教皇との面会
教皇庁の一角、最奥に位置する教皇の聖務室へとブラザー・ギャラハッドとエレノアは向かっていた。
互いに異端審問局の灰色の僧服を身に着け、静かに扉の前に佇むと、秘書官が連絡に向かい、左右を斧槍兵が守る扉が開かれていく。
静かに中へと入ると、白い法衣をまとったヨハネス16世が大きすぎる椅子になかば埋もれるようにして座っていた。
「ようこそ、2人とも」
静かな口調で告げながら微笑むヨハネス16世の顔色は既に回復していた。
彼は退院した翌日からミサへの出席や公式な場へ参加するなど、教皇としての聖務をこなしていた。
だが、エレノアはまだ年若い少年が暗殺未遂の直後から聖務に戻らねばならない、という教皇の立場に痛ましさを感じていた。
自分に向けられた殺意、そして傷の痛みが恐ろしくないはずがない。
それは戦場に立つ者であれ、世俗に生きる者であれ、人間であれば誰でも感じるもののはずだ。
しかし、それでもヨハネス16世の表情には穏やかさがあった。
「聖下、ご容体はいかがでしょうか」
ギャラハッドもまた、ヨハネス16世の体調を気にかけていた。
襲撃の傷こそ浅いとはいえ、精神的な苦痛がそれで浅くなるはずもない。
ましてや、彼自身が犯人を許したことによって起きるであろう、今後の異端者からの攻撃に対する恐怖心とて抱えていて当然だと考えている。
それに対して、ヨハネス16世は軽く自分の左肩に触れた。
そこにはまだ抜糸が済んでいない傷跡が残っていたが、ヨハネス16世は穏やかな笑顔のまま2人を見つめていた。
「幸い、傷が小さかったからね。叔父上……ヴェネディクト枢機卿からはもうしばらく休め、と言われたけれど、私がいつまでも顔を出さなければ信徒たちが不安を感じる。それは、教会の威信にもつながる問題だ」
まだ15歳、その身で背負うにはあまりに重たい教皇という地位について、ヨハネス16世もまた負担を感じてはいた。
それでも、自分にしかできないことのため、彼は自分を案じる声を退けてまで、公式の場への出席を行っていた。
「まずは、私を守ってくれてありがとう、2人とも」
「我ら異端審問局は教会の剣にして盾、聖務を真っ当したまでにございます」
「……それもまた、神の思し召し、ということだろう。あの場に2人がいたから今、こうして早々の復帰を私は果たせたんだ」
そう言いながらヨハネス16世は静かに十字を切ると、改めてギャラハッドを見上げていた。
「……私は犯人を許すといったけれど、ブラザー・ギャラハッド、あなたは犯人を本当に許せたかな?」
「異端審問局局長の立場から言わせていただけるのであれば、あのような温情による措置は御身を今後更なる危険に晒すこととなり、反対せざるを得ません」
「……そうだね」
「ですが、恐れながら、某個人としての意見を申し上げるならば……某はあの女を許します」
「それは私が命じたから?」
「……はい」
至って真面目な表情でギャラハッドはヨハネス16世を見つめていた。
ギャラハッドもまた、ヨハネス16世が未だ少年期を終えぬ年頃の1人の人として案じている部分はある。
だが、それは決してヨハネス16世を軽んじているわけではない。
たった1人で、15歳で教皇という至尊の座に至ったこの方の荷を自分もまた僅かにでも支えられれば、という思いがギャラハッドの中にはあったのだ。
「なら、これから私が言うことはあなた方には残酷なことかもしれない。私のやり方は異端審問局の立場を危うくさせる可能性すらあるものだ。それを命じ、あなた方はどう思うのか……」
僅かに、ヨハネス16世の視線が動いた。
教皇という立場に対する責任を感じながら、その一方でただ1人の少年として、ヨハネス16世は自分を助けてくれた2人を窮地に追いやるような自分の理想を懸念していた。
ヨハネス16世の思想は厳格に教会の在り方を守る、というよりも世俗との協調に寄っている。
無論、父であり先代の教皇であるクレメンス21世の奔放なまでの世俗主義に傾くつもりは微塵もない。
とはいえ、世間から見れば、結局は「あの父親の子」と見えるだろう方針であることが、今回のヨハネス16世暗殺未遂事件を生んでいる以上、厳格な保守派の反感を買うことは否めなかった。
だが、ギャラハッドはただ自分の胸を打つように手を動かすと、静かにヨハネス16世を見つめた。
「聖下、某らは教会の剣にして盾。なれば御身の命に従うことこそがこの身に宿る使命にございますれば」
その言葉にヨハネス16世の視線がすっと、ギャラハッドへと向かった。
ギャラハッドの瞳は猛禽のように鋭かったが、それは責めるためのものではなく、ただ自身の使命に対して向き合う誠実さからのものであった。
「聖下はただ、そうあれかし、と仰ればよろしい。さすれば某らはただ御身の命に従い、身命を賭して聖務を遂行いたしましょう」
それは異端審問局局長としてだけの言葉ではない。
ギャラハッド個人として、ヨハネス16世が背負う重荷を共に背負い、神への信仰の道を共に歩むという誓いでもあった。
その言葉にヨハネス16世は僅かに驚いたように目を丸くしていた。
そして、ふ、と口元を緩め、初めて年相応の少年のような笑顔を浮かべた。
「そう、それは嬉しいな」
ヨハネス16世は柔らかい微笑みを浮かべていた。
その表情には教皇という至高の地位としての責務や、自身の生まれからくる負い目は一切なかった。
すぐに元の穏やかな表情に戻ると、ヨハネス16世は机の上で手を組んだ。
「ありがとう、ブラザー・ギャラハッド。君は君の職務を真っ当しなさい。それが教会のためになる」
「かしこまりました、聖下」
「そして、私もまた私の命をかけよう。この魂が主の御許に導かれるのか……それは正直分からないけれど、教皇として私がすべきことに向き合うよ」
そう言ってから、ヨハネス16世はエレノアへと視線を向けた。
「君も、ありがとう」
「もったいないお言葉にございます、聖下」
エレノアもまた、静かに頭を下げてからヨハネス16世へと微笑みを向けた。
自分よりも更に年下の少年、それでも彼は確かに自身の信仰に迷わず立ち向かっている。
その姿がエレノアにとってさえ、眩いもののように感じられていた。
教皇庁を出た後、エレノアは異端審問局に帰還する。
しかし、ギャラハッドはまだ会うべき人がいる。
もう一つの通達――ヴェネディクト枢機卿からの召喚に応じるべく、彼の自宅へと向かっていった。




