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お姉さんと僕  作者: 埴輪庭
第2章

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第23話「日常⑯(聖、お姉さん、佐原 裕、眞原井 アリス)」

 ◆


 退院。


 天気は快晴だ。一週間ぶりの外の空気が、肺いっぱいに広がっていく。

 病院特有の消毒液の匂いから解放されて、世界が急に色鮮やかになったような気がした。


「聖君、忘れ物はない?」


 悦子さんが心配そうに聞いてくる。

 手には大きなトートバッグ。僕の着替えやら見舞いの品やらでパンパンになっている。


「大丈夫です。ありがとうございます」


 茂さんが車のエンジンをかけた。


「さあ、帰ろうか」


 助手席に悦子さん、後部座席に僕。

 いつもの配置だ。


 車が動き出すと、窓の外の景色が流れ始める。


 ◆


 翌朝、久しぶりの登校。


 制服の袖に腕を通すと、なんだか新鮮な気分になる。

 クロは洗面器の中で、ぷるりと震えて見送ってくれた。

 サイズはまだ小さい。

 ただ昨晩ソーセージを何本かあげたら少し大きくなったから、またすぐ元のサイズに戻るだろう。


「行ってきます」


 玄関で声をかけると、「行ってらっしゃい」と悦子さんの声が返ってきた。


 ──大丈夫、今日は何も起きない


 登校中、そう自分に言い聞かせる。

 でも、最近は何も起きない日の方が珍しいんだけど……。

 登下校は本当に要注意だ。


 教室のドアを開けた瞬間、いつもの喧騒が耳に飛び込んできた。


「おっ、聖!」


 裕が真っ先に気づいて手を振る。


「退院したんだな!」

「うん、昨日」


 席に鞄を置きながら答える。


「調子はどうですの?」


 アリスも心配そうに聞いてくる。

 エメラルドグリーンの瞳がじっと僕を見つめていた。


「もう大丈夫だよ。心配かけてごめん」


「謝ることではありませんわ」


 アリスが首を横に振る。

 そこへ、金髪を揺らしながら相沢さんがやってきた。


「あ、聖くん退院したんだ!」

「おかげさまで」

「雑誌、役に立った?」


 にやにやしながら聞いてくる。


 ──あのファッション雑誌か


「う、うん。勉強になったよ」

「でしょー? で、黒髪ロングの子、誰か分かった?」

「……まだ」


 正直、全然分からない。

 相沢さんはクスクス笑った。


「鈍いなぁ。ヒントあげよっか?」

「え、いいの?」

「うーん、でもやっぱやーめた!」


 意地悪な笑顔を残して、相沢さんは自分の席に戻っていった。

 チャイムが鳴って、担任の先生が入ってくる。


「御堂、退院したんだな」


 先生が僕を見て言った。


「はい」

「無理するなよ。何かあったらすぐ言え」


 本田君の件もあるし、先生も神経質になっているんだろう。


 ◆


 昼休み。


 僕はアリス、裕と一緒に屋上に向かっていた。


 屋上のドアを開けると、風が吹き抜け、髪が乱れて目に入る。


「いい天気ですわね」


 アリスが空を見上げる。

 雲一つない青空だ。


「じゃあ、始めましょうか」


 アリスが僕の方を向く。


「手を出してくださいませ」

「う、うん」


 言われた通りに右手を差し出す。

 アリスがその手を両手で包むように握った。

 柔らかくて、少しひんやりとした感触。


「目を閉じて、集中してください」


 目を閉じる。

 風の音だけが聞こえて──

 むず痒いような、くすぐったいような感覚が手のひらから広がってきた。

 まるで温かい炭酸水の泡が肌の上で弾けているみたいだ。


「感じますか?」


 アリスの声が聞こえる。


「うん……なんか、ぴりぴりする」

「それです」


 目を開けると、アリスが微笑んでいた。


「以前もやりましたけれど、"これ"は色々な呼び方がありますわ」


 説明を始めるアリス。


「あるところでは"霊力"と呼んだり、"精神力"と呼んだり。"気"だったり、まあそういうモノです」

「アリスは何て呼んでるの?」

「わたくしなどは"気"と呼んでいますね。ただ、正解はありません。西欧では"魔力"と呼んだりする事もありますわよ」


 なるほど。

 なんだかゲームみたいだな。


「今日の訓練は、これをより深く、正確に感じ取ることです」


 アリスが手を離した。

 途端に、あの感覚も消えてしまう。


「一人でも感じられるようになる必要がありますわ」


 確かにそうだ。

 いつもアリスがいるわけじゃないし。


「慣れてくれば目に見えるようにもなりますわよ」

「見える?」

「ええ。そしてもっと慣れてくれば、その気の持ち主がどんな存在かが分かってきます」


 アリスの説明は続く。


「これはなかなか言葉では説明しづらいのですけれど……」


 考えるような素振りを見せてから、アリスは続けた。


「更に慣れてくればもっと色んな事ができる様になりますわ」

「例えば?」

「例えば──」


 アリスはポケットから小石を取り出した。

 灰色の、どこにでもあるような石。


「これ、別に特別なものではなくその辺で拾ってきたものなんですけれど、自分の力だけで砕けますか? 叩きつけたりしたら駄目ですわよ」


 そういってアリスが石を渡してくる。

 いや、さすがにそれは。

 僕はそう思うが、一応石を受け取って、握りしめたり指に力を込めてみたりする。

 もちろん砕けない。


「俺にもやらせてくれよ」


 今度は裕がチャレンジするが。


「うーん……無理だな……」


 うん、と頷いて今度はアリスがそれを人差し指と親指でつまむと──


 パキッ。

 乾いた音と共に、石が粉々に砕けた。


「す、すごい!」


 思わず声が出る。

 まるで映画のワンシーンみたいだ。


 アリスは少し照れるように笑った。


「本気を出せば、軽自動車くらいなら殴り飛ばせますわよ。エクソシストというのは、生身で悪魔と殴り合ったりする事もありますから、まあこのくらいなら朝飯前ですわね」


 そして続ける。


「よく映画でもあるでしょう? 先達は皆、気により肉体を強化していますのよ。Redflixの『ヴァチカンの聖戦士』はご存じ?」


 知っている。エクソシストものの映画で、神父が悪魔に取り憑かれた人と殴り合うホラー・バトルアクション映画だ。

 主演のマルセル・クロウが実際にヴァチカンのヨハネス聖騎士団に所属している聖騎士ということもあり、日本でも結構話題になった。

 僕も観た事がある。


「さすがに悪魔は本物ではありませんけれどね。あの映画の主人公、トマス神父が素手で石壁を殴り砕いたりしていたのは、特殊効果でもなんでもありませんのよ。あれは実際に肉体強化した上で本当に石壁を破壊したのです」

 

「俺はそんな事できねえけど……」


 黙って見ていた裕がぽつりと言った。

 いうまでもなく、裕にも異能はある。

 その裕が出来ないっていう事は、アリスみたいなエクソシストにしか出来ない事なのかな? 


「まあそこは力の使い方や向き不向きの問題ですわ」


 アリスが裕の方を見る。


「わたくしも気の扱いには慣れていても、火を出す事はできません」

「そりゃそうか」


 裕が苦笑する。


「御堂君の場合は、そうですわね……」


 アリスが僕を見つめる。


「わたくしでも分からないような、相手のもっと深い部分を知る事が出来たり──するかもしれませんわね」


 深い部分を知る。

 それってどういうことだろう。


「いずれにしても、力の使い方、感じ方は覚えておくべきですわよ」


 アリスの言葉は真剣だった。

 その後、一時間ほど訓練は続いた。


 集中して、気を感じようとする。

 でも一人だとなかなか難しい。

 ほんの少し、指先がぴりぴりするような気がする程度だ。


「最初はそんなものですわ」


 アリスが励ましてくれる。


「毎日続ければ、必ず感じられるようになります」


 そうだといいんだけど。


 ◆


 放課後は三人で一緒に帰ることにした。

 校門を出て、いつもの通学路を歩く。


 でも──


 商店街の入り口で、ふと違和感を覚えた。

 なんだろう、この感じ。


「どうした?」


 裕が立ち止まった僕を見て聞く。


「いや……なんか、変じゃない?」

「変って?」

「その、膜というか、水の中というか──」


 上手く説明できない。

 でも確かに何かがおかしい。

 空気全体が薄い膜を隔てたように感じる。

 現実感が薄れているというか。


「気のせいだろ?」


 裕があっさりと言う。


「退院したばっかりだし、疲れてんじゃね?」

「そうかな……」


 アリスも周囲を見回していたけど、特に何も言わなかった。


 ──僕の気のせいか


 そう思うことにして、再び歩き始める。

 でも、胸の奥のもやもやは消えなかった。


 家に着いて、悦子さんに「ただいま」と声をかける。


「おかえりなさい。お友達は?」

「今日は来てないよ」

「そう。おやつがあるから食べていきなさい」


 リビングのテーブルには緑色のクッキーが置いてあった。

 今度は何だろう……と思いながら一口。


 ──あ、抹茶か。美味しい


 ◆


 その夜は布団に入ってもなかなか寝付けなかった。

 昼間の違和感がまだ残っている。

 本当に気のせいだったんだろうか。


 茂さんが言っていた霊媒体質と関係があるのかも。


 ──()を引き寄せる力


 その言葉が頭の中でぐるぐる回る。

 いつの間にか、意識が沈んでいき──気がつくと、黄金色の世界にいた。


 見渡す限り稲穂が広がっている。

 風が吹くたびに、さらさらと優しい音を立てる。


「聖君」


 振り返ると、お姉さんが立っていた。

 白いワンピース姿で、長い黒髪が風になびいている。


「お姉さん」


 気がつくと、僕たちは手を繋いで歩いていた。

 なんだかコマ送りしたような感じだ。

 夢の中ならそんなものなんだろうか。

 でも本当に夢なのかな、やけにリアリティがある。


 歩きながら周囲を見回すと、前に来た時と少し違う気がする。


「あれ?」


 遠くに古びた木造の平屋が見えた。


 こんなのあったっけ? 


 それに、少し先には黒い水が湛えられた池もある。

 不思議だな、と思うけど夢だからそういうこともあるのかな。


「見て、聖君」


 お姉さんが空を指さす。

 見上げると、青い空の遥か彼方に黒い雲が広がっていた。

 まるで墨を流したような、不吉な色。


「あれは……」

「聖君も気付いているのね」


 お姉さんがそう言いながら、急に立ち止まった。

 そして僕の前にしゃがみ込むと、細い指で僕の胸の中心をつついた。


「ここで」


 長くて綺麗な人差し指に、思わず見惚れてしまう。

 すると、お姉さんは微笑みながら掌全体で僕の胸を撫で始めた。

 ゆっくりと、円を描くように。


「あ……」


 なんだか変な感じだ。

 くすぐったいような、恥ずかしいような。

 お姉さんの手が、服の上から僕の心臓の鼓動を確かめるように動く。

 顔が熱くなってくる。


「お、お姉さん?」

「ふふ……照れてるの?」


 お姉さんが悪戯っぽく笑う。

 その笑顔があまりにも綺麗で、ますます恥ずかしくなる。

 それにしても、気付いているってどういう事だろう。

 あの雲の事だろうか。

 あの黒い雲が良くないものだということは、なんとなく分かるけれど。

 不吉で、恐ろしくて、全てを飲み込んでしまいそうな──


「"この先"はきっと大変だろうけれど」


 お姉さんの声で我に返る。


「私が傍にいるから」


 そう言って、お姉さんは急に僕を抱きしめた。

 柔らかい体が密着して、甘い香りに包まれる。


「でも、聖君も強くならなければ駄目だからね」


 耳元で囁かれる。

 吐息が耳に触れて、ぞわっと背筋が震える。


「そうじゃないと──」


 言葉を切って、お姉さんはもっと強く僕を抱きしめた。

 まるで離したくないとでも言うように。


「いつも短い間しか逢えないのは寂しいもの。聖君が強くなれば、私ももっと現世(そちら)に長く居れるから──」


 視界がぼやけ始める。

 世界が溶けていく。


「ま、待って……」


 声を出そうとするけど、出ない。

 お姉さんの姿も薄れていく。

 でも最後に、お姉さんの唇が動くのが見えた。


 何か言っている。

 でも聞こえない。

 そして──


 ◆


 目が覚めると、いつもの天井。窓から朝日が差し込んでいる。


 夢か。

 でも、やけにリアルな夢だった。


 胸に手を当てる──お姉さんが触れた場所がまだ温かいような気がした

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