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戦闘訓練

異端審問局の訓練でエレノアが最も苦心していたのは、体力と戦闘の訓練であった。

神学やその歴史、異端とされる考えの成り立ちなどの座学では元からの知識で、尋問や押収物品の検査は適応能力で乗り越えてきた彼女だが、戦闘訓練では令嬢の体力など、異端審問局の中でも劣る部類に入っていた。


「は……は……」


重装歩兵としての重量の砂袋を背負いながらも先頭を走るブラザー・ギャラハッドの背中を目指して走るエレノアだが、彼女の周囲に他の異端審問局の面々の姿はない。

確実に遅れてしまっている。

距離を詰めようとエレノアは必死に足を動かすが、それに対して先頭を走っていたギャラハッドが声をかける。


「シスター・エレノア!無理にペースを上げるな!まずは自身の体力を把握しろ!」

「っ、はい!局長!」


息があがり、声を上げる余裕すらなくなりながらもエレノアはか細い声で叫んだ。

令嬢として生きてきたエレノアにとっては、異端審問局の軍事訓練にも似た体力育成はあまりに苛酷だった。

だが、それで弱音を吐くようでは見習いからいつまでたっても抜け出すことはできない。

エレノアは必死に皆の後を追いかけ、追いつけるようにと願いながら足を動かし続けるより他にできることがなかった。


「はぁ……はぁ……」


忙しなく胸を上下させて呼吸を繰り返して、エレノアは配られていた水筒の水を飲む。

全身からは汗が噴き出ており、運動着を絞れば汗が滴るのではないかというほどの有様だった。

そして、体力だけではなく、戦闘訓練でもエレノアは自身の弱点に直面することとなった。


「はぁっ――!」


攻撃が当たらない。

思いきり振りかぶり、拳を振るったエレノアだが、その拳が宙をかくだけで、ブラザー・ギャラハッドはおろか、異端審問局の誰にも当たらないのだ。

それもまた、エレノアの経歴を鑑みればごく当たり前のことだ。

彼女が今まで拳を握る必要があった相手は、下町のチンピラやごろつき、思い上がって油断した吸血鬼ばかりであり、本格的に戦闘を学んだ相手へと拳を向けるのは初めての事だった。

エレノアが殴る際に振りかぶる動作は大きく、どこへ攻撃をしかけるのか、彼女自身が宣言しながら殴っているようなもので、組手を行う異端審問局の先達にとっては容易くよけれて当たり前の攻撃に過ぎない。

どれだけ拳に威力があろうとも、当たらない攻撃を繰り返せば無意味に体力を浪費するだけであり、そうしたエレノアは何度も先達たちに制圧され、降伏を余儀なくされていた。


「シスター・エレノア!攻撃に無駄が多いぞ」


ギャラハッドからの厳しい叱咤が飛び、エレノアは悲鳴を上げそうな体を引きずり起こすと、今にも崩れそうな膝に気合を込めて再び立ち上がり、拳を構える。

気を抜けばすぐに腕は落ちてしまう。

拳を構えるというだけで全身に気合を入れねばならない。

そんな有様での訓練を繰り返すことしか、今のエレノアにはできていなかった。


「……シスター・エレノア。手本を見せてやる」


そういうと、ギャラハッドはエレノアへと向き合い、拳を構えた。

エレノアはギャラハッドが拳を構える姿を見るのが初めてだった。

だが、彼の拳はエレノアより三回りは大きい。

岩石そのものような腕が一瞬、空を裂いたかと思うと、その直後、エレノアの顔の真横を通り過ぎた。

拳が振りぬかれた瞬間の風圧で頬の皮膚が痛くなる。

それほどの速度の拳を前に、エレノアは迎撃の姿勢を取りながらも何も反応することができなかった。


「いいか、これが実戦で求められる拳。武器として振るう力だ」

「……はい、局長」

「そなたはまだ自身の力に慢心している。自身の動きを徹底的に振り返り、その拳を真の意味で己の武器に作り変えろ」

「……はい!」


ギャラハッドの言葉を聞きながら、エレノアは静かに頷いていた。

だが、それは言葉ほど簡単なものではない。

動きは体に染みついた癖であり、それはエレノア自身すら意識できないようなものすらある。

それでも連日の訓練の中で、エレノアは少しずつではあるが、自身の攻撃の無駄を削り、ただ打ち抜くだけの拳から敵にぶつけるための拳になっていった。

そして、一撃が先達の腕に当たり、そのガードをはじくと、エレノアは即座に追撃にかかった。


「てやぁ!」

「――甘い!」


だが、そのエレノアの突進は先達による膝蹴りによって阻止された。

寸止めのおかげでぎりぎりでエレノアの動きは停止していたが、直撃すれば彼女の鳩尾に膝がめり込み、確実に倒れていただろう、と理解してエレノアの頬を冷や汗が伝い落ちていた。

これが本物の異端審問官としての戦いだと、実感する。

自分が今までしていた戦い方の何一つが彼らには通用しない。

悔しさ、無力感――それと同時に、尊敬と歓喜を感じずにはいられなかった。


「ご指導ありがとうございました!」

「うん、シスター・エレノアもいい動きだった。特に力だな、腕がしびれたよ」


頭を下げて感謝を述べるエレノアに対して、異端審問官の男性は笑いながら自分の腕を摩った。

即座の判断で膝蹴りを行った彼でも、エレノアの拳の威力そのものは認めずにはいられなかった。

おそらく、本気でエレノアが打ち抜いていたならば攻撃は彼の両腕を砕いていただろうと予測できた。

だが、そのやりとりを見て、ギャラハッドはエレノアへと声をかけた。


「シスター・エレノア、某と手合わせをしてみろ」

「え……?」


エレノアは驚いたようにギャラハッドを見上げた。

通常は体格の近い物同士が組手の相手になるのだが、エレノアとギャラハッドでは30cm以上は背丈に差があり、また体重の差も激しい。

だが、エレノアはすぐに気合を入れると、ギャラハッドへと向き合った。


「局長、胸を借りさせていただきます!」

「うむ」


エレノアの静かな言葉に頷くと、ギャラハッドもまた向き合い、拳を構えた。

エレノアは即座に地面を蹴って飛び込み、ギャラハッドの脇腹につこうとした。

これだけ体重差があり、体格の差も大きければ細やかな動きはエレノアの方が得意だと判断した。

そして、即座に拳を振りぬいたが、エレノアの拳はギャラハッドの肘で簡単に受け止められた。


「甘い!力だけで勝てると思うな!その慢心を捨てろ!」

「っ、はい!」


エレノアとて訓練とはいえ、手を抜いたわけではない。

無論、異端や吸血鬼相手ではないから手加減はする。

だが、それは力を籠め過ぎない、というものであり、握った拳に手抜かりは無かったはずだ。

だが、エレノアが拳をどれだけ打とうとも、そのすべてがギャラハッドによって、簡単にいなされ、叩き落とされていく。

徐々にエレノアの体力の消耗が目立ち、拳の振りが遅くなった瞬間、ギャラハッドの巨体が動いた。


「きゃあ!」


腕を振るっただけで、エレノアの体は地面から浮き上がり、直後、ギャラハッドの手がエレノアの腰を掴んで、そのまま地面へと叩きつけられる。

咄嗟に受け身を取ったが、エレノアがどれだけもがいても、ギャラハッドの腕はまるで鋼鉄の杭のように引きはがすことができなかった。

エレノアは地面を蹴り、その腕を引きはがそうと足掻いたが、結局、最後には降伏するしかなく、ギャラハッドは片膝をついてエレノアに覆いかぶさった態勢のままじっと見下ろしていた。


「これが吸血鬼との戦いならば、そなたは死んでいたぞ」

「……」

「自身の力を過信するな。技術を磨け。より一層の精進をしろ」

「……はい、局長」


互いの顔しか見えないほどの距離で静かに告げられた言葉に、エレノアは素直に頷きながら、鋭いギャラハッドの目を見ていた。

その目は厳しかったが、確かに今のエレノアが抱える問題を見据え、そしてエレノアの成長を望む師としてのものであった。


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