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お姉さんと僕  作者: 埴輪庭
第2章
40/99

第7話「日常⑩(聖、日下部 悦子、クロ)」

 ◆


 窓を打つ雨音で目が覚めた。


 時計を見ると朝の七時過ぎ。


 普段なら学校の準備をしている時間だけど、今日は土曜日だ。


 カーテンの隙間から覗く空は鈍色に沈んでいて、雨脚は強くなったり弱くなったりを繰り返している。


「おはよう、クロ」


 洗面器に目をやると、クロがぷるりと震えた。


 いつもの挨拶代わりの反応だ。


 でも今朝は何か違う。


 クロの表面に小さな波紋が広がって、まるで雨音に呼応しているみたいだった。


 僕は布団から出て、洗面器の前にしゃがみ込む。


「雨、好きなの?」


 そう聞くと、クロは大きく体を膨らませた。


 これはイエスの意味──そう解釈していたけど、ふと気になることがあった。


 試しに、わざと暗い声で聞いてみる。


「雨、好きなの?」


 すると、クロは今度は小さく縮こまった。


 質問の内容は同じなのに反応が違う。 


 もう一度、今度は明るい声で。


「雨、嫌いなんだね!」


 クロは再び大きく膨らんだ。


 ──おかしい。


 言葉の意味で言えば「嫌い」と言っているのに、クロは僕の明るい声調に反応して肯定的な動きをしている。


 そういえば、これまでもこんなことがあったような気がする。


 昨日の夜、疲れて「おやすみ」と言った時のクロの反応は控えめだった。


 でも一昨日、楽しい気分で同じ「おやすみ」を言った時は、クロは大きく波打って応えてくれた。


 同じ言葉なのに反応が違う。


 もしかしてクロは僕の言葉そのものじゃなくて、言葉に込められた感情を理解しているんじゃないか。


 雨音は──実際は雨が好きとかじゃなくて単に音に反応しているだけとか。


 試してみよう。


 僕は机の引き出しからメモ用紙を取り出して、くしゃくしゃに丸めた。


「クロ、これ取ってきて」


 紙の玉を部屋の隅に向かって軽く投げる。


 クロは洗面器から素早く這い出て、紙玉に向かって流れるように移動した。


 そして紙玉を包み込むと──


「あ、待って! 食べないで!」


 慌てて声をかけたけど、遅かった。


 紙玉はクロの体内で溶けて消えてしまった。


 なるほど、ただ投げただけだと餌だと思うのか。


 もう一度、今度は違うアプローチで試してみる。


 新しい紙を丸めて、クロに見せながら言った。


「これを取ってきてほしいな。でも食べちゃダメだよ」


 できるだけ優しく、期待を込めた気持ちで伝える。


 紙玉を投げた。


 クロは今度も素早く移動して紙玉を包み込んだけど──食べなかった。


 代わりに、紙玉を体内に保持したまま僕の元へ戻ってきて、ぺとりと紙玉を床に置いた。


「すごい! ちゃんと理解してる!」


 思わず声が大きくなる。


 クロがぶるんと嬉しそうに震えた。


 この反応も、僕の喜びに共鳴しているように見える。


 スマホを取り出してネットで検索してみる。


「スライム 芸 指示 理解」


 いろんなキーワードで調べたけど、スライムがここまで複雑な指示を理解するという記事は見つからなかった。


 せいぜい「餌の場所を覚える」とか「飼い主を認識する」程度の記述しかない。


 クロは特別なんだ。


 改めてそう思った。


 ◆


 それから一時間ほど、僕はクロの能力をいろいろ試してみた。


「右に回って」と言えば右回転するし、「ゆっくり動いて」と言えばのろのろと移動する。


「大きくなって」と言うと限界まで薄く広がり、「小さくなって」と言うとビー玉サイズまで縮む。


 特に驚いたのは、感情を込めた指示への反応だ。


 悲しい気持ちを込めて「こっちに来て」と言うと、クロはゆっくりと、まるで慰めるように近づいてくる。


 楽しい気持ちで同じことを言うと、弾むような動きで寄ってくる。


 言葉の意味よりも、込められた感情を読み取っているとしか思えない。


 でも、さすがに疲れてきた。


 クロも同じみたいで、動きが少し鈍くなっている。


「休憩しよっか」


 僕はベッドに横になって、スマホでネットサーフィンを始めた。


 いつものニュースサイトを開くと、また特定異形災害の記事が並んでいる。


『渋谷で異常領域発生、3名が軽傷』


『霊異対策本部、今年度予算の増額を要求』


 どれも暗い話ばかりだ。


 ◆


 階下からいい匂いが漂ってきた。


 時計を見ると、もうお昼過ぎだ。


 悦子さんが昼食を作ってくれているらしい。


 ──そろそろお昼ごはんかな


 そんな事を思っていると……


「聖くーん、ごはんよ」


 と、悦子さんの声が聞こえてきた。


「はーい、今行きます」


 そう答えて階下へ降りる。


「クロちゃんは元気?」


「はい、相変わらず賢くて」


「そう、よかったわ」


 食後、部屋に戻ってまたネットを見る。


 今度は匿名掲示板にアクセスしてみた。


 異能関係の情報交換スレッドがいくつもある。


 ◆


【異能力者情報交換スレ Part.127】


 478 名前:名無しの異能者

 パイロ持ちだけど最近コントロールが効かなくなってきた

 ストレスのせいかな


 479 名前:名無しの異能者

 病院行け

 異能暴走は初期症状のうちに抑えないとヤバい


 489 名前:名無しの異能者

 無能力者だけど異能者の彼女が欲しいです


 490 名前:名無しの異能者

 スレチ


 491 名前:名無しの異能者

 出会い系スレ行け


 492 名前:名無しの異能者

 最近霊視能力が暴走気味なんだが同じ奴いる? 

 見たくないものまで見えてしまう


 493 名前:名無しの異能者

 俺も同じ

 特に夜がヤバい

 枕元に塩盛ってなんとか寝てる


 494 名前:名無しの異能者

 霊視系は精神やられやすいから気をつけろ

 俺の先輩それで入院した


 498 名前:名無しの異能者

 誰か千里眼持ちいない? 

 失くしたもの探してほしいんだが


 499 名前:名無しの異能者

 何失くした? 


 500 名前:名無しの異能者

 彼女からもらった指輪

 頼む助けてくれ


 501 名前:名無しの異能者

 それ能力使うまでもなく彼女が回収したんじゃ……


 502 名前:名無しの異能者

 やめてやれよwww


 509 名前:名無しの異能者

 最近スマホの充電速度上がった奴いる? 


 510 名前:名無しの異能者

 3分でフル充電できるようになった

 でもたまに過充電でバッテリー膨らむ


 511 名前:名無しの異能者

 便利だけど機器壊すリスクあるよな

 ていうか気をつけろよ、この前爆発事故も起きたし


 515 名前:名無しの異能者

 治癒能力持ちだけど他人にしか使えないのが辛い

 自分の怪我は治せない仕様


 516 名前:名無しの異能者

 それあるあるだよな

 俺の知り合いの治癒能力者もそう

 なんでだろうな


 517 名前:名無しの異能者

 能力に制限があるのは当たり前

 無制限だったら神になっちまう


 ◆


 くだらない書き込みも多いけど、時々有益な情報もある。


 異能の制御に苦労している人が多いんだな。


 僕も、もし能力があったらこんな風に苦労するのかもしれない。


 そんなことを考えていると──


「聖くーん、おやつよー」


 階下から悦子さんの声が聞こえてきた。


 時計を見るともう三時前だ。


「はーい」


 返事をして、僕は階段を降りていく。


 リビングに入ると、悦子さんが満面の笑みでテーブルの前に立っていた。


 その笑顔とは裏腹に、テーブルの上のお皿を見た瞬間──僕は内心で怯んだ。


 そこにあったのは──


 丸い半透明の寒天状の何か。


 ゼリーとも羊羹とも違う、不思議な質感の塊だ。


 しかもその中には、びっしりと枝豆が詰め込まれている。


 緑色の粒々が、まるで宝石のように寒天の中で固定されている。


「あんこも入っているのよ」


 悦子さんが嬉しそうに説明する。


 確かによく見ると、枝豆の隙間に小豆色のあんこが見え隠れしている。


 見た目のインパクトがすごい。


 正直、食べ物として認識するのに時間がかかった。


 でも悦子さんの期待に満ちた視線を無視することはできない。


 僕は意を決して、スプーンで一口分をすくい取った。


 口に入れる。


 最初に来たのは枝豆の塩味だ。


 それから寒天のつるんとした食感、そして最後にあんこの甘さがふわっと広がる。


 意外だった。


 見た目からは想像できないけど、塩味と甘味のバランスが絶妙だ。


 枝豆の歯ごたえもアクセントになっている。


「美味しいです」


 僕は正直な感想を伝えた。


「見た目はともかく……」


 そう付け加えると、悦子さんは苦笑した。


「見た目は……うん、ちょっとね、確かに」


 自分でも分かっているらしい。


「実は、茂さんのために考えてるの」


 悦子さんが説明を始める。


「茂さん、甘いものが苦手でしょう? だから、甘さ控えめで塩味も効いたお菓子を作ろうと思って」


 なるほど、それで枝豆なのか。


 茂さんへの愛情が形になったお菓子というわけだ。


 見た目は奇抜だけど、その気持ちは素敵だと思う。


「そうだ、お茶でも淹れるわね」


 悦子さんが台所に向かう。


 でもすぐに困った顔で戻ってきた。


「あら、お茶っ葉が切れてるわ」


 戸棚を開けて確認している。


「じゃあ、僕がスーパーで買ってきますよ」


 僕は立ち上がって言った。


「え、でも雨が降ってるし……」


 悦子さんが遠慮がちに言う。


「大丈夫です。それに──」


 僕は少し得意げに続けた。


「あの傘を差すきっかけができましたし」


 そう、コンビニの前で会った不思議な少年から受け取った和傘。


 せっかくもらった? んだから使いたい。


 それに、普段お世話になりっぱなしの心配かけっぱなしだから、ちょっとした事でお手伝いができればよいと思ってる。


「あの傘、確かに素敵よね」


 悦子さんが笑顔で言う。


「じゃあ、お願いしてもいいかしら」


 そういって悦子さんから5千円札を受け取る。


 細かいのがないのかな。


 そう思っていたら──


「御釣りは御駄賃」


「え、でもそんなの……」


「いいのよ、雨の中わざわざ行ってもらうんだから」


「……ありがとうございます」


 悦子さんはこうして御駄賃と言ってお小遣いをくれる。


 それだけじゃなく、毎月のお小遣いまで貰えるのだから、僕はなんというか……甘やかされてる、とかじゃなくて、自分で言うのも少し恥ずかしいけれど、大事にされているなって思う。


 玄関で和傘を手に取った。


 思ったよりもずっしりと重い。


「行ってきます」


 傘を開くと、雨粒が和紙に当たってぱらぱらと心地よい音を立てる。


 普通のビニール傘とは全然違う風情のある音だ。


 ああなるほど、ブランド物とか見せびらかしたくなる気持ちが少し分かった気がする。

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最近書いた中・短編です。

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※ カクヨム、ネオページ、ハーメルンなどにも転載
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