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第2話 凡人の逆襲計画

 朝靄の中、俺は村の外れでハーブの群生地を眺めていた。昨夜見つけたこの紅葉のような葉を持つ植物――名前は分からないが、独特の芳香からして薬草系だろう。前世のビジネス経験が囁いている。これは商機だ、と。


「おい、ケンジ! 何やってんだ、そんな早くから」


 振り返ると、ミラが駆け寄ってきた。16歳の彼女は村で数少ない、俺に好奇心を向けてくれる存在だ。他の村人たちが魔法もスキルもない俺を「役立たず」扱いする中で、彼女だけは違う。


「ミラ、このハーブ知ってるか?」


「あー、それね。昔からそこらじゅうに生えてる。でも誰も使わないよ? 食べても美味しくないし」


 やはり価値を知らない。これは典型的な地域格差だ。前世で扱った地方企業の案件でも似たようなケースがあった。地元では当たり前すぎて価値を見落としているものが、都市部では高値で取引される。


「隣町のマークトでは、こういうハーブはどうなんだ?」


「んー、行ったことないから分かんない。でも商人さんたちは薬草とかよく買い付けに来てたよ。最近は全然来ないけど」


 ガルドの重税で交易商人が敬遠している。なるほど、これで全体像が見えてきた。


 俺はミラと一緒に村の中心部へ戻った。村人会議は毎朝、村長の家前の広場で開かれる。といっても、最近は愚痴を言い合うだけの場になっているらしいが。


 広場には二十人ほどが集まっていた。村長のトムス爺さん、農夫のジョン、木こりのピートに、パン屋のマリーさん。そして酒場『月の雫』から、リアが腕組みをして立っていた。


「今日もガルドから催促状が来た」トムス爺さんが疲れた声で言った。「今月の税金、まだ半分しか集まっとらん」


「もう無理だよ」ジョンが頭を抱える。「うちの麦畑、今年は不作だったのに」


 いつものように暗い空気が漂い始める。でも今日は違う。俺には提案がある。


「あの、すみません」


 俺が手を上げると、全員の視線が集まった。その中にはリアの、相変わらず冷ややかな目も含まれている。


「昨日話した通り、俺にはこの村を立て直すアイデアがあります」


「また変なことを…」リアが小声で呟く。それが聞こえないふりをして続ける。


「皆さん、村の外れに生えているあの紅いハーブを覚えていますか?」


「ああ、あの雑草みたいなやつか」ピートが鼻で笑った。


「雑草じゃありません。あれは立派な薬草です」


 俺は前世で身に着けたプレゼンテーション技術を思い出す。まずは相手の注意を引く。そして具体的なデータで説得する。


「昨夜、商人の荷物置き場を見せてもらいました。似たような薬草が金貨3枚で取引されていた記録があります」


 ざわめきが起こった。金貨3枚は村人の一ヶ月分の収入に相当する。


「でも、どうやって売るんだよ」ジョンが疑わしそうに言った。「商人なんて最近来ないじゃないか」


「こちらから売りに行くんです」


 俺は持参した紙に書いた計算書を取り出す。前世で培った資料作成スキルの見せ所だ。


「隣町のマークトまでは徒歩で二日。馬車なら一日です。ハーブの仕入れ原価はゼロ。運搬費として馬車代が銀貨5枚。マークトでの相場を金貨3枚と仮定すると…」


「ちょっと待てよ」


 リアが割って入った。彼女の目に、昨夜とは違う真剣さが宿っている。


「あんた、どうしてそんなこと知ってるのよ。商売の知識なんて、どこで覚えたって言うの?」


 痛いところを突かれた。転生前の記憶なんて言えるわけがない。


「えーっと…独学です」


「独学?」


 リアの眉がひそめられる。村人たちもざわめいている。読み書きすらままならない人が多いこの村で、複雑な計算をする俺は確かに異質だろう。


「本当に独学よ」ミラが横から助け船を出してくれた。「昨日も夜中まで何か計算してたもん!」


 嘘じゃない。前世の記憶を整理するのに時間がかかったからな。


「で、でも…」ジョンが困惑している。「本当に売れるのか? 失敗したらどうするんだ」


「失敗のリスクは最小限に抑えます」


 俺は次のページを見せる。前世でさんざんやったリスク管理の手法だ。


「最初は小規模テスト。ハーブ10束程度から始めて、売れるかどうか確認する。成功すれば規模を拡大。失敗しても損失は馬車代の銀貨5枚だけです」


「銀貨5枚って…」マリーさんが困った顔をする。「それでも大金よ」


 確かにその通りだ。彼らにとって銀貨5枚は大きな額だろう。でも――


「俺が出します」


 え? と全員が俺を見る。


「俺が馬車代を負担します。成功したら利益をみんなで分配。失敗したら俺だけの損失」


 これは前世の経験から学んだことだ。新しい提案をする時は、自分がリスクを負う姿勢を見せる。そうすれば相手の警戒心が和らぐ。


「あんた…」リアが困惑している。「そんな金、どこにあるのよ」


「昨日、村に来る前に持っていた所持品を売りました」


 実際、転生時に身に着けていた服や小物を何点か換金していた。この世界の通貨に換算して、ちょうど銀貨20枚程度になる。


「でも、なんで?」トムス爺さんが首をかしげる。「あんたにとって何の得があるんじゃ?」


 その質問に、俺は少し戸惑った。確かに、なぜだろう? 前世では自分のことで精一杯だったのに。


「…分からないです、正直」


 俺は素直に答えた。


「でも、この村の人たちが困ってるのを見てると、何かしたくなるんです。俺だって、この村で生きていくんだから」


 静寂が流れる。そこにリアの冷たい声が割って入った。


「綺麗事ね」


 彼女が一歩前に出る。その目は、昨夜よりもさらに厳しい。


「口先だけなら何とでも言える。あんた、本当に私たちのこと考えてるの? それとも、ただの暇つぶし?」


 村人たちがざわめく。リアの追及に、場の空気が一気に緊張した。


「もし失敗したら、あんたは『ごめんなさい』で済むかもしれない。でも私たちは? ガルドの報復を受けるのは私たちよ」


 彼女の声が震えている。怒りか、それとも恐怖か。拳を握りしめて、でも何もできずに立ち尽くしている。その姿が俺には痛いほど分かった。


「あんたみたいな得体の知れない奴に、なんで命を預けなきゃいけないのよ!」


 その瞬間、俺の中で何かが切れた。


「だったら見てろよ」


 俺は一歩前に出て、リアを真っすぐ見つめる。


「全部失敗して笑われたっていい。でも動かなきゃ何も変わらない。このまま座り込んで愚痴ってるだけで、村が良くなるとでも思ってるのか?」


 リアの目が見開かれる。


「俺は確かに得体が知れない。でもな、俺以外に誰が動くんだ? 誰が変えるんだ? みんな諦めてるじゃないか」


 声を荒らげてしまった。でも、止まらない。


「俺だって怖いよ。失敗するかもしれない。でも…」


 俺は一度息を吸った。前世の記憶が蘇る。


「前の人生で、本当に後悔したことがあったんだ。何もできなかった時に、黙って見てるしかなかった時に、何も言わなかった自分を、一番責めた」


 部下が上司にパワハラを受けている時、同僚が過労で倒れそうになっている時、俺は何もできなかった。見て見ぬふりをした。


「だから今度は…何もしないで後悔するより、やって後悔する方がマシだ」


 村人たちが息を呑んでいる。リアの表情が揺れた。


「…あんた…」


 彼女の声が小さくなる。そして、長い沈黙の後、ぽつりと呟いた。


「…バカね、あんた」


 でも今度は、その声に昨夜のような冷たさはなかった。むしろ、どこか暖かみを感じる。


「面白そうじゃない」


 リアが小さく笑う。その笑顔を見て、場の空気が一変した。


「失敗したって、今より悪くなることはないでしょ? それに…」


 彼女がちらりと俺を見る。その目には、先ほどとは違う何かが宿っている。


「あんた、さっきの怒鳴り方…案外本気なのね」


「リア…」


「だからって信用したわけじゃないからね! ただ、話を聞いてみたいってだけよ」


 ツンデレか、この子は。でも、その素直じゃない反応が妙に可愛らしい。


「私も賛成!」ミラが手を上げる。「ケンジさんの計算、すっごく頭良さそうだもん!」


「うーん…」トムス爺さんが髭を撫でている。「確かに、やってみる価値はありそうじゃが…」


「でも本当に大丈夫かな」ジョンがまだ不安そうだ。「ガルド様に知られたら…」


 その名前が出た途端、場の空気が重くなった。ガルド――この村を支配する腐敗貴族。


「前、無許可で交易した村があったんだけど……」ミラが急に小声になる。「次の日、燃えてたって話、聞いたことある」


 村人たちの顔が青ざめる。俺の背筋にも冷たいものが走った。ただの搾取だけじゃない。実力行使も辞さない相手だということか。


「大丈夫です」俺は断言した。だが内心では、ガルドがどこまで本気で妨害してくるか読めずにいる。「交易は貴族の許可なしでも可能です。それに、税収が増えれば、ガルドにとってもメリットがあるはず」


 理屈ではそうだ。だが、理屈通りにいかないのが権力者の常でもある。


「そう簡単にいくかしら」リアが疑わしそうに呟く。


 彼女の懸念はもっともだ。でも、今はとにかく第一歩を踏み出すことが重要だ。


「とりあえず、来週テスト販売をやってみませんか? 結果を見てから、本格的に始めるかどうか決めればいい」


 村人たちがざわざわと相談を始める。前世でも経験したが、集団での意思決定は時間がかかる。でも、反対意見が減ってきているのは感じる。


「よし」トムス爺さんが手を叩いた。「やってみよう。ケンジ、詳しい話を聞かせてくれ」


 俺の提案が通った。小さな一歩だが、確実な前進だ。


 会議が終わった後、俺はリアと一緒に酒場に向かった。昼間から開いている『月の雫』は、村の情報交換の場でもある。


「で、具体的にはどうするつもりなのよ」


 リアがテーブルを拭きながら尋ねる。店内には他に客はいない。


「まず、ハーブの品質管理から始めます。乾燥方法ひとつで、価値が倍にも半減にもなる。直射日光で乾かせば早いが、香気成分が飛んでしまう。陰干しで時間をかければ、薬効と香りを保持できる」


「ふーん。で、誰がそれをやるの?」


「俺とミラ、それから協力してくれる村人数名でチームを作ります。役割分担して効率化を図る」


 リアが手を止めて俺を見つめる。


「あんた、本当に変わってるわね」


「変わってるって?」


「普通の人は『何とかなるでしょ』とか『頑張ります』とか、曖昧なことしか言わないのに。あんたは全部具体的に決めてる」


 確かに、それは前世の職業病かもしれない。プロジェクト管理では曖昧さは禁物だ。


「でも、それって…」リアが少し困ったような表情を見せる。「信用していいってことなのかしら」


「信用?」


「だって、詐欺師だって立派な計画書は作れるじゃない。でも、あんたのやり方は…なんか、本気っぽいのよね」


 本気、か。確かにそうかもしれない。前世では、上司や会社のために仕方なくやっていた仕事が多かった。でも今は違う。自分が選んだ道だ。


「リア」


 俺は彼女の目を真っすぐ見つめた。


「俺、前の人生では失敗続きだった。でも今回は…今回は本気でやってみたいんだ」


 リアの頬が微かに赤らんだ。そして、ぽつりと呟く。


「…あんた、ほんとバカみたいに本気ね」


 でも、その声には昨日のような冷たさはなかった。むしろ、どこか暖かみを感じる。


「まぁ、失敗したら笑ってやるわ」


 彼女がそう言いながら、小さく微笑む。その笑顔を見て、俺の胸に暖かいものが広がった。


 これが、俺の新しい人生の始まりだ。チートもスキルもない、ただの元社畜の挑戦。でも今度は、仲間がいる。それだけで、前世とは全く違う気がした。


 夕暮れ時、俺は村外れのハーブ群生地に戻っていた。明日から本格的な準備が始まる。品質管理、チーム編成、マーケティング戦略…やることは山積みだ。


 でも不思議と、前世のような重圧感はない。むしろワクワクしている。


「ケンジさーん!」


 ミラの声が聞こえた。振り返ると、彼女が息を切らして駆け寄ってくる。


「みんな、すっごく盛り上がってるよ! ジョンおじさんも『久しぶりに希望が見えた』って言ってた!」


「そうか…良かった」


「でもね」ミラが急に真剣な顔になる。「さっき変な人が村の様子を見回ってたの。森の影からこっちを見てた黒ずくめの男。こっちが気づいた瞬間、木の間にスッと消えたんだ」


 俺の背筋が凍った。只者ではない動き方だ。


「それに…」ミラの声が小さくなる。「あの人の目、妙に笑ってるようで――狂気を孕んでた。ただの偵察じゃない、何かやばい奴よ」


 来たか。予想はしていたが、思ったより早い。


「分かった。気をつけよう」


 前世のプロジェクトでも、競合他社の妨害工作はよくあった。今回もそれと同じだと考えればいい。


「でも大丈夫」俺はミラに笑いかける。「俺たちには計画がある。一歩ずつ進んでいけば、きっと成功するよ」


 夕日が村を染める中、俺は新たな決意を胸に、明日への準備を始めた。

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