第26話「日常㊵(御堂 聖)」
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僕は自分の部屋でうずくまっていた。膝を抱えて、頭を垂れて、何も考えたくないのに考えてしまう。牧村さんのことだ。
どうすればよかったんだろう。
手当をすべきだったと思うけれど──牧村さんは「私は治りが早い」と言っていた。自分で手当もしたと言っていた。僕より知識も経験もある彼女がそう言うのだから、僕も大丈夫だと思ってしまった。
それが間違いだったのか。
「くそっ……」
声にならない呻きが喉から漏れる。
部屋は静かだった。クロは僕の足元で丸くなっている。傘の子の気配もどこかにある。お姉さんも、きっとどこかで僕を見守ってくれている。
でも悶々とした想いが晴れない。
僕は立ち上がり、スマホを手に取った。
電波は死んでいるけれど、“あの掲示板”はなぜだかつながる。
僕は震える指で文字を打ち込み始めた。
◆◆◆
【豊島区】紫の空の下で生きる【雑談スレPart.5】
532:名無しの区民
相談というか、愚痴を聞いてほしい。
知り合いが死んだ。助けられなかった。
533:名無しの区民
辛いな。
534:名無しの区民
この状況じゃ、そういうこと多いよ。
気を落とすな。
535:名無しの区民
詳しく聞いてもいいか?
536:名無しの区民
知り合いが阿弥陀羅に襲われて、太ももと脇腹を撃たれた。
僕が助けて、その場は切り抜けたんだけど。その人は「自分は治りが早いから大丈夫」って言ってて、僕もそれを信じてしまって。異能者なんだ、その人。
でも結局傷が悪化して死んじゃったんだ。
537:名無しの区民
銃で撃たれたのか。
それなら、手当てしようが何しようが大抵は死ぬぞ。
538:名無しの区民
太ももは大腿動脈があるからな。そこ切れたら数分で失血死する。
脇腹も内臓やられてたら終わりだ。
539:名無しの区民
この東京の外なら、もしかしたら助かったかもしれないけどな。
ちゃんとした病院があればの話だが。
540:名無しの古参
銃はダメだなあ。お前、ゲームはやったことあるか?
541:名無しの区民
識者きた。
542:名無しの区民
あります。
543:名無しの古参
じゃあ分かるだろ。モンスターには弱点があるだろ?
それと同じで、人間が銃で撃たれれば"外"以上に大きく傷つく。いわゆる弱点ってやつだ。炎に弱いとか、氷に弱いとか、そういうのと一緒。人間は鉛玉に弱いんだよ。まあ撃たれて平気な人間なんてあんまりいないとおもうけどな、今の東京は特別だ。そういうルール付けがされているんだ。
544:名無しの区民
なるほど、分かりやすい。
545:名無しの古参
まあ悪いことばかりじゃないぜ。例えば獣の姿の怪異とかには銃がよく効いたりするんだ。例えば狐とかな。ああいうのは鉛玉に弱いって相場が決まってる。そういうのを理解していくと少しは生きやすくなる。
546:名無しの区民
>>536
で、その人の遺体はどうしたんだ?
547:名無しの区民
そのままです。隣の部屋に、そのまま。
548:名無しの区民
マジか。それはまずい。
549:名無しの区民
>>547
おい、今すぐねぐらを変えろ。
550:名無しの区民
>>547
霊が迷って出てくるかもしれないぞ。
この東京じゃ、死者は簡単に動き出す。特に無念を残して死んだ奴はな。
551:名無しの区民
>>547
せめて弔ってやれよ。
このまま放置はあんまりだ。
552:名無しの区民
そうしてあげたいんですけど場所がないんです。
都内だとどこも地面はアスファルトだし、アスファルトを割って土中に埋めるのは難しいし……
553:名無しの区民
>>552
確かにそうだな。
じゃあせめて、ちゃんとベッドに寝かせて、布団をかけてやれ。
それだけでも違う。
554:名無しの区民
>>552
あとは祈ってやることだな。
宗教は何でもいい。お前が信じてるものでいい。心を込めて、安らかに眠れって祈ってやれ。そういうの結構効果あるんだよ、少なくとも今の東京では。
555:名無しの区民
>>536
お前が悪いわけじゃないぞ。
この東京で生き延びるのは、運の要素がデカい。
自分を責めるな。
556:名無しの区民
>>536
辛いだろうけど、お前も生きなきゃいけない。
死んだ人のためにも。
557:名無しの区民
みんな、ありがとう。
少し、楽になった気がする。
558:名無しの区民
>>557
無理すんなよ。何かあったらまた書き込め。生きてたらまた話そうぜ
◆
僕はスマホを置いた。そしてすぐに隣の牧村さんの部屋へ向かう。
ドアを開けると、変わらない光景が広がっていた。
牧村さんはベッドの縁に座ったまま。瞬きもせず、呼吸もせず、ただそこにいる。
僕は近づき、彼女の体を何とか抱き上げ、ベッドの上に横たえて布団をかけた。
そうして「安らかに眠ってください」──それだけ言って、僕は部屋を後にした。
自分の部屋に戻り、荷物をまとめ始める。
着替え。保存食。水。スマホの充電器。それから、黒い和傘。
クロが僕の足元で鳴いた。まるで「どこへ行くの?」と聞いているみたいに。
「引っ越しするよ」
僕はクロに向かって答える。
荷物は少ない。この東京で生きるために必要な最低限のものだけ。最後に部屋を見回す。数か月過ごしたこの場所には特に愛着があるわけじゃないけれど、それでもここは僕の居場所だった。
荷物をまとめ終え、僕はドアに手をかけた時、背後から声が聞こえた気がした。
──「御堂君」
振り返る。でも、そこには誰もいない。
幻聴だろうか。それとも──
僕は首を振り、部屋を出た。