第24話「牧村①」
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牧村綾香は聖を観察していた。
華奢で頼りなげな外見。性格も気弱なのだろう。差し出した手を取るだけで酷く緊張している様に見える。
目を見開き、僅かに震えてさえいる。
──女の子……子? まあいいや、女の子と接した事ないのかしらね。慣れてないみたい
だが聖には力があった。
そう、力だ。
阿弥陀羅のチンピラたちを瞬時に挽肉へと変えたあの黒い傘。そしてあの狂暴な男の首を、まるで粘土細工のように捻じ切った不可視の何か。
あまりに異質で禍々しく、そして圧倒的だった。
『僕が危なくなると、勝手に出てきてくれるんです』
──式神とか守護天使とか、そういう感じかしらね。いえ、悪魔召喚の類かな、どちらかといえば
どちらに主導権があるのかしら、と牧村は考える。というのも、彼女の知識の限りに於いて、いわゆるサモナーに分類される異能者には二種類いるからだ。
すなわち、力を選んだ者と力に選ばれた者。前者は能動的に力を行使するのに対して、後者は受動的に力を行使する。もちろん異能として見た場合、使い勝手が良いのは前者である。しかし──
危険なのは後者である。
牧村の目には聖はひどく凡庸で頼りなげな少年にしか映らなかった。自己評価が低く、常に他人の顔色を窺っているような、そしてこの崩壊した東京においては致命的ともいえる甘さを持った人間。
牧村は思考の天秤で聖の価値を測る。聖の能力(と思わしきもの) 把握している限りの人品骨柄、現在の自分との関係性。聖が自分に向けているであろう感情のベクトル、そして自分が聖に向けている感情。
それら全ての要素を俯瞰的に見つめ、有形無形のリソースをどこまで投入すべきかを計算する。友好的な関係を築く意味はあるか。リスクとリターンは釣り合うか。
結論は既に出ていた。
──この子とはもう少し親しくなっておくべきだわ
この魔都において、力は唯一絶対の通貨である。御堂聖というカードは手元に置いておくに越したことはない。だがそのためには御堂 聖という人間をより深く知る必要があった。
人にはそれぞれ勘所というものがある。踏み込んでもいい領域と絶対に触れてはならない地雷原。そのアウトラインとセーフラインを見極めておかなければ思わぬところで関係が破綻しかねない。
牧村はゆっくりと息を吐き、意識的に姿勢を変えた。ベッドの縁に座ったまま少しだけ前屈みになる。それで十分なのだ──豊満な胸を印象付けるには。
──この年頃のコなら
聖の視線がちらりと動いた。一瞬牧村の胸元に向かい、すぐに慌てたように逸らされる。頬が微かに赤い。
それについて牧村は特にどうとも思わなかった。嫌悪もなければ優越感もない。年頃の男子なら当然の反応だ。
自分の女としての魅力──それは牧村にとって一種の道具だった。人間関係を構築する際の潤滑油。相手に好意的な印象を与え、警戒心を解く。必要とあらば、それ以上の関係を示唆することもできる。
仮に聖が成人しており、なおかつ状況が許せば、体を使うという選択肢も視野に入れたかもしれない。だがさすがに高校生である聖にそこまでするつもりはなかった。牧村はどちらかといえば現実主義者だが、その程度の倫理観はあった。
それにしても、と牧村は思う。
会話を続ければ続けるほど、観察すればするほど、御堂聖という少年は驚くほど普通に見えた。
──彼が良い子なのは間違いないのだけど
牧村は改めてそう評価する。東京には今、警察も法律も存在しない。力を持つ者が全てを支配できる世界だ。性的な事に興味があるのならば、力ずくで牧村を犯す事もできるだろう。だが聖はそうしない。
それと牧村には一つ、どうしても確認しておきたいことがあった。それは聖が自分を助けた動機である。
「ねえ 御堂君」
牧村は努めて平静な声で問いかけた。
「どうしてあの時私を助けてくれたの?」
その問いは純粋な疑問を装ってはいたが、その実聖の本質を見極めるための試金石だった。
聖は少し驚いたような顔をして、それから真剣な表情で考え込んだ。そしてゆっくりと口を開く。
「僕は……誰かに何かをしてもらったら、同じくらい返さなきゃいけないと思うんです。牧村さんは僕に親切にしてくれた。だから、困っていたら助ける。それが、フェアだと……そう思っていたんですけれど……」
──フェア、ね
牧村はその言葉を心の中で反芻した。正義感でも 同情でもなく 「フェア」であること。それが聖の行動原理なのか
「じゃあ、もし私があなたに意地悪をしたら?」
牧村は意地悪な質問を重ねる。聖は少し困ったような顔をしたが すぐに答えた。
試すような質問。聖は困ったような顔をする。
「……分からないです。でも、多分、距離を置くと思います」
「殺したりはしない?」
聖の顔が青ざめる。
「そ、そんなこと……! それに、もう……」
「……? でも、あの夜の男たちは」
「あれは違います! 彼らは僕を殺そうとしたから……その、仕方ないなって。それに、その……」
そういって聖は牧村を見た。
さっきの様に胸を見たわけではない。
──何かしら?
自分の顔に何かついているのだろうか、とスマホの暗いディスプレイに顔を映すが目に見えない曇りのようなものがあるのか、うまく映らない。
「どうしたの?」
さすがにこうも凝視されると気になってくる。
しかし聖は何も答えなかった。牧村を見て、見て、見て──目を伏せるだけだった。
ややあって。聖はぽつりとこんな事を言った。
「牧村さんは、どうして救世会に入ろうと思ったんですか?」
聖の質問に、牧村は少し考えてから答える。
「生き延びるため、かな。一人じゃ限界があるから」
それを聞いて、聖は少し寂しそうな顔をする。
でも、と牧村は付け加えた。
「最近はそれだけじゃないかもしれない。誰かの役に立てることが意外と悪くないって思えてきたの。なんていうかさ、私色々あったんだけれど、私がしんどい時、誰も助けてはくれなかったんだよね」
聖はだまって牧村の話を聞いていた。
「人間生きてたら、どうしても誰かの助けが欲しくなる時ってあるじゃん? 助けてほしいのに誰も助けてくれなかったら──悲しいでしょ」
「はい……」
「まあこんな私だけど、この何か月かで私が助けた人とかもそこそこいてさ。で、助けた人達が嬉しそうにしているのを見て、私もなんだか嬉しくなっちゃったり」
「……僕は、牧村さんの助けにはなりましたか?」
聖が尋ねる。すると牧村はにっこり笑って、「もちろん! ありがとう、とても感謝してるわ」と答えた。
答えながらも、牧村は聖が気になっていた。
どうしてそんなに悲しそうな顔をするのか、と。




