4.邂逅
ノヴァリア王国のほぼ中央に位置する王都、その北部郊外。緑も自然の魔力も豊かな森に囲まれた場所に、その魔法学園は存在する。
王立ウォールド学園。王国最大の魔法学園である。例え貴族であっても入学試験が課され、更に一定基準以上の魔力保有者でなければ入学できない最高学府。逆に商人や平民の子女であっても、試験基準をクリアすれば入学を許される、広く門戸の開かれた学園だ。在籍する生徒同士には身分の上下などなく、学問の前に人はみな平等であるというのがこの学園のポリシーである。
「まぁそんなのは建前の話で、実際は難しい話だけどね」
独り言を呟きながら、寮の一室をぐるりと見回す。持ち込んだ荷物の整頓をすっかり終えたこの部屋は、南向き角部屋という前世なら最高の立地条件。のみならず、恐らくこの寮内でも上から数えた方が早いくらい広くて良い部屋だ。内装の備え付け家具は一目見てわかる高級品ばかりで、何故か応接セットまである。室内にバスルームがある部屋も数少ないだろう。
何故そんなことがわかるかと言うと、前世でプレイした『星園』の記憶があるからだ。ゲームは全て主人公視点で動くのだが、その際に出てきた寮の部屋の内装はここまで華美ではなかったし、もっと手狭だった。バスルームだって、共同の大浴場を使うシーンが出てきたのだ。つまりエリザベータに与えられた部屋は、いわばVIP用なのだ。
「公爵家のご令嬢に並みの部屋は使わせられないってわけね……」
口に出した声は随分皮肉っぽく聞こえて、エリザベータは自嘲してしまう。特別扱いを受けているのは自分であるが、前世の小庶民的感覚がどうしても抜けない。平等を標榜する学園においても、身分制度はやはり色濃く出てしまうのだろう。ましてこの国は王をトップに据えたピラミッド型の社会だ。良くも悪くも出身で差別されてしまうのだろう。前世の日本とは比べ物にならないくらい、PTAの持つ力は強いはずだ。
「ふふ……PTAって」
思わずくすりと笑みをこぼす。この1ヶ月間、マーサにつきっきりになってもらった指導教育のお陰で、すっかりフルーナエント公爵令嬢エリザベータとしての態度も思考も身についたと思っている。だが、時折何気ない瞬間に前世の慣習や思考が顔を出すのだ。不用意な言動には気を付けないと、と気を引き締めて姿見の前に立つ。
背中に流したロングのプラチナブロンドを彩るのは、一点物の髪飾り。豪奢な黄金の薔薇のデザインで、花弁の上に乗った朝露として小さなアクアマリンの宝石があしらわれている。アイスブルーのそれは、エリザベータの瞳とよく似た色。父である公爵が入学祝にと与えてくれたものだ。学生が使っていいような代物なんだろうかと前世の庶民感覚が騒ぐが、せっかくの入学式なので髪につけてみた。上品ながら華やかなアクセサリーがよく似合う。
ワンピース型の学生服は、当たり前だがゲームで見ていたデザインと同じもの。前世でコスプレの趣味はなかったけれど、可愛らしいデザインの服に心が浮き立った。
「まぁそれも、この美貌あってのものか……」
呟いた通りに鏡の中の唇が動く。白磁の肌の中、宝石に命を与えたような瞳も、真っすぐに通った鼻筋も、つんと澄ました唇も、人形のように美しく整っている。二次元でのエリザベータはかなりの美少女だったが、実在のものとして、しかも己の容姿として目の当たりにしても非常に美しい。スチルや立ち絵と比べても遜色ない美貌である。
この美しさ、裕福で高貴な家柄、優しくて何でも言うことを聞いてくれる自分を溺愛する父。そりゃ我儘になるだろうな、と納得せざるを得ない。だがそれが悲劇を生むきっかけとなったのだ。あの結末だけは避けたい。断固として慎ましく生きねば。
叶うことならゲームに出てきた登場人物たちとは関係を持たずに卒業できればベストだ。それが無理でも、そつなく適度な距離感を保って接していきたい。
「――よしっ」
未来を知る自分だからこそ、未来を変えることはできるはず。悲劇は回避、悪いフラグは踏みつけて、とにかく生き延びて無事に卒業する。
この1ヶ月間で固めてきた決意を今一度胸に刻みながら、鏡に向かってひとつ頷く。そしてエリザベータは決然と振り返り、新生活という名の運命へと踏み出すために寮室の扉に手をかけた。
◇
「エリザベータ」
入学式のある講堂へと向かう最中、背後から掛けられたのはどう考えても聞き覚えのある声で、ぎくりと心臓が跳ねた。この声を耳にしたのはこの世界ではなく、前世での話。努めて表情が変わらないよう気を付けながら、ゆっくりと背後を振り向く。そして優雅な姿勢でカーテシーをひとつ。
「ご無沙汰いたしております、フレデリック王子殿下」
「ああ」
丁寧なエリザベータの口調に、返ってきたのはそっけない声。一礼から姿勢を正せば、そこには予想通りの顔があった。早速お出ましか、とエリザベータは内心で嘆息する。
黄金よりも濃密な金髪に、冬の深い空を覗き込んだような碧眼。色の白い端正な顔立ちにはわずかに不満そうな表情が浮かんでいる。まだ成長途中ながら均整の取れた痩身は、姿勢正しいながらどこか周囲を睥睨している仕草が見て取れた。この場合はエリザベータを、だが。
公爵令嬢であるエリザベータを敬称なしに呼び捨てにできる人間はほとんどいない。それ以前に、エリザベータはこの少年の姿を知っている。記憶の中にあるのは二次元のイラストだが、一目見て彼が誰であるかを理解できた。
フレデリック・サン・ノヴァリア。このノヴァリア王国における第二王子であり、更に言うなら『星園』の攻略対象キャラの1人である。位置づけとしては、正統派王子様だ。金髪碧眼、容姿端麗。高貴な生まれで何もかもを手に入れているが、真実の愛だけは得られない。それを初めて教えてくれるのが主人公であるヒロイン、というわけだ。この世界においてはまだ先の話であるが。
できればゲームの主要キャラクターとは関わりたくない、と考えた矢先に、ある意味最も主要な人物から声をかけられ、エリザベータは内心げんなりしていた。だが持前の鉄壁の表情筋と、前世で培われた社会人スキルが感情を完璧に覆い隠す。
「事故があったと聞いたが、大事ないのか」
問う声は随分とそっけない。義務感で声をかけたのが丸わかりだ。それなら呼び止めてまで話しかけなければいいのに、と憤然としつつ、おくびにも出さない微笑で軽く頷いてみせる。
「ご心配痛み入りますわ。ですが大したことはございませんでしたので、お気遣いなく」
あっさりと告げたエリザベータに、フレデリックは動揺した表情を見せた。視線で己の両脇にいる人物にアイコンタクトを求めている。そんな仕草で、エリザベータも彼に付き従う者たちに視線が行った。
向かって左に立っているのは、フレデリックよりやや小柄な少年。濃いグレーの髪を持ち、新緑色の瞳には眼鏡をかけている。色白の面立ちには知性が見え、秀才を自負する自信が瞳に表れている。
彼の名はグレッグ・ヴァン・カリークト。カリークト公爵家の嫡男であり、『星園』の攻略対象者の中ではいわゆる眼鏡担当である。父であり現当主のカリークト公爵はノヴァリア王国の宰相であり、本人も知的で博識な秀才だ。ゲーム中ではフレデリックのブレーン役を務めていた。
そして反対側、向かって右側にいるのは2人よりも背の高い少年だ。鈍色の短髪と藍色の瞳に、顔立ちも体格もがっしりとしている。腰に差した短剣は優美なデザインの鞘に収まっている。
彼はクリストフ・ヴァン・フォルティス。フォルティス伯爵家の次男であり、同級生ながらフレデリックの護衛役も兼ねている。『星園』の攻略対象キャラにおいてはマッチョ担当と呼ばれていた。
フレデリックの物問いたげな視線に、グレッグもクリストフもわけがわからないといった表情で顔を見合わせる。それも当然だろう。ゲーム中のエリザベータは、フレデリックにベタ惚れだったのだ。
この世界において(あるいはゲーム内において)エリザベータはフレデリックの婚約者候補の筆頭と目されていた。あくまで候補であり、正式な婚約者ではなかったのだが、エリザベータは既に婚約が結ばれたかのような態度で、周囲にもフレデリック自身にも振舞っていた。
それもそのはず、幼い頃から王宮に出入りしていたエリザベータは、フレデリックが初恋の相手だったのだ。同じく子供のころからグレッグやクリストフとも知り合いで、いわゆる幼馴染の関係であったが、エリザベータは一途にフレデリックに想いを寄せ続けていた。王宮や社交界では有名なほどに。
そんなエリザベータを、嫌うとまでは言わずともフレデリックは窮屈に感じていたようだ。ゲームの中では、勝気で押しの強いエリザベータではなく、控えめで慎ましい主人公が婚約者となってくれればいいのに、と吐露するシーンがある。完璧王子様の貴重な弱音シーンというやつだ。
そしてフレデリックルートにおいてはベストエンドの他に、バッドエンドが2つ存在する。1つはフレデリックがエリザベータと結ばれるエンディング。だがもうひとつのバッドエンドと、ベストエンドがエリザベータにとっては問題であった。
該当のバッドエンドとベストエンド、両方とも途中までは同じシナリオが続く。すなわちエリザベータが、主人公に対して嫌味を言ったり罵倒したりと、悪役令嬢の典型のような行動を起こす。同時にフレデリックに対し、主人公を傍に置くことに激しく不満を喚くのだ。当たり前だがフレデリックの心はどんどんエリザベータから離れ、主人公と急速に親密さを増していく。結束を固める2人に、ますます嫉妬の炎を燃やすエリザベータ。負のスパイラルである。
そしてついに、エリザベータの嫉妬が爆発。感情のコントロールを失った彼女の魔力が暴走する。元々魔力保有量が莫大なエリザベータは己の魔力暴走によって命を落とし、フレデリックもその暴走に巻き込まれてしまう。そこでフレデリックが命を落としてしまうのがバッドエンド、主人公が聖なる癒しの魔法に目覚めて一命をとりとめるのがベストエンドへのフラグとなる。
つまり、バッドだろうがベストだろうがエリザベータはここで死んでしまうのだ。しかも本編中で人が死ぬのはこのルートだけ。他の攻略対象のルートは甘く切ないラブストーリーばかりなのに、フレデリックルートは何故かエリザベータの死を乗り越えなければベストエンドへはたどり着かない。
ゲームプレイ当初はシリアスで迫真のシナリオに固唾を呑んでのめり込んだし、ファンの間でもトラウマ製造ルートとして人気(?)である。だがいざ自分がエリザベータの立場に置かれたらたまったものではない。己の死を惚れた腫れたの土台にするのはやめてほしい。
しかも自分は、前世の死の恐怖を如実に覚えているのだ。あんな思いはもう二度とごめんだ。絶対死にたくない。かといって3分の1の確率でフレデリックとエリザベータが結ばれるルートに進みたいかと言われれば、そんな賭けはまっぴらだ。命と恋愛、どちらが大事かなど考えるまでもない。