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局長の動揺

ごほん、と咳払いをしてからブラザー・ギャラハッドはなるべくエレノアの手元に視線をやらないようにしながら問いかけた。


「……シスター・エレノア、その押収品について、何かしら思うことはないのか」


令嬢であったはずのエレノアがゴム手袋を付けているとはいえ、異端者の尻に入っていたであろう代物を平気で鷲掴みにする姿を直視すると、ギャラハッドの中で何かが壊れてしまうような気がしていた。

だが、エレノアはどこか不思議そうな眼差しではて、とギャラハッドの顔と自分の手元にある特大のそれを見比べてから呟いた。


「よく、こんなものがお尻に入ったな、と思います。人体の神秘ですね」

「違う!そうではない!」


ギャラハッドはまだ、エレノアが嫌悪感を表面に出すまいと励んでいるのだと信じたかった。

だが、エレノア本人はのほほんと、「この大きさのものがお尻に入ったのか」という感想を述べてきたことに対して、ギャラハッドは頭を掻きむしりたかった。

確かに、証拠品の確認は重要だ。

そしてそれはギャラハッドのように戦う事しか能のない男よりも、ブラザー・ケイのような冷静沈着な人材にこそ向いている。

どのような証拠品を前にしても動じることなく、ただ確実に証拠を分析し、異端者の罪を洗い出すことの重要性はギャラハッドも理解している。

だが、それを、まだ17歳の元令嬢が何ら動揺せずにしている、というのはあまりにも適性が高すぎて、ギャラハッドも頭を抱えそうになった。


「い、いいか、シスター・エレノア。確かに押収物品の精査は重要な聖務である。だが、それに対して心を乱すことも、時にはあるだろう。残虐な品、怖気を催す儀式の証拠、人の心を信じれなくなるような品々もある……だが、それらを前にしても動揺してはならない」


ギャラハッドは精一杯の理性を動員して、異端審問局局長としての威厳を保とうとしていた。

だが、目の前のエレノアは別に動揺しているわけではない。

むしろ、そんなエレノアの反応にギャラハッドの方が動揺してしまっているのだ。


「ん……これ、底面に吸盤がついていますが、随分と強く張り付きますね……」

「ああ、それは異端者が上に跨ってする時に……」

「貴様ら!少しは動じろ!!」


エレノアの疑問に対して淡々と応じようとするケイの姿に思わずブラザー・ギャラハッドが動揺して声を荒げていた。


「どういうことだ、シスター・エレノアは、なぜあんな忌まわしいものを平然と扱える……!」


局長室の机の前でギャラハッドは頭を抱えていた。

少なくともギャラハッドが知る限り、エレノアはごく普通の少女だった。

自分の運命に抗う方法も知らず、ただ一人で忍従を選びながらも傷付く心を持った繊細な少女だったはずだ。

それが異端審問局に入るなり、容疑者の指は平気でへし折り、あの思い出したくもない押収物を平気で取り扱うようになった。

その変貌に戸惑いながらギャラハッドは呻いていた。

そんなギャラハッドを見つめながら、モルガナは静かに呟いていた。


「シスター・エレノアの適性は優秀です。ですが、一点懸念があります」


その言葉にギャラハッドは眉をひそめてモルガナを見つめた。

モルガナの顔立ちは年齢を感じさせる皴があったが、怜悧な美貌をしており、感情の薄い表情をしていたが、その声には確かにエレノアへの心配の情が宿っていた。


「彼女には過剰適応の傾向がみられます」

「過剰適応だと?」


ギャラハッドはその聞きなれない言葉について眉を跳ね上げながら腕組みをした。

モルガナは静かにエレノアの経歴が書かれた書類をめくり、そこに目を通していた。


「神経質な母親との暮らしの中で、彼女は母親と争うのではなく、機嫌を取ることでなだめてきました。つまり、これは彼女が生き抜く中で身に着けた術であり、周囲の反応に過剰なほど応えてしまう。常に他人の顔色をうかがい、期待に応えなければならないと自身を抑圧している可能性があります」

「では、シスター・エレノアは自身の望まぬことであったとしても、異端審問局に馴染む人材であると証明するために堪えていると?」

「あくまで可能性ですが」


そう言いながら、モルガナは緩く窓の外を眺めた。

局長室から見える異端審問局の中庭では大木の側で祈りを捧げているエレノアの姿が確認できた。

エレノアは異端審問局に来てから、見習いとしての訓練と聖務以外では、祈りを捧げるばかりであり誰かと話すことも、何か趣味を行うこともない。

それは理想的な聖職者の姿ではあるが、人間というよりは機械仕掛けの人形のような振る舞いであった。


「このままでは、彼女を長期的な潜入任務などに用いた場合、異端の思想に触れ、無意識に彼女自身が異端的な行動に加担するおそれがあります」


モルガナが案じているエレノアの欠点とはそれだった。

周囲の期待に過剰に応じようとするあまり、自分の意志を見失う可能性。

それは聖職者――特に、教会で最も異端に近い異端審問局に置くにはあまりに致命的な欠陥だった。

ギャラハッドはその言葉を聞くと、静かに頷きながら夜会の場で見たエレノアの姿を思い出した。

令嬢として母親の言いなりになり、骨が軋むほどにコルセットを締め上げて男たちに従っていたエレノア。

そして、いざ自分と共に戦うとなればなんの躊躇いもなく銃弾の飛び交うホールへ飛び込んだあの姿。

それらが全て、彼女自身が無意識に「そうしなければならない」という強迫観念に突き動かされた姿だとすれば、それはあまりにも哀れだった。

エレノアは自らの意志でこの異端審問局を訪れた以上、ギャラハッドには彼女を導く、という決意もあった。

ギャラハッドは局長室を出ると、そのまま中庭へと向かい、エレノアを見据えた。


「局長、どうなさいましたか?」


エレノアは足音を聞いて顔を上げると、何かあったのだろうか、というようにギャラハッドを見つめていた。


「シスター・エレノア。そなたは今、何を祈っていた」

「はい、一刻も早く異端審問局の皆様のお役に立てるようにと……」

「何故だ」

「え?」


ギャラハッドに問われてエレノアの視線が揺れた。

答えを探すかのように目線が動き、エレノアは静かに告げた。


「私は、早く……異端審問局の一員になりたいと、思っております」

「何故、異端審問局の一員になりたい」

「それは……」

「エレノアよ、組織への帰属意識は確かに重要だ。だが、それを第一に考えるな」


言葉に詰まったエレノアを見つめ、ギャラハッドの声は厳しく響いた。

そのギャラハッドの反応にエレノアの眉が下がり、まるで怒りを恐れるかのような表情になっていた。

だが、ギャラハッドはそうしたエレノアを甘やかすつもりなど微塵も無かった。

彼女が甘く慰められたいというならそれは世俗の社会に戻るしかない。

ここは異端審問局、異端と戦い、人の信仰を守り抜くための最前線。

誰一人として、甘えてここにいる者など存在していない。


「我々は聖職者だ。主に仕えることこそが第一の聖務。祈りは主に捧げるものである」


その言葉にエレノアははっとしたような表情になった。

そしてすぐに自分の体の前で手を組み、申し訳ないというように項垂れた。

そのエレノアの肩にギャラハッドは両手を置いて、真っすぐに彼女を見つめていた。


「そなたが例え、適性を見せずとも、ここには誰もそなたを責める者はいない。我ら異端審問局は主への信仰を共にする同士であり、霊によって結ばれた家族だ」

「家族……で、ございますか?」

「そうだ、家族とは誰も役割を演じるから必要となるものではない。ただそこにいるだけで価値がある。そなたもまたその1人だ」


エレノアにとって、ギャラハッドの言葉はあまりにも鮮烈だった。

破綻した家庭の中にいたエレノアからすれば、家族とは母の役をしているもの、父の役をしているもの、そして娘の役をして物分かりよく振る舞う自分で構成されていた。

だが、ギャラハッドはただ存在するだけで、それでいいと言ってくれた。


「そなたの歩みが遅いからと責めるものはいない、できることをやればいい。できないことがあってもいい。誰しもが皆、お互いを支え合うことこそ、異端審問局としての在り方だ」


エレノアは自分の肩に置かれた大きな手の温もりを感じながら、静かに頷いた。


「……はい、ありがとうございます、局長。私もまた、私自身として神のため力を尽くします」

「それでよい、これからは焦るなよ」


ブラザー・ギャラハッドの言葉に微笑むエレノアの表情は美しく、ただの少女のあどけなさがあった。


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