント進出の準備だ」


 ◇


 その頃、村から数キロ離れた森の中で、二つの影が密談を交わしていた。


「コレットが寝返ったようだな」一人がささやく。


「予想していたことだ」もう一人が答える。「あの男の心の弱さは、ガルド様も承知しておられる」


「それにしても、転生者の影響力は予想以上だ。村人たちが完全に心服している」


「だからこそ、エルドラントで完全に潰す必要がある」最初の男が冷笑した。「田舎では予想外の抵抗を見せているが、都市は我々の庭だ」


「商業ギルドの根回しは完了している」


「ああ。バートン様が既に手を回しておられる。転生者がエルドラントに現れた瞬間、適切に『指導』されるはずだ」


「コレットの裏切りについては?」


「放置しておけ」男は薄く笑った。「どうせ、元領主の息子という過去がバレれば、エルドラントでは信用を失う。むしろ、転生者の足を引っ張ってくれるだろう」


「恐ろしい計算だ…」


「ガルド様の指示は明確だ。『転生者を完全に破滅させ、二度と立ち上がれないようにしろ』とのことだった」


 二人の影は、薄気味悪い笑いを浮かべながら闇の中に消えていった。


 ◇


 翌朝、俺は早起きして村の周辺を歩いていた。朝靄が立ち込める中、昨夜の決断を改めて反芻していた。


 エルドラント進出。前世の知識を総動員しても、成功の保証はない。むしろ、失敗の可能性の方が高いかもしれない。


 ——それでも、やるしかない。


 足音が近づいてきた。振り返ると、リアが小走りで追いかけてくる。


「朝から何してるのよ」リアが息を切らせながら言った。


「考え事だ」俺は苦笑した。「昨夜の決断が正しかったのか、不安になってな」


 リアは俺の隣に並んで歩き始めた。


「不安なのは当たり前よ。でも」リアは俺を見上げた。「あんたが決めたことなら、私は信じる」


「なぜそこまで俺を信じられるんだ?」俺が率直に聞いた。


 リアは少し考えてから答えた。


「あんたが村に来てから、みんなの顔が明るくなったの。特にミラなんて、以前は一人でいることが多かったのに、今は生き生きしてる」


 リアは足を止めて、村の方を振り返った。


「それに」リアは小さく微笑んだ。「あんたは、失敗を恐れずに行動する。前世で辛い経験をしたって聞いたけど、それでも諦めないでいる。そういう人を、信じたいと思うの」


 俺の胸に、温かいものが広がった。


「リア…」


「べ、別に変な意味じゃないからね!」リアは慌てて顔を逸らした。「ただ、村のリーダーとして信頼してるってだけよ!」


 俺は笑った。リアの照れ隠しが可愛らしく見える。


「分かった。期待に応えるよう頑張る」


 二人が村に戻ると、既にミラとコレットが俺の家の前で待っていた。


「ケンジさん!」ミラが手を振る。「準備はどうする?」


 コレットも真剣な表情で言った。


「エルドラントまでの道のりは約一週間。途中で商人の隊商に合流できれば安全だが、単独での移動はリスクが高い」


「隊商に合流する方法はあるのか?」俺が聞く。


「隣町で定期的に隊商が編成される。次の出発は三日後だ」コレットが答えた。「それまでに、必要な資金と商品を準備しなければならない」


 俺は頷いた。


「分かった。今日からハーブの加工を本格化する。リア、酒場で情報収集を頼む。どんな商品が都市で求められているか、詳しく調べてくれ」


「任せなさい」リアが力強く答えた。


「ミラは引き続き薬草の勉強を。エルドラントでは、専門知識が武器になる」


「頑張る!」ミラが元気よく返事した。


 コレットが付け加えた。


「私は隊商の手配と、エルドラントでの宿の予約を行う。元領主の息子という立場は、まだ多少は役に立つはずだ」


 俺は皆を見回した。それぞれが自分の役割を理解し、やる気に満ちている。


 ——こんな仲間がいれば、きっと成功できる。


「よし、三日後の出発を目標に、全力で準備を進めよう」


 村に新たな活気が生まれていた。だが同時に、見えない敵の影も確実に迫っていた。


 エルドラントでの戦いは、想像以上に過酷なものになるだろう。だが俺には、信頼できる仲間がいる。そして、前世で培った知識と経験もある。


 ——今度こそ、必ず勝つ。


 朝日が村を照らし、新しい一日が始まった。運命を賭けた戦いの序章が、静かに幕を開けようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ