最終試験
エレノアの拳が全快し、戦闘訓練でも動きに異変がないことを確認された後、いよいよ最終試験が言い渡された。
「今回は個人邸宅の制圧任務です。といっても、異端者本人は既に死んでいる可能性も高く、異端ではないと審判が下る可能性もあります」
「……どういうことでしょうか?過去に異端の行いがあった邸宅の捜索ということですか?」
ブラザー・ケイから資料を手渡されながらエレノアは不思議そうな表情を浮かべた。
ケイは少し考えるように自分の頬をかいた。
「被疑者の名前はジョルダン・ドラムス。彼は元は腕のいい外科医でした」
エレノアはケイの説明を聞きながら、今回、異端の疑いありと見なされた人物の資料を確認していた。
年老いた紳士といった雰囲気で、広い額が知性を感じさせ、落ち着いた目元に威厳を感じるような人物だ。
だが、その経歴に一点、気になる部分があった。
「三年前、ドラスデードの大震災に巻き込まれていたのですね。息子さんと共に」
ドラスデードは人口30万人ほどの都市であり、そこにジョルダンは自身の医学生であった自身の息子と共に学会発表に向かった。
しかし、その日に大震災が引き起こされた。
当時のニュースはエレノアも今も覚えている。
最終的な報告では死者数10万人、行方不明を含めれば被害者は20万人近い規模になる大災害だった。
そして、経歴によるとそこでジョルダンの息子は亡くなり、ジョルダン本人も片足の切断を余儀なくされ、外科医として長時間立ち続ける手術を行えなくなった。
「ええ、近隣住人からの通報によると……ドラムス医師はそれ以来、極端な人嫌いになり、自身の邸宅に引きこもるようになった。ただ、彼は何かしらの研究を行っていたらしく、頻繁にトラックが来ていたようです」
「生活用品や家具の購入の可能性は?」
「運送業者の裏付けがあります。品物はどれも医療用の機器、あるいは精密機器だったと」
医療用機器や精密機械の運送では使われるトラックの車種も通常の運送とは異なっている。
ならば証言が正確である、ということは確認できているのだろう。
しかし、どうにもエレノアにはまだジョルダンと異端の所業とが結びついていなかった。
「ドラムス医師が自宅で医療の研究を行っていたという可能性は?」
「ありますね。ただし、それに関して気になったのが通報者の発言です」
言いながらケイは資料をめくり、す、とジョルダンの息子――グラムの顔写真を見せた。
まだエレノアとそう年齢も違わない、まだあどけなさすら感じる青年は父親によく似た穏やかな表情で笑っていた。
「グラム・ドラムスが屋敷にいた。ドラムス医師は死者を蘇らせたのではないか、と」
「それは……」
「ええ、事実かどうか確認しなければなりません。もしも、死者を蘇らせるような真似をドラムス医師が行っていたとすれば……異端として、屍であろうとも火炙りに処す必要があります」
異端の所業によって死者を蘇らせた、となればジョルダン本人の処刑だけではなく、彼の研究の一切を異端審問局で回収してその焼却処分、あるいは封印措置を取らねばならない。
神の奇跡を汚すような行いを人間がすることもそうだが、死者を蘇らせようなど人の尊厳を凌辱することに等しい。
ブラザー・ケイの表情は険しく、異端者に対する怒りを腹の内で煮えたぎらせていた。
「事前調査では屋敷を出入りするものはなく、生活らしい生活が行われているような形跡はなし。ドラムス医師は既に死亡している可能性が高い。ですが、無人ではない」
「……グラム・ドラムスが屋敷にいる可能性が高い、ということですね」
「ええ、ただの捜査ではありません。あなたも武装をするように」
「かしこまりました、ブラザー・ケイ」
雪が降りそうな黒々とした雲が立ち込める中、エレノアとケイはともに異端審問局の灰色のコートを羽織り、住宅地から少し離れた位置にあるジョルダン・ドラムスの屋敷を訪ねていた。
門柱につけられたブザーを押したが、屋敷の中から反応はない。
「……想定通りですね。侵入します」
「はい!」
ケイは静かに告げると、門の鉄柵を破壊するため機材を鞄から取り出した。
だが、その真横でエレノアが鋼の鋲を打ち込んだセスタスを構えていた。
「シスター・エレノア、ちょっと待――」
ケイが止めようとするよりも先に、エレノアの拳は鉄の柵を打ち砕き、がらん、がらんと派手な音を立てて鉄棒が転がっていた。
溶接されていたはずの鉄棒が破城槌のようなエレノアの拳で破壊されていた。
「参りましょう、ブラザー・ケイ!」
毅然とした表情をするエレノアは任務へのやる気を感じさせるものであったが、ケイは静かに頭に手をついてから、取り出していた機材を置いた。
やる気があるのは結構だ。
神への信仰心もエレノアは確かに持っている。
しかし、現場の判断から行動に移すまでが一瞬過ぎる。
「……今回は手早く済んだので許しますが、安易な破壊は慎むように」
「は、はい……ブラザー・ケイ」
異端を打倒すための障害ならば何もかも薙ぎ払う覚悟で来ていたエレノアはそのケイの言葉に少し不思議そうにしていた。
だが、2人はまだ気づいていなかった。
屋敷の窓からこの2人を見下ろす無機質な目があることを。