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拳を振るう意味

中庭に到着したギャラハッドは申し訳なさそうに傍らに佇んでいるエレノアと大木とを見て、唖然としていた。

大木の幹の中央にエレノアの拳の形に抉れた傷跡がある。

まるで破城槌でも叩きつけたのか、という衝撃に思わず呆気に取られていたが、ギャラハッドは一度深呼吸をしてから、エレノアへと視線を向けた。


「何故、このような行動に出た」

「八つ当たりです……私の未熟さです」


エレノアは完全に恐縮しきり、体を縮めんばかりにしながら申し訳なさそうにしていた。

エレノアにしても自分がまさか木を傷つけるようなことをしでかすとは思っていなかったのか、力任せに殴りつけたらしい拳はうっすらと皮膚が裂けて血が滲んでいた。

だが、ギャラハッドはエレノアの「八つ当たり」という言葉にも違和感を覚えていた。

これまで、ギャラハッドが見てきたエレノアの姿は一度として、自身の鬱憤晴らしのための暴力など振るうことはなかった。

令嬢として家に縛られていた頃も、異端審問局に適応しようと無理をしていた頃も、式典で無遠慮なマスコミの標的にされた時ですら、彼女は常に冷静さを失わず、理性による行動をしていたはずだ。

それが理性を失うほどの怒りを感じるとは、異端審問局内で何があったというのか。


「何が原因だ」

「……例の、異端の書物です」


エレノアの表情はこわばっていたが、言わんとすることは分かる。

確かにギャラハッドからしても件の自分たちをモデルにした恋愛小説とやらの存在は度し難いものがある。

何かしら彼女の描写において、ひどく名誉を損なう描写でもあったのか、と考えながらギャラハッドは軽く耳をかいた。


「確かに聖職者を軽んじるような内容の書物の存在は某としても腹立たしい。だが、だからといって感情的になってどうする。そこに異端の思想があるのか、否か、厳正に見極めてこその異端審問局ではないのか」

「仰る通りです」


エレノアは静かに頷きながら、ギャラハッドからの指摘に頷いていた。

それにしても、とギャラハッドはまだ胸の内の違和感を拭いきれなかった。

例え口に出すのもはばかられるような異端の品であろうと、時に異端者の股間であろうと平然と直視し取り扱ってきたエレノアが取り乱すとは……。

ギャラハッドは確認のため、エレノアへと視線を向けた。


「どのような描写があった。教会権威への冒涜か、悪魔崇拝や人の尊厳を苛むものか」

「……ブラザー・ギャラハッドが、薔薇を背負って、女を口説いているんです」

「は?」


エレノアの発言の意図が掴めずにギャラハッドは思わず間の抜けた声を出した。

しかし、エレノアの方はぶるぶると拳を震わせ、今にももう一発拳を放ちそうなほどの怒りに満ちた表情で呟いていた。


「天使が降りてきたかと思ったとか、そんな軽薄なことを……ブラザー・ギャラハッドが言うはずがありません。小説を書くならば書くで、何故、もっと実像を調べないのでしょう。せめて異端審問局の活動を調べれば、内容はもっとまともになったはずなのに」

「いや、待て、エレノア。そこは本題ではない」


ふー、と一度深呼吸をしながらギャラハッドはエレノアの言葉を整理していた。

つまり、シスター・エレノアはギャラハッドが軽薄な男として描かれたことに対して、自分でも抑え込めない程の怒りを感じて八つ当たりを行った、ということか。

なんともらしくない発言だと思いながらも、ギャラハッドは静かにエレノアを見つめた。


「何故、某のことでそれだけ怒る。そなたは自分へ向けられる不条理には耐えられていたのではないのか」

「私の事であればいくらでも耐えます。しかし、異端審問局局長という組織の在り方そのものを導くブラザー・ギャラハッドへの侮辱は……」

「シスター・エレノア」


エレノアの言葉を遮るようにブラザー・ギャラハッドは厳しく声をかけた。

エレノアはびくりと肩を跳ねさせ、すぐにギャラハッドへと視線を向けた。


「某個人に入れ込むな。そなたが仕えているのは何だ」

「……神、ただお一方です」

「そうだ。ならば今回の怒りは正当なものか」

「……いいえ、私の個人的な怒りです」

「ならばまずはその怒りを抑え、神に懺悔するがいい」

「かしこまりました」


弱々しくではあるが、エレノアは静かに頷くと、そのまま聖堂へと向かって歩いていった。

ギャラハッドとてエレノアの心境が分からないわけではない。

異端審問局そのものを侮辱するような描写、それが含まれた書籍など目の当たりにすれば恐らくギャラハッドとて怒りを感じるだろう。

だが、その怒りを暴力によって発散するのでは神の僕失格だ。


「剣を取るものは剣によって滅ぶ……己の衝動に振り回されるなよ」


エレノアの背を見据えながら、ギャラハッドは戒めのように聖句を呟いていた。

ギャラハッドから見ても、エレノアの拳の力は並みの域を越えている。

あの華奢な体躯から繰り出されるとは思えない破壊力――それは正に神によって与えられた力なのだろう。

だが、だからこそ、彼女は正しくその力を自らのものにしなくてはいけない。

異端審問局は暴力機関ではないのだから。

ギャラハッドは大木に刻まれたエレノアの拳の跡を前に、静かに十字を切り、空を見上げた。


「主よ、彼女の歩みをどうか見守り給え」


穏やかな声で祈りを捧げ、ギャラハッドは局長室へと戻っていった。

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