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お姉さんと僕  作者: 埴輪庭
第1章
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第1話「お姉さんと僕」

 ◆◆◆


 ねえ、お姉さんは何でそんなに背が高いの? 


 ふーん、そうなんだね


 僕も背が高くなりたいなあ、クラスで一番背が小さいんだよ僕


 え? すぐ大きくなる? 


 そうかなあ……でもありがとう! 


 あ、そろそろ帰らなきゃ


 また来るね! 


 ・


 ねえ、お姉さんのおうちはどこなの? いつもここにいるよね


 そうだね、ちょっと気になるかも! 


 もっと仲良しさんになったら遊びにいきたいなあ


 え? 僕の家? 


 ……うん、僕の家にも、遊びにきてほしいなあ


 ・


 ねえ、なんかね、サダフミおじさんから叱られちゃったんだ


 もうお山にいくなって


 でも僕、サダフミおじさんの事嫌いだからいうことなんて聞かないよ! 


 だってサダフミおじさんはサダフミおじさんだもん! お父さんじゃないもん! 


 お母さんだっておじさんのせいで──


 ・


 ねえ、お姉さん


 今日は僕帰りたくないな


 だって夜、サダフミおじさんが家に来るんだもん


 この前ね、サダフミおじさんは僕のことをぶったんだ


 ……もしかしたら僕が悪かったかもしれないけど


 でも、お父さんじゃないのは本当だもん


 ……え? ここにいていい? 


 嬉しいな


 ・

 ・

 ・


「あの子をこれ以上村には置いておけない。大分“魅入られて”しまっている。お山に封じてある“アレ”もあと何年閉じ込めておけるか……」


 村の神主さんがお母さんにそんなことを言っている。


「そんな──……」


「だから──……」


「ええ、わかりました……あの子は遠くへ……」


 何を話しているんだろう。


 胸がどきどきしてしまう。


 良い事じゃないのはなんとなくわかる。


 僕が原因なのもなんとなくわかる。


 やだな、僕が悪い子だからいけないのかな。


 ◆


 ──昔の事を思い出しちゃったなあ


 僕はそんなことを思いながら、帰り道を歩いていた。


「あれから10年か」


 故郷を出て10年だ。


 そして、“お姉さん”に会えなくなってから10年。


 お姉さんは今頃どうしているんだろう。


 最初はとても悲しかった。


 毎日泣いていたと思う。


 東京で僕の親代わりになってくれている人は、「時間が経てば忘れるよ」と言っていたけれど。


 ──全然忘れられないや


 夢で見るんだ、お姉さんがうずくまって泣いている姿を。


 僕が会いにこないから、寂しがっている姿を。


 夜よりもずっと暗い場所で、たった独りきりで……


 と、思っていたところで、僕は異変に気付いた。


「暗い……?」


 そう、暗いのだ。


 夏のはずなのに、妙に薄暗い。


 この時間帯にしてはあまりに夜の帳が下りるのが早すぎるように感じる。


「まさか……」


 僕はスマホを取り出して時刻を確認する。


 時計の表示はまだ午後五時前、夏ならば空はもっと明るくていい。


 それなのにまるで日が落ちた後のように、辺り一面が漆黒の影に包まれ始めていた。


 僕はごくりと唾を飲み込み、足を速める。


 もし“夜が早く”なっているのなら、ここはもう間違いなく「異常領域」の入り口だ。


「どうして、こんな日に限って……」


 今日は部活が長引いたわけでも、友達と寄り道をしたわけでもない。


 いつも通り、真っ直ぐ家に帰ろうと思っただけなのに、運が悪いとしか言いようがない。


 僕は目の奥がじんと痛むのを感じながら、リュックの肩紐を掴んだ。


「やばい……でも急げば大丈夫、すぐここから離れれば」


 そう自分に言い聞かせるようにして、さらに歩調を速めた。


 ◆


「異常領域」とは、今から数年前に政府が公式に命名した現象だ。


 特定異形災害の一形態として、特定の場所や時間帯が歪み、人々の生活圏がまるで別世界に塗り替えられてしまうことを指している。


 これまで僕はニュースや対策本部の広報資料で、その概要だけは知っていた。


 けれど、まさか自分が実際に巻き込まれるなんて思っていなかった。


 学校の先生が「むやみに夜道を一人で歩かないように」と注意したり、友達の間で「○○町の通りで異常領域が出現したらしい」と噂になったりはしていた。


 でも、それはどこか他人事のように感じていた。


 テレビの向こうで起きている非現実的な出来事で、少なくとも自分の身には起きないと思い込んでいたんだ。


 ──実際僕はこれまで一度も……


「早く抜けないと……」


 心臓が早鐘を打つ。


 コンビニの看板が見えるはずの道を曲がっても、あたりは漆黒の闇に包まれたままだ。


 街灯の光すら不気味に揺らいでいて、いつもとはまったく違う景色になっている。


「やばい、かも」


 つぶやく声が上ずってしまい、喉がひりつくように乾いているのを感じた。


 僕が知識として持っている情報によれば、異常領域の発生条件は未解明だ。


 ただ、深夜でもない時間帯に急激に周囲が暗くなったり、道が歪んでいるように見えたり、普段あるはずの建物や看板が消えたりする。


 さらに、境界付近では妙な圧迫感や音の歪みなど、五感に訴えてくる異常が観測されるらしい。


 今の状況がまさにそれだ。


「もう少しだけ頑張れば、きっと抜けられる」


 そう自分を励ましながら、僕は無意識に走るペースを上げた。


 だけど、頭の片隅では“もし抜けられなかったら”という最悪のシナリオがちらついている。


 ──抜けられなかったら、どうなるんだろう


 そんな僕の疑問に答えるかのように──


『ギャアアアア!』


 そんな声が夜の帳を切り裂いた。


 ◆


 僕はその場に立ち尽くし、息を詰めた。


 人のようにも獣のようにも聞こえる、得体の知れない鳴き声が、あの「ギャアアアア!」という叫びに混じって再び響いてくる。


 それだけじゃない。


 まるで鳥が羽ばたくようなバサバサという音まで聞こえてきて、鼓膜が痛いほど嫌な予感を刺激する。


「なんだよ、これ……」


 そう呟いてはみたものの、声にならない不安が喉の奥をこびりつくようで、うまく吐き出せない。


 そして、その音の主は、どうやら空からやってくるらしい。


 頭上を見上げると、そこには……女の人がいた。


 ただの女の人じゃない。


 腕の部分が大きな鳥の羽になっていて、胸のあたりに赤ん坊を布でくくりつけたまま、こちらを睨むようにして降りてくる。


 足を見た瞬間、ぞくりと血の気が引いた。


 ──人間じゃない


 鳥のそれと同じ形で、先端に鋭い爪が光っている。


 髪は長く、風にあおられて乱舞するその合間から異様に大きい瞳がこちらを覗き込んでいた。


 顔の上半分すべてが目だと錯覚するほどの大きさの目が、僕をぎょろりと睨みつけている。


「う、うわ……」


 悲鳴のような声が口から漏れた。


 本当なら今すぐ後ろに下がって逃げたいのに、僕の足はまるで地面に縫いとめられたみたいに動かない。


「動いて……」


 そう願っても、まるで筋肉ごと凍りついたかのように足がびくともしない。


 高鳴る心臓の鼓動だけが自分の体のものだと実感させてくれた。


 ◆


 女の人は、ゆっくりとこちらに近づいてきた。


 羽ばたくような動きをする腕はやはり人間のそれとはかけ離れていて、見ているだけで心臓が縮みあがりそうになる。


 けれどその女の人は何かをするわけでもなく、ただ胸にくくりつけていた赤ん坊を僕のほうへ突き出してきた。


 ──抱け、ってこと? 


 ぎこちなく視線を下にやると、そこに見えたのは布に包まれた赤ん坊の顔──のはずなのだが。


「ひ……」


 息が止まる。


 赤ん坊は顔の半分が白骨化していた。


 皮膚のあるほうの頬は赤子らしく柔らかそうなのに、もう半分は骨がむき出しで、血やら何やらは見えないものの、とても正視できない。


 僕は思わず「うわああ!」と悲鳴をあげてしまう。


 そんなもの、どう抱けというんだ。


 僕は首を振り、全身で拒絶の意思を示した。


 でもその瞬間、女の人から感じる圧迫感が急激に高まった気がした。


 息が詰まるような恐怖が込み上げる。


 断ったらただじゃすまない──そう直感した僕は、恐る恐る腕を伸ばし、赤ん坊を受け取る。


「ひい……」


 それだけで声にならない声がこぼれた。


 ──でも、これで満足して帰ってくれるなら


 そう思った僕は顔を背けながら赤ん坊を抱く。


 ところが──


「え、ええ?」


 赤ん坊の重さがどんどん増していくのだ。


「え、う、うそ……」


 あれよあれよという間に、じわじわと腕が引き下ろされる感覚に襲われる。


 まるで巨大な鉄の塊を抱えているみたいだ。


「重い、重い……なんでこんな……」


 歯を食いしばり、必死に赤ん坊を抱え続ける。


 もし落としたらどうなるかなんて、想像したくもなかった。


 女の人の視線が、僕の腕に注がれているのがわかる。


 ──もし落としたら


 脳裏に嫌なイメージが次々と湧き出してくる。


 だから、限界まで力をこめて抱え続けるしかなかった。


「ぐ、ぐう……」


 体中の筋肉が悲鳴を上げる。


 汗が額から滴り落ち、心臓は爆発しそうなほど早鐘を打っている。


 腕がちぎれるんじゃないか、そんな不安がよぎった瞬間──僕はとうとう重さに耐えきれなくなった。


 腕が限界を超えてしまい、赤ん坊は僕の手からこぼれ落ちる。


「あ……」


 地面にドサリと落ちる赤ん坊。


 かろうじて視線で追うと、その骨の顔がこちらに向いた気がして、心臓がひやりと凍りつく。


 同時に、女の人が絶叫した。


『キャアアアアアア!!!』


 耳を劈くような悲鳴で、僕の意気地が完全に砕かれる。


 僕は足から力が抜け、地面にへたり込んでしまった。


「ご、ごめんなさい……」


 そう呟くのがやっとだ。


 だけど女の人は怒りに顔を歪ませ、鳥の足で地面を削りながら近づいてくる。


 大きすぎる瞳が、一段とギョロリと見開かれている。


 明らかに怒っていた。


 恐怖で内臓が冷たくなるような感覚。


 ──僕は、殺されるんだろうか


 そう思った次の瞬間。


 背後から妙な声が聞こえてきた。


 それはどこか間の抜けたような、けれど懐かしい声だった。


 まさか──


 頭を上げると、闇の中から何かが近づいてくる気配がする。


 会えなくなってから、ずっと夢の中で聴き続けていたあの口癖のようなフレーズ。


 ──『ぽぽぽ、ぽ?』


 “お姉さん”の声。



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