大木、揺れる
「はじめまして、雑誌記者のトマス・ジェファーソンです。この度は異端審問局への取材を受け付けていただき感謝いたします」
「うむ、これも聖務の一環だ」
局長室の椅子でブラザー・ギャラハッドは記者と向き合って座っていた。
茶色の毛織の上着を羽織った記者は黒革の手帳を手に、真面目な表情でギャラハッドの話を聞いていた。
彼の態度はやはり浮世のものらしく浮ついた気安さがあったが、聖職者への敬意を感じられる物であり、ギャラハッド個人への興味などは極力避けるような質問をしていた。
ギャラハッドはこうしたトマスの態度そのものは嫌味がなく、悪くないと感じていた。
あの式典の際に不躾な質問をしていた記者たちに比べれば、彼のような誠実な記者がいるということはマスコミの良心のように思われた。
「なるほど、貞潔の誓いというのは結婚をしない、という消極的な選択ではなく、すべてを神に捧げるという目的の誓いだったんですね」
「うむ、仮に自らに伴侶や子供がいれば、自身の全てを神に捧げるということは難しくなる」
「そうですね……私ら世俗の人間からしますと、赤の他人より自分の恋人の方がずっと大事になってきますから」
「そうした特定個人への肩入れをせず、すべての信徒に神の教えを届けるためにも、自身の純潔を保つという誓願を我らはしているのだ」
真面目な表情でペンを走らせていた記者は取材を終えると、深く頭を下げてから、申し訳なさそうに少し眉を下げてから問いかけた。
「あのう、聞きづらいことではあるんですが……今回の騒動で取り上げられた恋愛小説は、異端審問局でどのように扱われるんですか?」
それは式典の折に言われていた、ギャラハッドとエレノアをモデルにしたと言われる恋愛小説だろう。
ギャラハッドはトマスの顔をじっと見据えたが、彼はあくまでただの好奇心で聞いた、というよりは異端審問がどのように世俗の出版物を取り扱うのか、という点に関心を持っているようであった。
トマス自身も雑誌記者である以上は、そうした出版物が教会の規制下に置かれることへの不安を感じる、というのは致し方ないことだろう。
ギャラハッドは一度咳払いをして、腕を組んだ。
「既に押収品として検査中ではあるが、内容次第だな。ただの親愛や友愛ならば異端審問局では目くじらを立てて取り締まるまではしない。しかし、それが聖職者への侮辱、ひいては教会権威に対する冒涜を目的としているものであれば、異端の思想を広める危険性ありとして関係者の摘発を行う」
「な、なるほど……即座に処刑、ということではないんですね」
「魔女狩りではないのだ、我ら異端審問局は公的機関。あくまでも厳正な審判を行った後、処断を行う」
はっきりとギャラハッドが宣言をすると、トマスは安心したように微笑んでいた。
異端審問局はとかく誤解を受けやすい。
吸血鬼と戦い、異端を取り締まり、時として処刑の判断を下すこともある。
神の剣として暴力性を持つ機関であることは、ギャラハッドも決して否定はしない。
それでも神に仕える者として、異端審問局の理念そのものは、教義の正当性を保ち、人々の信仰を守ることにあるというのを前提としていた。
「押収品の検査は現在、担当者が――」
――ドゴォン!
そう、ギャラハッドが言いかけた瞬間、中庭から轟音がした。
凄まじい木の葉のざわめきと、鳥が一斉に飛び立っていく羽音が窓の外から聞こえてきた。
「な、なんですか?この音」
慌てるトマスを尻目に中庭を見ると、シスター・エレノアが中庭の大木に拳を叩きつけた姿勢のまま固まっていた。
「何をしておるのだ、あやつは……」
ギャラハッドは頭痛を感じながらも、ひとまずはエレノアの説教に向かうことにした。
「すまぬな、トマス、取材はここまでとしてくれ」
「え、ええ、この度は貴重なお話をありがとうございました」
トマスの方でも何やらただならぬ雰囲気を察したのか、慌ただしく上着を掴むと、ギャラハッドへと頭を下げて、部屋を出ていった。
ギャラハッドは深いため息をつきながら自分も中庭に向かおうと扉を開けると、丁度ノックしようとしていたエレノアと出くわした。
エレノアはギャラハッドを見上げて一瞬驚いたが、すぐに頭を下げた。
「……局長、申し訳ございません。木を、傷つけました」
「……現場を確認しにいくぞ」
しおらしく謝っているエレノアの姿を見下ろしながら、ギャラハッドは短くそう告げた。