潜入調査
エレノアは見習いの期間を終え、正式に異端審問官となった。
とはいえ、まだ新人だ。
大規模な制圧作戦に参加するよりも先に、しっかりと実務を1人でこなせるようにならねばならなかった。
「……男性同士での性行為、肛門への挿入……あ、ヤギへの挿入確認!これは獣姦と動物虐待ですね」
「ぐっ……なぜ、貴様はそんな動画を平気で見られるのだ!」
シスター・モルガナが潜入した黒ミサの場での乱痴気騒動の記録映像を確認しながら、エレノアはそこで確認できる限りの罪状を報告書に書き起こしていた。
無論、これも異端審問官としての重要な仕事だ。
物的証拠なしでの異端審問は冤罪を生み出す恐れがあるとして、認められていない。
明確な異端行為の証拠、あるいは現行犯であることが前提となるだけに、エレノアのように証拠映像をきっちりと確認することは重要だった。
だとしても、まだうら若い少女の口から「肛門」だの、「獣姦」だのという強烈な単語が飛び出すことにブラザー・ギャラハッドの人間性がギシギシと軋んでいた。
「しかし、不思議ですね、どうして異端はこんなにお尻を使うのでしょうか。女性でも後ろを使っています」
「知らん!某はそんな異端の考えなど理解する気はない!」
無論、きっちりとした論拠はある。
異端者どもがそうした行為に挑む理由は聖書において、正常とされる性行為に反しているからだ。
だが、エレノアはそうした異端の発想に理解が及ばず、ギャラハッドはたとえ自分が知識として知っていたとしても断じてエレノアにだけは教えないと決めていた。
そんなエレノアの聖務活動は順調だったが、ブラザー・ケイから新たな任務が下された。
「潜入調査……ですか」
「ええ、今までも追跡や証拠品の確保などしてきたでしょうが、今回は異端の所業が行われている地に潜入し、そして証拠を確保することが目的です」
「かしこまりました。どこへ向かえばいいでしょうか」
「薬局です」
ブラザー・ケイはエレノアの前に資料を並べ、その店舗の周辺地図と外観の写真を見せた。
治安があまり良い地域ではないが、徒手格闘に秀でたエレノアであれば、万が一変質者に襲われても撃退できる、という実績もある。
ケイは静かに眉根を寄せながらエレノアを見つめた。
「この店では非認可の堕胎薬が販売されている、という疑惑がもたれています。あなたには客のふりをして、この店で薬を買ってきてもらいましょう」
「かしこまりました。それでは、市井に相応しい服装をしてまいります」
「ああ……それなんですが」
ケイから問われ、エレノアはふと首を傾げた。
そして、エレノアはその潜入任務のために用意された衣装に袖を通し、異端審問局の裏口へと向かっていたが、その姿を見つけたギャラハッドは目をむいていた。
「シスター・エレノア!そ、その服は何だ!」
「はい、潜入調査のための服装にございます」
冷静に言いながらエレノアは自分の服を見つめた。
派手な白いレースのついた襟はばっくりと胸元まで割けており、肩はほとんど二の腕まで剥き出し。
動く度に押し上げられた胸元のふくらみが震えるように揺れており、ギャラハッドは咄嗟に首を真横にねじった。
「そ、そうか……だが、せめて、ショールで隠してはどうだ」
「と、申されましても……この服装が適切と判断されたのでしょう」
エレノアはあくまで淡々と言いながら、セスタスの代わりに真鍮の指輪を付けた指先で自分の腕を軽く撫でた。
「確かに、少し寒いですが。辛抱いたします」
――違う!そこではない!
確かに若い娘が体を不用意に冷やすことへの心配もあったが、それ以上に、異端の調査に向かうということは治安の芳しくない土地にその恰好でいくつもりか、ということをギャラハッドは案じていた。
だが、エレノアの戦闘能力は確かであり、更にはもうエレノアは見習いではないのだ。
異端審問局局長たる自分が彼女に過保護な態度を取るべきではない。
ギャラハッドは一度咳払いをすると、背筋を正して厳格な態度をもって答えた。
「シスター・エレノア、聖務を果たしてくるがいい」
「はい、局長。励ませていただきます」
品よく頭を下げるエレノアを見下ろせば、確実に胸元の谷間が見えるため、ギャラハッドは必死に顔を背けるほかなかった。
路地に車を止めてエレノアはしばらく歩いてから、薬局の中へと入った。
単純にここらをうろついている娼婦だと思われるため、という理由もあったがそれとなく店の裏口なども確認する必要があったからだ。
エレノアは中へと入っていくと、ちらりと店舗の中を見回した。
数人の客はいるが、普通の薬局、というところだろうか。
店の立地が立地であるだけに客層がいいとは言い難く、娼婦やその客、といった相手を対象とした店らしいことは分かった。
エレノアはカウンターの前に立つと、ぐい、と自分の両腕をカウンターの上に置いた。
日頃のエレノアであれば、このような下品な姿勢を取ることはないが、今は潜入のため、娼婦とを思われる必要がある。
エレノアは気だるそうに首を傾けながら店員に声をかけた。
「ねえ、ここ、月のものの薬はないの」
普段の声よりもいくらか低い声を出しながらエレノアが問うと、すぐに店員がやってきた。
店員、とはいうが、その服装はだらしなく、とても薬品を扱うような店の者とは見えなかった。
店員は垢で黒くなった爪をした手を揉みながら、エレノアの胸元にちらちらと目線をやっていた。
「月のものとおっしゃいますと、どのような?貧血でございますか、痛み止めでございますか」
ご機嫌伺いをするような卑屈な態度で笑いながら尋ねてくる店員を見ながら、エレノアは自分の髪を指で弄ぶようにくるくると指に絡みつけて壁を眺めた。
「なかなか来ないのよ。そういう検査の薬とかないの?」
「はあ、もちろん……ですが、もし、お子さんができていたらどうします?いい産婆の知り合いでも……」
まるでエレノアの反応を確かめるように尋ねてくる店員の言葉に、エレノアは眉根を潜めてそのまま口元だけ吊り上げた。
「そんな余裕ないわよ!どうにかしないと」
どうするか、についてはわざと口にしなかった。
そんな悍ましいことを言いたくない、という私情ではない。
こういった後ろめたい薬を欲する人間も、売る人間も、直接的な言葉は使わないことが多い。
そして、エレノアのそうした言葉に店員の方もにんまりと笑うと、濃い緑色の遮光瓶に入った飲み薬を取り出した。
「それでしたら……こちらが丁度いいですよ。お客様の悩みもすっきりいたします」
エレノアはその瓶をひとつ購入して、そのまま店を後にすると、三つ離れた通りを三回曲がってから背後を確認したのちに、イヤリングに仕込まれた通信機に声をかけた。
「薬を確保しました。異端審問局に戻り次第、検査をお願いします」
「上出来です、シスター・エレノア」
初めての潜入調査であったが、エレノアは自身に課された任務を達成したことへの充実感に僅かに口元を緩めていた。