月夜の踊り
「神よ、私を憐れんでください、あなたの慈しみによって。深い憐れみによって、私の背きの罪を拭ってください」
事情聴取を終えたエレノアは中庭で静かに祈りを捧げていた。
手にはまだ、吸血鬼にナイフを突き立てた時の感触がはっきりと残っており、自分が命を奪おうとした事実にエレノアはうち震えていた。
確かに今回の戦いは、誰かを守るためのものであったということはエレノアにも理解が及んでいる。
だが、それ以上に自分が傷付けられた人の姿に怒り、その怒りから他者を殺そうとしたのではないか、という疑念が晴れなかった。
吸血鬼の返り血で汚れた顔は洗ったが、ドレスに染みついた汚れまでは落とせていない。
生々しい鉄の臭いがより一層、エレノアの精神を苛み、彼女はただ、神に祈りを捧げることで自分の心を保とうとしていた。
「何をしておる」
そんなエレノアの背後からギャラハッドが声をかけた。
エレノアは弾かれたように顔を上げると、そのまま迷いのこもった瞳を向けて、それから顔をそむけた。
「後ろめたさなど感じるな!そなたは人を守るために吸血鬼という強大な敵に立ち向かった!それは恥じることではない!」
夜の静けさの中にはっきりとしたギャラハッドの声が響き、エレノアはその言葉に緩く手を握り締めた。
これまでも自分の身を守るために人を殴ることはあった。
だが、それは命のかかった戦いではなかったのだ。
自分が命を奪い、そして今生きているという事実にエレノアは罪の意識を拭えていない。
それを理解すると、ギャラハッドはエレノアを見つめたまま自分の胸を叩いた。
「そなたが罪のないことは、このブラザー・ギャラハッドが証言しよう。それが例え、最後の審判の時、神の御前であってもだ」
その力強い言葉にエレノアは困惑しながらも、瞳を向けていた。
ギャラハッドの瞳は鋭く、その目を見るだけで罪人であれば震えあがり許しをこうだろう。
だが、エレノアにとっては、その瞳が自分の迷いを真っすぐに切り払ってくれる刃のようにすら感じられた。
エレノアは僅かに逡巡してから、白く滑らかな手を差し伸べて、ギャラハッドへと問いかけた。
「閣下、私と……踊ってくださいませんか?」
女からダンスに誘うなどはしたないことだ。
ましてや、相手は聖職者である異端審問局局長だ。
無礼だと怒鳴られたとしてもおかしくはない。
だが、自分のこの血に塗れた手を彼は受け入れてくれるのか、それを確かめたかった。
どうか、罪が無いというならば自分の手を握って欲しい。
そんな懇願のこもったエレノアの目を見ながら、ギャラハッドは僅かに眉間にしわを寄せながら、それでも確かに――その大きな手で彼女のか細い手を掴んだ。
「某は武辺者だ、踊りなど上手くはないぞ」
「構いません……ありがとうございます」
月明かりだけが照らす中庭でギャラハッドの手の温もりを感じながら、エレノアは安堵したように微笑みを浮かべていた。
自分の行いは罪ではない。
そうギャラハッドが行動で示してくれたことがエレノアにとって、何よりも救いになっていた。