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お姉さんと僕  作者: 埴輪庭
第2章
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第31話「魔都の夜①」

 ◆


 深夜二時四十七分。

 永田町、首相公邸の執務室。


 防弾ガラスの向こうには眠れる大都市の光が星屑のように広がっている。

 その光の海を一人の男が静かに見下ろしていた。


 氷室兼続。

 この国の頂点に立つ現内閣総理大臣である。

 革張りの椅子に深く身を沈めた氷室の表情は、闇に溶けて窺い知れない。


 やがて、音もなく執務室の扉が開いた。

 影のように滑り込んできたのは痩身の男だ。


 久我山 丈二。

 首相補佐官として、氷室の影となり腕となってきた男だ。


「総理」


 久我山は氷室の背後に立つと、深く頭を垂れた。


「報告を」


 氷室は夜景から視線を外すことなく低い声で促す。


「はっ。内閣情報調査室、及び霊異対策本部からの定時報告です」


 久我山は手にしたタブレット端末を操作しながら、淡々と述べ始めた。


「昨二十一時頃をピークに、都内全域で観測された霊波の異常上昇は完全に収束。現在は平常値に復しております」


「被害は」

「死者一名、重傷者三名、軽傷者二十七名。いずれも単独出現型の怪異によるものと断定されました」


 氷室は何も言わない。

 ただ黙って報告の続きを待っている。


「また、昨今の異常発生に伴い、都内の複数の異能者グループに活発な動きが確認されております」


 久我山の指が端末の画面を滑る。


「特に注目すべきは、高校生を中心とした小規模グループの活動です。彼らは今回の異常発生以前より、都内の怪異発生地点を独自に調査し、ハザードマップを作成していた形跡が」


「……高校生、か」


 氷室の唇から、初めて感情らしきものが漏れた。


「その中にはあの眞原井家の御令嬢も含まれております。それに──」

「麗華は?」


 久我山の報告に被せる様にして氷室が問う。

 その声は父親として娘の動向を尋ねる響きではなかった。


「お嬢様は……まあ、お転婆といいますか」


 久我山は慎重に言葉を選んだ。


「例の高校に潜入し、オカルト研究会の部長として活動を続けておられます。今回の件でも部員を扇動し都庁周辺の霊的調査を行おうとした形跡が」


「そうか」

「はい。ただ……お嬢様の周辺を監視させていた調査員からの報告によりますと、高度な認識阻害を受けていた形跡があった、と。さすが、と言わざるを得ませんな」


 祟家の血。

 この国で最も古く、最も強い霊的血脈の一つ。

 その直系である麗華の力は非常に強い。


 氷室はゆっくりと椅子を回転させ、初めて久我山の方へと向き直った。

 底なしの沼のように深く暗い瞳に、首相補佐官として辣腕を振るってきた久我山は肝を冷やす。


「久我山」

「はっ」

「都庁へ向かえ」


 その命令に久我山の眉が微かに動いた。


 首相補佐官が都庁へ出向く──それは通常の行政手続きではありえない人事だった。

 首相補佐官とは特定の重要政策について総理大臣を直接補佐するために任命される特別職国家公務員だ。

 行政組織間の人事交流の対象となるような役職では断じてない。


 だが、この国が直面しているのは“平時”ではない。


 霊的国防という未曾有の国難において、法律や前例は時に無力だ。

 総理大臣の特権として補佐官に特殊任務を命じることは、超法規的措置として認められている。


 問題はその任務の内容であった。


「麗華は必ず止めに来る」


 氷室の声には絶対的な確信がこもっていた。


「それがアレの宿命だ。ここへきて余計な茶々を入れられてはかなわん。お前が止めろ、久我山」


 久我山は息を呑んだ。


「しかし……私が出向くとなりますと、お嬢様は無事では──」


 久我山の言葉を、氷室は冷たく遮った。


「構わん」


 その声には、一片の情も揺らぎもなかった。


「大義の為である」


 執務室の空気が凍る。

 非情。

 あまりにも非情な決断。

 だが、この男ならば言い切るだろう。

 久我山は目の前の主君がそういう人間であることを、誰よりもよく知っていた。


 しばしの沈黙の後、久我山は深く、深く頭を下げた。


「──かしこまりました」


 その声にもはや迷いはなかった。

 久我山は身を翻し、音もなく執務室を退室していく。


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