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お姉さんと僕  作者: 埴輪庭
第2章
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第21話「日常⑭(日下部 茂、日下部 悦子)」

 ◆


 病院の駐車場を出て、茂は慣れた手つきでハンドルを切った。


 助手席には悦子が座り、ハンドバッグを膝の上に置いている。


 小さくなってしまったクロが中に潜んでいる。


 クロは病室に残りたがったが、さすがにそれは医者から却下されてしまった。


 信号で停車した時、茂は深く息をついた。


 聖は無事だった。


 今回もまた、運良く。


 だがその事実が、かえって茂の胸に重くのしかかる。


 ──いつまで幸運が続くのか


 青信号に変わり、アクセルを踏む。


 夕暮れ時の道路は混雑していたが、茂は機械的に車線変更を繰り返しながら、頭の中では別のことを考えていた。


 今回の事件。


 聖の家に現れた怪物について、既に霊捜から報告が上がっている。


 残留霊子の分析結果によれば、あの怪物は"天邪鬼"に酷似していたという。


 天邪鬼──アマンジャク。


 または天逆神アマノサクガミ天雑魚アマノザコとも呼ばれる日本古来の悪鬼だ。


 人の姿を真似て騙し、その肉を喰らうという伝承が各地に残されている。特に、その者にとって親しい人物の姿を模すことで油断させ、捕食するという手口が特徴的だ。


 もちろん古来から伝わる天邪鬼そのものではなく、想念が形を得たモノだ。


 天邪鬼という概念自体は既に人々の集合的無意識に刻まれている。


 人々の恐怖がより具体的・集団的になり、想念が形を得やすい環境にある昨今、そうした魔が人前に出てきているのだ。


 だが、霊捜の報告書にはこうも記されていた。


『純粋な天邪鬼とは言い難い要素も確認される。都市伝説的な特徴も混在しており、いわゆるハイブリッド型と推測される』


 ハイブリッド。


 古来の妖怪と現代の都市伝説が融合した、新種の怪異。


 最近増えているタイプだ。


 そしてこの怪物が引き起こしたと思われる事件は、聖の家だけではなかった。


 過去一週間で、周辺地域で三件の行方不明事件が発生している。


 いずれも自宅から忽然と姿を消し、現場には争った形跡と、僅かな血痕だけが残されていた。


 恐らくは──


 茂は眉間に皺を寄せた。


 喰われたのだろう。


 あの怪物に。


 もし聖の友人たちが居合わせなかったら、聖も同じ運命を辿っていたかもしれない。


 ハンドルを握る手に無意識に力が入る。


 そして、聖の友人たち──佐原 裕、眞原井 アリスの証言にあった"傘"のことも気になっていた。


 聖の傘が変化し、怪物を倒したという。


 茂は内心で舌打ちした。


 自身の中にある「知らなければより安全」という理屈が崩壊したからだ。


 聖が自身の“無能”に悩んでいた事は知っていたが、同時に茂は聖に霊媒としての資質があることも知っていた。


 だがそれは言わなかった。


 制御を誤れば、宿した魔に喰われる危険な資質だからだ。


 自身の力に無自覚でいる事も危険は危険だが、自ら近づこうとするよりはマシである。


 その辺の無害な浮遊霊か何かと交渉を始めて、しまいには危険な魔に接触しようとする事もあり得るではないか。


 今回は偶然うまくいっただけかもしれない。


 次も同じように助かる保証はどこにもない。


 茂の脳裏に、親友である定史サダフミの顔が浮かんだ。


 あの男が聖を預けてきた時のことを思い出す。


『義理の息子なんだ。頼む、預かってくれ』


 詳しい事情も聞いたが、それでも茂と悦子は聖を自分たちの息子として育てることを決めた。


 血の繋がりなど関係ない。


 大切な家族だ。


 だが──


 もしかしたら自分たちのような一般人の元では、聖を守りきれないのではないか。


 もっと力のある異能者の元へ預けるべきなのではないか。


 幸い、茂には高野グループの高僧との伝手がある。


 彼らなら、聖の力を正しく導き、制御する術を教えられるはずだ。


 そんな考えが頭をよぎった時──


「嫌ですよ、あなた」


 悦子の声が、静かに響いた。


 茂は一瞬、ドキリとした。


 まるで心を読まれたような気分だ。


「……何がだい?」


 とぼけてみるが、悦子には通じない。


「あの子は私たちの息子じゃありませんか」


 悦子の声は穏やかだが、強い芯を感じる。


「確かにこのままじゃ駄目だと思いますけれど」


 彼女は続ける。


「例えば私たちがもっと安全な場所へ引っ越したり、力の強い人たちにあの子と私たち自身を守る方法を教えてもらうとか……」


 悦子の提案は、現実的なようで非現実的だった。


 引っ越したところで、聖の資質は変わらない。


 守る方法を教わったところで、限界がある。


「俺はまだ何も言っていないが……」


 茂が苦笑を浮かべる。


「あなたの顔を見ればわかりますよ」


 悦子はクスリと笑った。


 長年連れ添った夫婦だ。


 隠し事など出来るはずもない。


 信号で再び停車する。


 茂は前を見つめたまま、悦子の言葉を待った。


「それに、私たちからあの子を離すと、あの子は私たちから捨てられたと思うのじゃなくて?」


 その言葉に、茂の胸が痛む。


「あの子が私たちの家に来た時の様子を思い出してくださいな」


 初めて聖が日下部家に来た日。


 小さなボストンバッグ一つだけを抱えて、玄関で所在なさげに立っていた少年。


 怯えたような、諦めたような、そんな表情をしていた。


 まるで、また捨てられるのを覚悟しているかのように。


 茂には言い返す言葉がなかった。


 自分も聖を息子だと思っているからだ。


 血は繋がっていない。


 でも、それがどうした。


 家族とは血縁だけで決まるものじゃない。


 共に過ごした時間、積み重ねた思い出、互いを想う気持ち。


 それこそが家族の証だ。


 沈黙が車内を包む。


 エンジンの音と、遠くを走る車の音だけが聞こえる。


 やがて悦子が口を開いた。


「……歪んでいる、とは自分でも思うんですけれどねえ」


 その声には自嘲の色が混じっていた。


 仕方ない、と茂は思う。


 茂と悦子の間には子供がいない。


 いや、出来ないのだ。


 茂にも悦子にも、双方がそれぞれの理由で子供をつくる能力に瑕疵がある。


 病院を転々とし、様々な治療を試みた。


 でも結果は変わらなかった。


 何もかもうまくいかなくて、それで二人の関係すら崩れようとし始めていた頃に定史が聖を連れてきたのだ。


 運命だと思った。


 この子は自分たちの元に来るべくして来たのだと。


 だからこそ、手放したくない。


 例え危険が伴おうとも。


 信号が青に変わり、茂は再び車を走らせる。


 住宅街に入り、見慣れた風景が流れていく。


 もうすぐ家だ。


「だが」


 茂は口を開いた。


「あの子の力をあの子自身がしっかり制御できるようにならなければならない。あの子自身で身を守れる様に。受動的に力を使うようでは駄目だ」


 ハンドルを切りながら続ける。


「じゃないといずれ、あの子は自分の力に殺されてしまう」


 それは脅しではない。


 事実だ。


 制御できない異能は、本人を蝕む毒となる。


 特に霊媒系の能力は精神に与える負荷が大きい。


「そうならないためにも、今後は聖には少々厳しく接する事もあるかもしれない」


 茂の声は真剣だった。


 もう甘やかしている場合じゃない。


 聖の命がかかっているのだから。


「あなたが鞭なら、私は飴ね」


 悦子があっさりと言う。


 その調子の軽さに、茂は思わず苦笑した。


「自分だけ良いところを取ろうとして」


 車が自宅の前に差し掛かる。


 茂はウインカーを出しながら続けた。


「学生時代から変わってないな」


「あら、それを言うなら」


 悦子が振り返る。


「あなたこそ、心配性なところは昔から変わっていないわ」


 互いに笑い合う。


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