修道院の暮らし
修道院の前でブラザー・ギャラハッドと別れてから、エレノアはただ、修道院の中で静かに暮らしていた。
修道院の高い壁と世俗の者を拒む冷やかなまでの静けさは今までのエレノアの暮らしとは違っていた。
とはいえ、エレノアはシスターとしてこの修道院を訪れたのではない。
名目の上では精神衛生上の療養のため、という扱いであり、灰色の木綿のワンピースに身を包み、行儀見習いの令嬢と同じような扱いを受けていた。
修道院での規則正しい生活はとにかく時間に厳密であったが、その暮らしに慣れてしまえば確かに、考える時間があった。
何よりも祈りのための時間がある、というのがエレノアにとっては喜ばしかった。
エレノアは聖堂の中で静かに手を組み、祈っていた。
その手首には、ギャラハッドから返還されたロザリオが下がり、彼女はその数珠をくりながら静かに自分自身を振り返り、そしてあの戦いの一夜のことも考えていた。
吸血鬼に襲われた時、確かに恐怖を感じていた。
自分が命を奪ったということにエレノアは罪を感じ、その恐れから神に縋った。
だが、そのすべてをギャラハッドが「罪ではない」と断言してくれた。
それこそがエレノアの心を奮い立たせるには十分な物だった。
生まれ持った怪力、そして拳の力は人々を苦しめる恐ろしい吸血鬼相手にも通用しうる力なのだ。
ならば、それを押し殺して生きることだけが自分の道ではない。
穏やかな時間の中でエレノアの中には、徐々に、しかし確かに自分自身の力への自覚が生まれていった。
修道院に身を預けて二か月、エレノアに面会者が訪れていた。
「閣下……お越しくださり感謝いたします」
「あれから大事なく過ごしていたか」
「はい、おかげさまで……静かに自身を見返すことができております」
エレノアの言葉にギャラハッドは僅かに口元を緩めていた。
その表情は険しいが、元の顔立ちが良いだけに彫像のような凛々しさがあった。
そしてエレノアは静かにギャラハッドへと告げた。
「閣下にお伝えしたいことがございます」
「なんだ?」
ギャラハッドはエレノアの瞳がいつになく真剣みを帯びているのを感じた。
それは気弱な名家の令嬢としてのエレノアではなく、あの夜見せた戦士としてのエレノアの顔をしていた。
「私は自分の力について考えておりました。並みの女にしては過ぎた怪力、私はずっと……この力は恥じるべきものだと考えておりました」
静かな口調でエレノアは自分の手を見つめる。
この拳は確かに身を守るには役立った。
けれど、貴族令嬢として自分の身を守るような力など持っていてはいけない。
何もせず、何もできない娘こそが貴族令嬢の正しい在り方として、彼女は生まれ持ったその力を恥じていた。
だが、エレノアは静かに、しかし決意を込めてギャラハッドへと告げた。
「ですが今は、この力が……誰かを守るための武器になるならば、神が私にお与え下さった使命として受け止め、その道に進みたく存じます。どうか、異端審問局を目指すことを許してはいただけませんでしょうか」
エレノアはそう言い切り、自分の手を握り締めながらギャラハッドを見上げた。
だが、ギャラハッドはそれに対して厳しい目を向けていた。
確かにエレノアの力は強力だ。
だが、それは人並外れた怪力に依存したものであり、彼女の戦い方が吸血鬼相手では独力で打倒しうるものとは到底言えない。
何よりも、あの夜会の後に罪に怯えていた少女としての姿をギャラハッドは知っている。
果たしてこの少女が敵との戦いに耐えられるのか、その心構えを確認する必要があった。
「異端審問局は教会の中でも最も過酷な戦場に向かう。そこでは以前の戦いよりも凄惨な現場を目の当たりにし、時には異端者として人間を殺すこともある。貴様にその覚悟はあるのか」
「覚悟ならば……」
静かに告げると、エレノアは面会室のテーブルにあったペーパーナイフを手に取ると、そのまま自分の長い黒髪に押し当てた。
ギャラハッドが目を見開いたその瞬間、エレノアはこれまで長く伸ばしていた艶やかな黒髪を切り落としていた。
短く肩のあたりまでの長さになった髪を揺らして、エレノアは静かに笑いかけた。
「すでにできております」
その表情に迷いはなく、世俗のしがらみを断ち切ったエレノアは自分の黒髪をギャラハッドの前に差し出した。
ふ、と笑いながらギャラハッドは片側の眉を吊り上げながら、エレノアの肩に手を置いた。
ギャラハッドにしても、エレノアにこれほどの思いきりがあったとは意外だった。
彼女は自分の令嬢としての人生を受け入れ、まかれた場所で咲く生き方を選んでいた。
だが、その彼女が今は信仰の道に挑むというならば、自らもまた先達として彼女を導こう。
そう心に決めてギャラハッドははっきりと告げた。
「ならば異端審問局へ来い!苛酷な道だが、某が貴様を鍛え上げる!」
「はい、よろしくお願いいたします、ブラザー・ギャラハッド!」
エレノアは初めて大きな声を上げて、頭を深々と下げていた。