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お姉さんと僕  作者: 埴輪庭
第2章

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第19話「唐笠忌憚:暗い家⑤」

 ◆


 唐傘お化け。


 それは日本という国がまだ闇に満ちていた時代から、人々の間で語り継がれてきた妖怪の一種である。

 打ち捨てられた古き器物に、積もり積もった人の怨念や無念が宿り、新たな生命を得たもの──付喪神つくもがみと呼ばれる怪異の一類型。


 唐傘に限らず、古びた道具が化けたという伝承は数多い。

 だがこの唐笠お化けという存在は、その中でも極めて異質であった。


 広くその名を知られながら、特定の地域に根差した具体的な縁起や伝承がほとんど残されていないのだ。

 絵には存在する。

 書物にも名前くらいは出る。

 だがそれだけだ。

 由来がない、来歴がない。

 伝承を伴わない創作話のみに登場する妖怪とする説もある。


 それはつまり、この怪異が特定の場所に縛られないという証明に他ならない。

 

 “どこにでもいる”。

 “いつでもどこでも遭遇しうる”。

 

 そういった、いわば概念そのものに近い魔。

 

 そしてこの魔は決して強大で恐ろしい存在として畏れられているわけでもなかった。


 なぜか。


 何か暴虐を為すわけでもなく、人に害を与えるわけでもないからだ。古くとも、所詮は付喪神である。驚かすのが精々だし、由来自体も邪悪なものではない。


 それに、単純にそこまでの力がないからという理由もあるのだろう。

 力の本質があまりにも広範囲に、そして希薄に拡散してしまっていては無理もない。


 しかし──

 もしその薄く広がった霧が一つの場所に集い、凝り固まったならどうなるか。


 §


 童めいた甲高いな嗤い声が闇に響いた。


 “それ”も決して弱い魔ではない。

 その原型は唐笠お化けと同じく、この国で広く知れ渡る古き鬼。

 その骨格に現代の都市伝説という歪な肉がつき、人々の歪んだ想念という毒を注ぎ込まれた、いわばハイブリッド。


 そういった異形の魔は、多様な耐性を獲得していることが多い。

 従来の祓魔の常識が通用しないのだ。

 事実、エクソシストである眞原井アリスですら、都市伝説を由来とする怪異に苦戦を強いられた過去がある。


 だが。


 だからこそ強いのかと問われれば、それもまた疑問であった。

 幽世かくりよに属する存在の力の源泉は、もっと根源的で、単純シンプルなものにこそ宿る。


 しかして唐笠お化けはどうか。


 まず、何よりも“古い”。

 そして、この国に生きる者であれば、誰もがその存在を“知っている”。


 それだけ。


 だが、幽世のことわりにおいては──それだけで、十分過ぎるのだ。


 §


 蹂躙、という言葉ですら生温い。


 ケラケラケラケラ! 


 甲高い笑い声と共に、唐笠小僧は跳ねた。

 巨大な一本足が大地を蹴り、その巨体がおよそあり得べからざる敏捷さで宙を舞う。


「グヂャアアアアアアッ!?」


 怪物の絶叫(さけび)が闇に木霊した。

 唐笠小僧がその巨体を独楽のように回転させながら、怪物の右腕に激突したのだ。

 ばさり、と傘が開閉する。

 その一瞬の動きが、怪物の腕を根元から断ち切っていた。


 肉を裂き、骨を砕く鈍い音。

 噴水のようにどす黒い血が噴き上がり、血の月に照らされたアスファルトを濡らす。


「な……」


 裕が息を呑む。

 あまりの光景に、言葉を失っていた。


 唐笠小僧の攻撃は止まらない。

 着地と同時に再び跳躍。

 今度は怪物の左腕を、同じように傘の縁で削ぎ落とした。


 両腕を失い、だるまのようになった怪物が、それでもなお憎悪に満ちた目で聖を睨みつける。

 その口が大きく開き、何かを叫ぼうとした。


 だが、音になる前に。

 唐笠小僧が怪物の顔面に、その一本足で強烈な蹴りを叩き込んだ。


 ゴシャッ! 


 生々しい破壊音。

 巨大な頭蓋が、熟れた果実のように砕け散る。

 脳漿と、眼球と、無数の歯が、闇の中へと飛び散った。


 ケラケラ、ケラケラケラケラケラ! 


 まるで最高に面白い玩具を見つけた子供のように。

 唐笠小僧は、もはやただの肉塊と化した怪物を、飽きることなく踏みつけ、蹴り飛ばし続ける。

 ぐちゃ、ぐちゃ、と不快な音が響き渡る。

 アスファルトが、黒い血と肉片で見るも無残な有様に変わっていく。


「おい、おい……なんだよ、これ……」


 裕の声が震えていた。

 目の前で繰り広げられる一方的な虐殺。

 それは戦闘ですらなかった。

 ただ、無慈悲な破壊。


 アリスもまた、その光景から目が離せずにいた。

 背筋を冷たい汗が伝う。

 これが、唐笠お化け。

 古い妖怪が秘めた、根源的な“力”。


 裕の炎を、アリスの剣を物ともしなかった怪物が、赤子の手をひねるように蹂躙されていく。

 格が違う。

 存在の“古さ”が、格の違いとなって現れている。


 やがて。

 怪物の残骸が、もはや原型を留めないほどに破壊し尽くされると、唐笠小僧はようやくその動きを止めた。


 ケラ……、と満足げな笑い声が一つ、闇に響く。


 そして。

 唐笠小僧はゆっくりと、二人にその“顔”を向けた。


 傘の表面。

 黒い和紙の真ん中が、ぬらりと蠢く。

 そこから巨大な一つの目玉が、ゆっくりと開かれていった。


 充血した白目。

 垂直に裂けた、猫のような黒い瞳。


 その巨大な眼球がぎょろりと動いて、裕とアリスをその視界に捉えた。


 §


 空気が凍る。


 裕は咄嗟に身構えた。

 両の拳に再び炎を宿らせる。

 目の前の存在は、間違いなく味方ではない。

 聖の傘が変じたものだとしても、あれは制御不能の厄災だ。


 アリスもまた、聖水の剣を握りしめる。

 全身の神経を研ぎ澄ませ、相手の次の一手に備えていた。

 あの巨大な目玉から放たれる視線は、凄まじい圧力を伴い二人を襲う。


 だが。


 唐笠小僧は、二人を傷つけようとはしなかった。


 ただ、じっと二人を見つめたまま。


 くるり、と。


 その場で、唐突に回り始めたのだ。


 ケラケラケラ! 


 再び、子供の無邪気な笑い声が響く。

 巨大な傘が、まるで少女が日傘を回して遊ぶかのように、軽やかに回転する。


 その動きはどこか楽しげでさえあった。

 そしてその回転に合わせて、世界が揺らぎ始めた。


 ひび割れたアスファルトが、元のキッチンの床へと戻っていく。

 明滅していた街灯は消え、代わりにリビングの柔らかな照明が現れる。


 血のように赤かった月は、いつの間にか姿を消していた。

 壁が、天井が、見慣れた家の風景が、闇の向こうからせり上がってくる。


 異常領域が薄れていく。

 傘が回れば回るほど、この悪夢のような世界は元の日常へと巻き戻されていった。


 裕とアリスは、ただ呆然とその光景を見つめるしかなかった。

 回転する傘が世界の理そのものを書き換えていく。


 やがて傘の回転がゆっくりと止まる。

 世界は完全に元の姿を取り戻していた。

 テーブルも、椅子も、シンクも、すべてが元あった場所にある。


 ただ床にはあの怪物のものだった黒い染みが僅かに残っているだけ。


 そして──。


 背後で、何かが倒れる小さな音がした。

 二人が弾かれたように振り返る。


 そこには──聖が、糸の切れた人形のように倒れていた。

 その傍らには一本の和傘が静かに転がっている。

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