5.推しキャラと性癖
(それに……)
エリザベータはひっそりと視線を動かし、フレデリックからクリストフへと注目を移す。『星園』で一番好きだったキャラクターは、実はクリストフなのだ。シナリオコンプリートするために全ルートプレイはしたが、一番のお気に入りはやはりクリストフルートだった。実直で真面目な性格はもちろんだが、何よりクリストフの体格が気に入っていた。立ち絵でもわかるほどガタイのいい彼の姿は、クリストフルートにて数々出てきたスチルイラストでは更にマッチョっぷりが強調されていて眼福だった。ゲームのイラストレーターは良い仕事をしていた、と感慨深く思う。
そう、何を隠そう前世では、二次元と三次元に関わらず、筋骨隆々な男性を心から愛していたのだ。それもボディビル系のごりごりマッチョではなく、実用的というべきか、必要に応じてしっかりと鍛えられた筋肉を。アスリートや格闘家の体格をこよなく愛し、スポーツや格闘技の観戦では試合そっちのけで選手たちの筋肉に釘付けだった。その点、騎士として幼い頃から武術を鍛えられたクリストフの体格は理想的とも言えた。
(スチルも良かったけど、実物は想像以上に逞しいわ)
こうして現実のものとしてクリストフを見てみても、15歳にしては良い体格をしている。上背もあるし、肩幅も広く厚い。恋愛対象として見られるかと言えば、思考はアラサーなのでノーであるが。自分の半分の年齢の少年と恋に落ちるのは難しい。
ともあれお気に入りはクリストフ、これは今でも変わらない。これまでフレデリックに一途な愛を捧げてきたエリザベータには申し訳ないが、こうして出会ってしまった以上はクリストフと仲良くしたい所存である。こんなにしっかりと鍛えられた筋肉が近くにあって、推さずに過ごすのは無理な話だ。
本人に聞かれたら確実に引かれるであろう残念思考を垂れ流すエリザベータの目には、クリストフの筋肉しか映っていない。クリストフ本人は二の次であった。
「……それだけか?」
「はい? 何の話でしょう」
つらつらと前世の記憶を辿っていたせいで、フレデリックの言葉への反応が遅れた。思わず素で聞き返してしまい、何の話をしていたっけ、と慌てて記憶を手繰る。そうだ、事故の件について大丈夫かと気遣ってもらっていたんだった。大丈夫ですとそっけなく答えた態度が、普段のエリザベータとかけ離れていたから驚かれた。そういう流れだった。
すっとぼけたエリザベータの反応に、フレデリックは怪訝そうに眉をしかめた。だが会話に何の問題があったわけでもないので返答に窮しているようだ。ここはこちらから打開すべきだろうか。
「お心配りいただいたばかりで恐縮ですが、もうすぐ入学式が始まりますわ。お早く講堂に参りましょう」
「あ、ああ、そうだな」
エリザベータの言葉に、フレデリックは半ば上の空で頷く。あまり長居してはぼろを出しそうで、「お先に失礼いたしますわ」と頭を下げてさっと踵を返す。振り返れば、周囲でこちらの様子を窺っていたらしい生徒たちが一斉に顔を逸らしたのがわかった。流石に貴族が多い学園らしく、王子も公爵令嬢も顔を知られている。その上で注目を浴びていたようだ。有名税ね、と割り切ってエリザベータも歩き出す。背後のフレデリックは後を追ってくる様子はないが、構っている暇はない。攻略対象にかまけているより、まっとうな学生生活を送ることの方が今のエリザベータには重要な課題なのだ。
◇
優雅に揺れるプラチナブロンドを、フレデリックは茫然と見送っていた。両脇に立つ幼馴染たちも同じく絶句しているようだ。それもそのはず、3人とは幼い頃から親交のあるエリザベータの、あんな淡白な態度は初めて見た。
エリザベータ・ヴィ・フルーナエント。この国有数の公爵家令嬢にして、フレデリックの許嫁第一候補と目された少女。彼女の自意識と自尊心は非常に高く、またフレデリックへの恋心も明確過ぎるほどはっきりと見て取れた。それこそ、執着心と言えるほど過剰に。
昔から王宮に顔を出す機会のあった彼女と出会ったのは、物心ついてすぐの頃。美しい女の子だ、と第一印象で感じたのを覚えている。もっとも、その後の彼女の態度でそんな印象は吹き飛んでしまったのだけれど。
フレデリックが彼女に抱いた好印象の何倍、何十倍も、エリザベータはフレデリックに強く惹かれたようだった。周囲の大人どころかフレデリック自身が察するほどに、エリザベータは彼に想いを寄せていた。
ただ恋をするだけならよかった。しかしエリザベータは、自分以外の女性がフレデリックに近づいたり話しかけたりするのを嫌がった。フレデリックを独占したがり、他の貴族の娘と会った話などすれば嫉妬で怒り、一日中拗ねる有様だった。周囲の大人はそんなエリザベータの恋を愛らしいと感じていたようだが、当事者のフレデリックにしてみれば話は別だ。
一途にフレデリックを想う彼女を、健気だと感じたときもあった。何せあの美貌だ、少年心に悪い気はしないと思ったこともあった。だがエリザベータの感情はフレデリックの許容を超えて大きく、熱く、重たかった。いつしか彼女から押し付けられる感情はプレッシャーとなり、エリザベータと会うのが億劫だと感じるときすらあった。許嫁の筆頭候補だと噂される頃には、エリザベータの愛情はますます大きく重くなり、比例してフレデリックの彼女に対する感情も重く怠いものへと変わっていった。
グレッグもクリストフも、そんなエリザベータの様子を間近で見てきた。彼女の性格も、フレデリックへの大きすぎる愛情も、大人たちよりよく知っている。
同い年の彼女が、同学年でこのウォールド学園に入学することは知っていた。彼女は優秀な魔法の才能を持っている。そして同じ学園で学生生活を送るなら、また彼女にまとわりつかれるのではないかと憂鬱な気分もあった。
事故に遭ったと聞いたときも、許嫁の候補であれば本当は手紙のひとつも出すべきだったのだろうが、結局筆を執るには至らなかった。今日だって、グレッグに言われていなければ気遣いの声をかけるかどうかも迷っていたくらいだ。大丈夫か、の一言に、彼女であれば感激のあまりこちらの気遣いを十倍にも百倍にも受け取るだろうと思ったからだ。
しかし結果は、先ほどの通り。フレデリックに声をかけられたエリザベータは特に気負わず振り向き、気遣いにあっさりと礼を述べてみせた。普段の彼女を知る人間の目には、そっけないどころか冷たいとさえ感じさせる態度で。グレッグとクリストフが両隣で驚愕していたが、フレデリック自身がまったく同じ思いであった。
フレデリックは驚くあまり「それだけか」などと問うまでしてしまった。これではエリザベータにべたべたとすり寄られることを期待していたようではないか。だがエリザベータはどこまでも他人行儀に「入学式が始まりますよ」と告げ、あまつさえ先にその場を離れるまでに至った。今までの彼女であれば、「一緒に参りましょう」と腕を引くくらいの行動には出たはずだ。
「何なんだあいつは……」
「いつものエリザベータ様とは違いましたね……」
思わず漏れた呟きに、グレッグが応じる。彼もまた、エリザベータの態度がいつもと違いすぎることに驚きを隠せない口ぶりだ。
「……まるで人が変わったみたいだ」
クリストフも心ここに在らずな声音で呟いた。フレデリックもその言葉に同意する。姿かたちは確かにエリザベータなのに、態度はまるで別人だ。
噂によれば、エリザベータは1ヶ月ほど前に落馬事故を起こしたという。三日三晩生死の境を彷徨ったというから、その過程で何か心変わりをするような出来事があったのだろうか。これまでのフレデリックへの執着心を全て忘れるような、途方もない何かが。
あるいはわざと、フレデリックに対して気のない態度を取っているのだろうか。これまでは押せ押せで迫りまくっていた分、今度は反対に引いた態度を取っている、とか。それでフレデリックの気を引こうとしているなら、悔しいが作戦は成功しているし、エリザベータはとんでもない演技派ということになる。
「……っと、殿下。入学式に遅れます、急ぎましょう」
「ああ……」
グレッグに促され、フレデリックは思考を打ち切った。先ほどエリザベータが向かった方角、講堂へと足を進める。心変わりにせよ、演技にせよ、今後はっきりとすることだろう。学園生活は始まったばかり。これから3年間、エリザベータとは同窓生として学ぶことになるのだから。