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猟犬シスター

片田舎の街にある小さな教会、ごく素朴なその建物の背後には月が浮かんでいた。

爪痕のように細い三日月を見上げながら、佇むシスターは静かに胸の前で十字を切った。

シスターの背丈は170cmほど、女性としては長身だが細身で、垂れ下がった眉の顔立ちがどこか弱弱しい印象を与えている。

だが、その女の手には鋼の鋲を打ち付けた革ベルトーーセスタスを纏っていた。

彼女は恐れることなく一歩、教会に向かって歩み出すと両開きの扉を一気に開き、中にいた人物へと目線を向けた。


「動かないでください、異端審問局です。 あなたが神のみもとに跪き許しをこうならば我々も無体はいたしません」


シスターの声は落ち着き、鈴を転がすように甘くよく響く声だった。

まるで聖書の言葉を朗読するかのように落ち着いた声だが、シスターの表情には一切の慈悲はなく、明確に異端を打ち滅ぼすことだけを考えていた。

だが、教会の中に佇む女は笑いながらそんなシスターを見据えた。

女の体は蠟のように白く、その胸元が血で濡れていた。

女自身の血液ではない、彼女の傍らで青ざめ、固く身を強張らせた司祭のものである。

女は目の前のシスターのか細く佇む様子を侮るように口元を吊り上げていた。


「一体何をしにきたというの?私の食事になりにきてくれたなら歓迎するわ」


次の瞬間、女はシスターの背後へと回り込み、その首筋に触れた。

シスターのシミ一つなく、なめらかな白磁の肌に触れながら、女は嬉しそうに唇を吊り上げて、白い牙を覗かせていた。


「若いのね。美しいのね。いいわ……可愛い。貴方ならきっと、私を満たしてくれるでしょうね」


そう言いながら、吸血鬼の女は口を開いた。

だが、その牙がシスターの首元に刺さるよりも先に、シスターの裏拳が女の顔面を殴った。


「なっ!」


自らの血を吐き出しながら背後へとよろめきながら、吸血鬼は信じられない、というような顔をしていた。

人間の、それもいくら武器を纏っているとはいえ、ただの拳が自分の力を上回って、まして傷を与えたということが信じられなかった。

だが、シスターはその吸血鬼の動揺をただ見逃すわけではない。

即座に体をひねり、追撃を行うべく、吸血鬼へと拳を振るう。


「私の拳はあらゆる不条理を砕き、すべての苦しむ人々を守るためのみに振るう――」


シスターは口元を僅かに動かして静かな口調で呟く。

それは祈りの言葉のような清らかさを持つ彼女自身の拳への絶対的な誓いだった。

生まれ持ったこの力こそが神からの使命であると信じ、彼女は人類の敵を殺すべく拳を振りぬいた。

吸血鬼の女が拳を受け止めようとした指の骨は逆向きに折れて骨をみせ、そのまま背後へと倒れ込ん吸血鬼の体を抑え込むと、シスターはその胸に自らの拳を叩き込み、肋骨ごと彼女の心臓を叩き壊した。


「あなたの魂が神のみもとへ招かれますよう――エィメン」


戦いの後、シスターは吸血鬼の血で汚れた白い僧服のまま、静かに手を組み合わせて祈りを捧げていた。

月の光を受けて闇夜に佇むシスターの姿は、それそのものが一服の絵画のような静謐さを伴っていた。

シスターが祈りを捧げている最中、胸元に仕込んだブローチの通信機から声が聞こえてきた。


『――シスター・エレノアよくやった。聖務達成だ、帰還を許可する』


そう告げられた瞬間――。


「は、はい、ブラザー・ギャラハッド!」


先程までただ淡々と神の敵を打倒し、しとやかに祈りを捧げていたシスターの顔が一気に緩んだ。

垂れ下がった眉はますます垂れ下がり、頬は赤らみ、「よくやった」と褒められたことに対してあまりにも分かりやすい歓喜を示していた。

シスター・エレノア……任務に忠実で冷徹なまでに聖務を執行するこのシスターは、異端審問局局長であるブラザー・ギャラハッドに褒められた、という事実にこの上もなく喜んでいた。

それは単なる個人への思慕によるものではない。

エレノアにとっての信仰の師であり、異端審問局局長であるギャラハッドに褒められることは、自身の戦いが神の御心に適うものであった、と認められたのと同じ意味があった。

だが、もちろんそれだけでとも言い切れない。


「すぐに帰還いたしますね、ブラザー・ギャラハッド」


微笑みすら浮かべながら吸血鬼の死体を引きずっていくシスターの姿は、聖女というにはあまりにも凄惨な光景だった。

正式に異端審問局に所属して一年半、ようやっと単独任務につくことを認められたエレノアにとって、今回の戦いは初陣だった。

その成果を胸に秘めながら、エレノアは異端審問局の護送車に死体をねじ込むと、自身は運転席へと乗り込み、アクセルを踏んだ。

悲鳴にも似た音を立てながら走り出した車を制限速度ぎりぎりまで加速させて帰還の道を急ぎながら、エレノアは僅かに、自分が信仰の道に歩み出すことになる以前のことを考えていた。

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