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お姉さんと僕  作者: 埴輪庭
第3章
86/99

第17話「善性と悪性②」

 ◆


 自宅というものを思い返してほしい。


 自宅は言うまでもなく大切なものだ。帰る場所であり日々の生活を送る拠点であり、そして何より安全地帯であるはずだ。


 そんな自宅を侵すモノがあればどうだろうか。例えば雨漏りがするだとか。


 そういう時はすぐに修理の業者を呼ぶだろう。


 自宅周辺に不審者がいたら? 様子を見て余りに行動が不審ならば警察を呼んだり、あるいは余りお勧めはしないが直談判したりするだろう。


 御堂聖もつまり“そう”なのだ。


 ・

 ・

 ・


 尾崎は目の前の少年──聖から漂う匂いに口角を上げた。


 恐怖の匂いだ。冷や汗と震えが混じり合った甘美な香り。


 このガキは怯えている──そう尾崎は断じた。当然だ。この状況で怯えない方がおかしい。


 だが尾崎の笑みはすぐに引っ込んだ。


 すん、と鼻をひくつかせる。周囲の空気を深く吸い込む。埃、錆血、そして女の恐怖。それ以外の匂いはない。


 ──伏兵はいない。つまりこのガキはたった一人でこの場にノコノコと現れたということか?


 尾崎はちらりと地面に転がる牧村を見た。


 ──女は本当に驚いている、が……


 牧村は目を見開き信じられないといった表情で聖を見つめている。


 ──知り合いか?だが安心感を覚えてはいない。つまりこの女が知る限りでは、あの餓鬼が女を助け出せるほどの力は無いって事だ……


 しかし尾崎はすぐには動かなかった。


 暴力と狂気にすっかり馴染んでいる尾崎だからこそ、聖から漂う何か決定的に厄いものを感じ取っていたのだ。


 尾崎の脳裏に奇妙なイメージが浮かんだ。


 “箱”だ。


 一見すると何の変哲もない小綺麗な箱。だがその蓋を開けて中を覗き込んでみれば、悪臭漂う腐肉がみっちりと詰まっている。蛆が湧き膿が垂れ、そしてその腐肉の山の中から──ぬるりと腐った腕が伸びてきて。


「うっ……」


 尾崎は思わず僅かに後退った。


 ──なんだ今のは


 心臓が早鐘を打つ。冷たい汗が背中を伝う。


 ──何かある……この餓鬼には何かが


 尾崎は聖が見た目通りの存在ではないと本能的に理解した。


 その内側に何か途方もなく悍ましいものを飼っている──そう思った。


 だがそんな尾崎の警戒を他所に、彼の子分たちは違っていた。


 彼らには尾崎ほどの嗅覚も直感もなかった。彼らの目に映るのはただの怯えたガキ一人。絶好の獲物だ。


「おいおい、ヒーロー気取りか?」


 一人が下卑た笑いを浮かべながら聖に近づく。他の二人もそれに続きじりじりと包囲網を狭めていく。


 聖は膝をがくがくと震わせながら、それでも必死に声を絞り出した。


「に、人間同士で、その……こんなふうに争うのは……」


 またしてもこれである。この期に及んでまだそんな(アマ)な言を言っている。本当に頭の中がお花畑なのかあるいは現実が見えていないのか。どちらにせよこの魔都においては致命的な甘さである。


「あ? 争う? 馬鹿言え」


 男がせせら笑う。


「これは争いじゃねえ。狩りだよ。俺たちが狩る側でてめえらが狩られる側だ」


 男は聖の胸ぐらを掴もうと乱暴に腕を伸ばした。


 その時だった。


 バァンッ! 


 乾いた音が響き渡り聖が持っていた黒い和傘が勢いよく開いた。


 ◆


 牧村 綾香は目を見開いて“それ”を見ていた。


 痛みも恐怖も一瞬だけ忘れ去り、ただ目の前の光景に釘付けになっていた。


 聖が持っていた黒い和傘が彼の頭上にふわりと浮かび上がっている。まるで誰かが糸で吊っているかのように。


 そして傘はくるくるとゆっくりと回転を始めた。


 それも奇妙は奇妙だが、なにより奇妙なのはその傘を見上げながら何やら独り言を呟いている聖である。


「……うん、うん……でも」


「そう、なんだね……」


 まるで誰かと会話しているかのようだ。


「でも僕はこの人たちに何も……」


 牧村は耳を澄ますが、聖の声以外は何も聞こえてこない。風の音そして男たちの荒い息遣い。傘から声が発せられている様子はない。


 阿弥陀羅の男たちも困惑した様子で立ち止まっていた。


「な、なんだありゃ?」


 一人が呟く。


 明らかな異能の行使。だがその目的が分からない。ただ傘が浮いて回っているだけ──それだけだ。


 だがその光景は異様だった。不気味だった。


 男たちは警戒して様子を見ている。下手に手を出して何が起こるか分からない。


 しかし──


 いくら待っても何も起こらなかった。


 傘は相変わらずくるくると回り続け、聖は相変わらず何かを呟いている。それだけだ。


「ちっ、なんだよ脅かしやがって……!」


 男の一人が苛立たしげに叫んだ。


「ただのハッタリだ! 尾崎さん! 殺っちまいましょう!」


 男が尾崎を振り返る。


 尾崎は黙って頷いた。


 その目は依然として聖に注がれている。警戒は解いていない。だがこの膠着状態を続けるつもりもなかった。


 ──まずはあいつを餌にする。それで何が起こるかを見極める。あの餓鬼を殺るかそれともずらかるかはそれから決める


 尾崎の許可を得て男は再び聖に向かって歩き出した。今度は躊躇はない。


「死ねやガキが!」


 男が拳を振り上げる。


 その瞬間、聖がゆっくりと顔を上げた。


 その目にはまだ恐怖が残っている。だが同時に()()も混じっていた。


「……分かったよ。君を信じる」


 聖が呟く。その声は牧村の耳にも届いた。


「仕方ないよね……僕を殺そうとする人なら。僕はまだ死にたくないもの」


 そして聖が男を見た。


 同時に──


 ぎゃりり、と。そんな異音が響き渡った。


 聖の頭上でゆっくりと回っていた傘が突如としてその回転速度を上げたのだ。目で追えないほどの速さ。まるで電動の回転ノコギリのように。


 しかし“それ”は回転ノコギリなどより遥かに剣呑で遥かに凶悪だった。


 乱舞し、一瞬にして男の体をバラバラに引き裂く。


 血飛沫が舞い上がる。肉片が飛び散る。骨が砕ける音が響く。


 男は何が起こったのか理解する暇もなかっただろう。振り上げた拳は空を切り、その体は瞬く間に肉塊となって地面に叩きつけられた。


 どしゃりという音と共に静寂が訪れる。


 残ったのは濃密な血と臓物の臭い、そして──


 依然としてくるくると回り続ける黒い和傘だけだった。


 ◆


「ひっ……!」


 誰かが息を呑む音がした。


 尾崎も残った部下たちも、そして牧村も。全員がその凄惨な光景に言葉を失っていた。


 尾崎は戦慄していた。


 ──なんだあれは


 一瞬の出来事だった。だがその破壊力は尋常ではない。一人の人間がまるで挽肉製造機にかけられたかのように跡形もなく解体されてしまったのだ。


 あの黒い和傘。あれがこの惨劇を引き起こした。


「ば、化け物……!」


 部下の一人が震える声で言った。


 その言葉が引き金となった。


「う、うわあああああっ!」


 恐怖が限界を超えたもう一人が、狂ったように叫びながら聖に殴りかかった。


 尾崎が制止する間もなかった。


「馬鹿野郎! 待て!」


 だが男の耳にはもう何も届いていない。


 そして先ほどと同じように襲いかかってきた男を一瞬で細切れにした。

 

 二度目の血飛沫が舞う。肉片がアスファルトに叩きつけられる生々しい音。


 残るは尾崎と腰を抜かしている最後の一人だけとなった。


「ひっ、ひいいいっ!」


 子分の男は情けない悲鳴を上げ這うようにして逃げ出そうとするが、足がもつれて動けない。


 尾崎は聖を凝視した。


 聖は青ざめた顔で立ち尽くしているが、尾崎には分かる。


 ──あ、あの餓鬼ッ!!


 子分たちをバラバラのミンチにしたのが聖である、というのは明らかだ。それは分かる。だが、尾崎が戦慄したのは、聖が()()()()()()()と思っている点である。


 ──あの餓鬼は、人間をバラバラにすることに少しも罪悪感なんてものを覚えてねぇ。顔色が悪いのは、単にグロい光景が苦手だったからとか、そういう理由なんだろう


 擬態か、畜生が。人畜無害な面しやがって──と尾崎は歯をかみしめた。


 そんな尾崎の内心を知らない聖は、更に尾崎の神経を逆撫でするような事を言う。

 

「……もう、やめてください。これ以上誰も傷つけたくないんです」


 尾崎は思わず吹き出しそうになった。


 ──どの口が言う。すでに二人もミンチにしておいて


 だが聖の表情は真剣そのものだった。


 ──こいつ本気で言ってやがる


 尾崎は聖の異常性を改めて認識した。


 銃口を向けたままじりじりと後退る。


「……分かった。分かったよ。もう何もしねえ」


 尾崎は両手を上げ降伏の意を示した。プライドなどかなぐり捨てて生き延びることを優先した。この場を切り抜ければいくらでもやり直せる。ボスの力を借りればこんな餓鬼いつでも殺せる。


 そう自分に言い聞かせながら尾崎はゆっくりと踵を返そうとした。


 その時。


「あ」


 聖が小さく声を漏らした。


 そして困ったような顔で尾崎を見た。


「ごめんなさい。その、お姉さんが」


 お姉さん?


 尾崎がその言葉の意味を理解する前に、首が1080度──要するに、三回転して死んだ。


 回転する視界の中、尾崎が最期に見たモノ、それは。


 赤黒く、悍ましい何かが口を開けて──


 ◆


 そう、尾崎が感じた通り、御堂 聖は異常だ。まあ彼の善性は一見すると美徳のように見える。人を傷つけたくない。誰も死んでほしくない。みんなが平和に暮らせればいい──そう願う心は、確かに善良なものだ。


 しかし聖の善性は、その根底において致命的に歪んでいる。


 その歪みがどんなものかを尾崎は感覚的に理解した。しかし、そんな理解も彼の命を守る役には立たなかったようだ。


 

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