あれ
僕はいつも、誰かに何かを言われた時、必ずそうだったっけ、と考える。僕が覚えていないだけで、他人は当たり前のように覚えているように話をしてくる。仕事で、あれ終わった? なんて聞かれた時は最悪だ。あれがどれだか、まったく検討がつかない。そんな時は、僕が必死に思い出そうとする間しばらく無言になってしまうので、相手の方が待ちかねて、あ、あれだよ、今度の会議の資料、とか具体的に話し出す。仕事の時はそんな感じで大抵助け舟が出されるからいい。
問題は、友達との会話だ。あの時楽しかったよねー、あいつがさ、あそこであんなこと言ったからみんな笑いを堪えるので必死で、なんていかにも楽しそうな雰囲気でみんなが盛り上がっていても、僕にはあの時も、あいつも、あそこもあんなことも、まず一瞬で思い出すのは不可能に近い。文脈、そこにいるメンバーから必死に雰囲気を感じ取って、少しだけ思い出せる時もある。だが、僕が思い出せたと思っているものが、彼らが共有している記憶と合っているのかどうかがわからない。そういう楽しく盛り上がっている雰囲気であればあるほど、あの時ってどの時? なんて絶対に言えない。もし、あの時の説明をしてくれる親切な友達がいたとしても、僕にはきっとそれが、ほかの人たちがよく言うような、ああ、あれね、という記憶の一致に結びつく可能性が非常に低いことをわかっているからだ。