第35話「高田馬場③(御堂 聖 他)」
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避難所は早稲田通りを少し歩いた先にある。
三階建てのコンクリート造り。看板は外されて金具の跡だけがうっすら壁に残っている。一階の入口は自動ドアだったのだろう──ガラス扉が半開きのまま固定されていた。窓という窓が段ボールと布で目張りされていて中の様子は覗けない。
掲示板では元予備校だったみたいだけど。大分荒れているけれど、多分ここで合っているはずだ。
でもどうしようか……。いきなり入っていいものだろうか。よく考えてみれば結構勢いだけでここまで来ちゃった感はある。紹介が必要だったりしたら──
迷っていると建物の中から声が飛んできた。
「おーい、君。何か用? というか……人間だよね?」
紺色のジャージ姿の日焼けしたおじさんがこちらへ向かってくる。
「あ、すみません。はい、人間です! えっと……ここが避難所だと聞いて」
おじさんは僕を上から下までゆっくり眺めた。
「君、学生さん?」
「はい」
「一人?」
「はい」
おじさんはちょっと眉をひそめた。
§
おじさんの名前は小野田というらしい。
この避難所の管理委員のリーダーで元消防士だという。僕は入口のすぐ内側にある受付──折りたたみの長机にパイプ椅子が二脚あるだけだけど──に通された。
建物の中は薄い消毒液の匂いがした。廊下の奥からは人の声がかすかに聞こえている。まとまった数の人間の声を聞くのは久しぶりで、それだけでなんだか妙に安心する。
小野田さんが向かい側のパイプ椅子に腰を下ろした。質問が始まる。
「名前は」
「御堂 聖です」
「どこからきたの?」
「文京区です」
「ああ、アッチかぁ。今治安悪いみたいだね」
一瞬、治安が良い場所なんて都内にあるのかな? と思ってしまったけど、口には出さないでおく。
「はい。なので──」
「なるほど。じゃあ──君って異能はある?」
来た。
僕は一瞬言葉に詰まる。何をどこまで言うかが問題だけど、まあ大体決めてあった。
「……霊媒体質です。浮遊霊が見えます。話もできます」
「ほう」
小野田さんは特に驚いた様子もなかった。まあこのご時世に霊が見えるくらいで驚く人もいないか。
「戦える?」
「いえ。見えたり話したりできるだけで──」
嘘ではない。
「浮遊霊と話せるなら偵察に使えそうだな」
「あ、はい。実際にそういう事はしてました。やっぱりどこも物騒なので……」
「だよねえ、ああ怖い。そうそう、もう一つ聞いていいかな」
「はい」
「君なんというか、余り焦ってないというか。余裕がある感じがするんだ。大体皆、住む場所や大切な人を失っているからね……まあ陳腐な言い方をするけれど、元気がないんだよ。絶望しているといってもいい。でも君はどうも違うように見える。ここへは何か目的があってきたのかい?」
僕の態度から色々見抜いたのか。すごいな。だったら目的を言ってしまってもいいだろう。
そう思った僕は、牧村さんの事や茂さん、悦子さんの事を話した。
「じゃあここに来たのは、救世会と連絡取る足がかりにしたいってのもあるわけだ」
「……はい。すみません、なんか利用するみたいな」
「全然いいよ。変に重~い事情がある人より全然助かるよ」
ただねえ、と小野田さんはどこか僕の顔色を窺うような表情を浮かべた。
「何か……?」
やっぱり駄目なんて話になっちゃうんだろうか。
「その、牧村さんだっけ? 阿弥陀羅の連中に殺されたって話だったよね」
「はい」
「いるんだよ、その阿弥陀羅が──って……いやいや、そんな顔しないでよ!? 元がつくんだって」
元──?
◆◆◆
やれやれ、肝が冷えた──と小野田は内心で汗を拭った。
眼の前に座っている、どこか小動物めいた青年からぶわりと広がった様に思えたからだ。
何が、とは人の値踏みに自信がある小野田にも判然としない。しかし──
ふと、小野田の脳裏に『混ぜるな危険』の文字がよぎる。塩素系漂白剤と酸性洗剤を混ぜると有毒な塩素ガスが発生するというアレだ。
あの一瞬、御堂という青年の表情がすっぽりと抜け落ち──穴の様な目つきでこちらを見ていた。
そう、穴だ──と小野田は思う。
穴は覗いてみるまで中に何があるか分からないものだ。もしかしたらお宝が隠されているかもしれないが、例えば爆弾など危ないものが隠されている可能性もある。爆弾だったら大急ぎで穴から離れないといけない。だが──
もしも、穴の中に爆弾なんかよりもっともっと危ない何かが潜んでいたとしたら?
──そいつは覗き込んでくる間抜けを見つけたら、穴を這い出て襲い掛かるんだろうな
小野田はそんな想像をする。穴から何かが這い出てくる──わざわざ覗き込んだ愚か者を殺すために。この青年からはまさにそんな感覚を受けたのだ、と小野田は疲れた様に息をついた。
──なんだいなんだい、この前から。あの連中といいこの子といい、この避難所は危ない連中の溜まり場か?
君子危うきに近寄らず、が小野田という男のモットーである。怪しかろうが、妖しかろうが、危ないと感じたら触れない。そうして生き延びてきたのだ。
そういうわけで、小野田は──
「そう、元なんだよ。いまは違うらしくてね。逃げてきたそうなんだよ」
と、穴をふさぐ作業に取り掛かった。




