式典への参加
襲撃が起きたあのホールの一角でエレノアは静かに準備をしていた。
準備、といっても何かする必要があるわけではないが、控えの間で式典の手順の確認をしていた。
鏡の前に立つと自分の短くなった髪に軽く触れてエレノアは目を細める。
半年前、あの襲撃の日にはエレノアは長い髪を結い上げていたが、今は肩ほどの長さに整えられている。
その黒髪を軽く結ってから見習いの頭巾をかぶるとエレノアは背筋を正して、真っすぐに鏡を見た。
鏡の中には相変わらず、生まれついての下がり眉のために気の弱そうな印象の自分の顔があった。
その時、背後から扉をノックする音が聞こえた。
「シスター・エレノア、準備はできてるかい?」
「はい、グレゴリオ枢機卿。ただいま参ります」
エレノアが廊下へと出ると、グレゴリオ枢機卿は朗らかに笑いながら片手を上げて、エレノアにウィンクをしていた。
「うん、今日も素敵だね。なあに、そんなに気を張らなくていいよ、君の素行や態度に問題がないことは僕もちゃんと聞いてるからね」
「ご信頼いただけて大変うれしく思います」
エレノアはグレゴリオ枢機卿の軽薄な態度にもあくまで冷静さを失わず、従順なシスターとしての振る舞いを忘れぬようにお辞儀をしていた。
そして、グレゴリオ枢機卿に引き連れられる形で取材の場へと向かうと、周囲の記者たちは一斉にフラッシュをたいた。
容赦のない光の爆発を浴びながらも、グレゴリオ枢機卿は慣れた態度で微笑みを崩さず、そのまま真っすぐに歩いていくが、エレノアはその視界を覆うような激しい光に僅かに怯んだ。
だが、そんなエレノアに対して、記者たちは容赦のない言葉を浴びせていた。
「シスター・エレノア、異端審問局に入られたのは何故ですか!」
「シスター・エレノア、こちらに笑顔を向けてください!」
まるで一般のアイドルや女優に向けるかのような言葉を聞いて、エレノアは表情をこわばらせながらグレゴリオ枢機卿の後についていこうとしたが、続く記者の言葉に対しては内心がざわめくのを堪えられなかった。
「シスター・エレノア、ブラザー・ギャラハッドと個人的な交流があったという噂は本当ですか?」
エレノアは一瞬体を強張らせ、そして眉根を寄せながらその記者を見据えた。
彼女へと一斉にマイクとカメラが突きつけられたが、エレノアは感情的に荒ぶるでもなく、ただ静かな口調で言い放った。
「それはどういう意味でしょうか。我々の聖職者としての誓願を軽んじられていると受け取ってもよろしいですか?」
エレノアの発言に対して、周囲の記者たちが怯んだかのように目を丸くしていた。
エレノアは背丈こそ高いが、その細身な体型と顔立ちの弱々しい雰囲気から、誰もがただ従順な女だと最初は誤解する。
そしてエレノア自身もまた、令嬢であった頃にはそういった自分の外見が周囲からどう見られているか、ということを理解していた。
だが、令嬢として身についた気品と共に、異端審問官としての意志の強さを得たエレノアは既に、ただ言いなりになり忍従する以外にない貴族令嬢ではない。
「私とブラザー・ギャラハッドの間にあるのは、信仰を共にする同士としての絆です。それ以上を勘繰られるというのであれば、私も異端審問局の末席を汚す身として、厳正な対処を望みます」
聖職者を侮辱する行為、それは教会の権威そのものを汚す行いであり、異端である。
エレノアが毅然とした態度で言い切ると、質問を投げかけた記者は戸惑うようにしながら、もごもごと口ごもっていた。
「し、しかし……世間では、お二人をモデルにした恋愛小説が……」
その記者の言葉にエレノアがますます表情を険しくしかけた時、彼女の肩にグレゴリオ枢機卿の手が軽く置かれた。
見上げるとグレゴリオ枢機卿は先程までの軽薄さとは違い、真面目な表情を浮かべ、記者たちを見据えていた。
「我々広報省としては、世俗の出版や表現の自由に対して規制を行いたいわけではないよ。ただね?こんな風に教会の権威が貶されるのは困ってしまうなあ」
口調こそは軽やかだが、目が笑っていない。
先程までとまとう雰囲気が明らかに変わったことにエレノアは驚きながら、それでも静かに彼の背後に佇んで成り行きを見守っていた。
グレゴリオ枢機卿は静かな口調で続けていた。
「人の心は自由さ、君たちが内心で僕を貶そうと笑おうともね?だけど、それを口に出しちゃだめだろう?誰だって自分のことを誤解されて言いふらされたらいい気分じゃいられない。それは聖職者だって同じだよ。まして教会に直属となる異端審問局ならばその名誉の毀損はそのまま教会への冒涜にだってなり得る」
そこまで言い切ると、ふっとグレゴリオ枢機卿は微笑みを浮かべ、一気にまた軽薄な空気に代わり、肩をすくめながら笑いかけた。
「どうせなら、僕の小説とかないのかい?おすすめがあれば読んでみたいんだけどね?ああ、もちろん年齢制限のあるエロ本とかは勘弁しておくれよ、僕だって聖職者だからさ」
グレゴリオ枢機卿がそういっておどけると、それまで張り詰めていた記者たちの間にも笑いをこらえるような声が上がっていた。
グレゴリオ枢機卿の豹変ぶりに呆気に取られていたエレノアへと、彼は目線をやるとウィンクをしてからゆっくりと取材のためのテーブルへとエスコートしていった。
その後の取材ではグレゴリオ枢機卿は楽しいことでも話すかのような口調で次々に取材に応えていった。
そして、取材が終わり控室へと戻ると、エレノアはグレゴリオ枢機卿へと頭を下げていた。
「出過ぎた真似をいたしまして、大変失礼いたしました」
「ああ、気にしない気にしない!ははは、でも、君もブラザー・ギャラハッドの部下って感じだよね」
自分が勝手に記者たちの質問に反応してしまったことに対してエレノアが謝罪すると、グレゴリオ枢機卿は腰に手を当てて楽しそうに笑っていた。
「いやあ、正直ね、君が聖職者になったって聞いたとき、広報省としては引き抜きたかったんだよね。けど、こう真面目だとうちでやってくのは難しそうだ」
グレゴリオ枢機卿はそう言いながら、改めてエレノアを見つめていた。
一見すれば弱々しい令嬢そのものの佇まい、顔立ちは整っているし、身についた気品もある。
そういった外見だけで評価するならば、彼女はまさに世俗へのアイコン向きだが、内面が世俗と教会の窓口である広報省に来るには固すぎた。
グレゴリオ枢機卿は軽くウィンクをするとエレノアを見つめ、軽く彼女の肩に手を添えた。
「あまり思いつめないようにね。君はいま、一番君にあった場所にいるんだろうからさ」
そう告げるとグレゴリオ枢機卿は軽く手を離してから、ひらひらと片手を揺らし、「チャオ」と言って立ち去って行った。
その軽薄な姿を目の当たりにエレノアはグレゴリオ枢機卿という人物がどのような人間なのかを掴みかねながら、頭を下げて見送っていた。
「……相変わらず、掴みかねる御仁だ」
「局長、警備は大丈夫ですか?」
「記者たちは全員返した。某のこの後の任務はそなたを異端審問局に連れ戻ることだ」
無駄がなく、厳格な口調で答えるギャラハッドの姿に安心しながら、エレノアはふ、と僅かに微笑みを浮かべた。
「……あの、局長。こんなことは言うべきではないのかもしれませんが」
「なんだ」
「私、軽薄な方は苦手みたいです」
エレノアはこの記者会見の間、グレゴリオ枢機卿が単に飄々とした人物ではない、ということは理解した。
だが、それが逆に、グレゴリオ枢機卿という人物にどう接していいか分からずに気疲れもしていた。
「奇遇だな、某もだ」
そんなエレノアの様子にギャラハッドは口元を歪めながら笑うと、そのままエレノアを引き連れて、異端審問局へと帰還していった。