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3.良いニュースと悪いニュース


 良いニュースと悪いニュース、両方あるならば良いニュースから述べるのが定石だろう。


 江里菜が――エリザベータが目を覚ましたあの日から、もうすぐ1ヶ月。つまりウォールド学園への入学を間近に控えた今まで、エリザベータはこの世界のこと、国のこと、公爵家とそれを取り巻く環境など、ありとあらゆる情報を頭に叩き込んできた。

 良かったことと言えば、エリザベータの頭が非常に優秀であったことだ。記憶力は抜群で、公爵令嬢として知っていなければならないことはすぐに覚えることができた。元々この頭の中にあるはずの情報であるから、記憶も簡単だったのかもしれない。

 またこの国の言語も、聞いて話すだけでなく読み書きも自然とできた。日本にいた頃には見たこともない文字なのに、意味も読み取れるし書くこともできる。筆跡も手が覚えていたらしく、落馬前と変わらぬ筆運びで文字を書くことができた。

 公爵令嬢としての礼儀や立ち振る舞いも、最初こそ戸惑ったものの覚えは早かった。それもそのはず、エリザベータは生まれた時から貴族としての行動を身に着けながら育ってきている。正しい姿勢やカーテシーは記憶より身体が覚えているし、そのための筋肉だってついている。背筋をぴんと伸ばして立つだけで筋肉を使うし、ずっとその姿勢でいるならば必要な筋肉は自然と鍛えられるものだ。

 問題なのは、この1ヶ月の間はフルーナエント公爵邸から一歩も外に出ていないため、他人の顔を覚えられていないということだ。エリザベータは既に社交界デビューしている。つまり他の貴族の面々とは顔を合わせているということだ。そしてウォールド学園には貴族の子女が多く在籍している。学園で声をかけられた際は、どうにかアドリブで乗り切らねばならないだろう。


 それともうひとつ。最大の悪いニュースがこれである。


「うーむ……これはどうしたものか……」

「はい……」


 フルーナエント公爵が眉をひそめ、エリザベータも意気消沈して肩を落とす。2人の間には、小さなテーブルの上に置かれたグラスがひとつ。中にはなみなみと水が注がれ、波紋ひとつも浮かべず静止している。

 エリザベートはグラスに向かって再び手をかざし、手を触れないままでどうにかその水を揺らそうと念じてみるが、結果は先ほどと同じ。水は一切微動だにせず、そこに鎮座するだけだ。


「水魔法はエリーの一番得意な魔法のはずだったが……まさか使えなくなっているとは」

「……はい……」


 愕然とする公爵の言葉に、エリザベータはますます肩を落とした。落ち込んだ娘の姿に、慌てて「魔力自体はなくなったわけではないから心配しなくていい」とフォローしてくれる。だが使えないことには違いない、とエリザベータは落胆したままだ。

 そう、これまでエリザベータが使えていたはずの魔法が、この1ヶ月間は一切使えなくなってしまったのだ。それもそのはず、江里菜が生きていた世界に魔法などは存在せず、魔法の使い方というものがそもそもわからない。


 この世界において、魔力の多寡はあれど人はみな魔法を使うことができる。しかも貴族になるほど魔力が強く、魔力保有量も多い傾向にある。そしてこのノヴァリア王国においてトップクラスの貴族の娘であるエリザベータもまた、既に優秀な魔術師としての才能を発露させていたのだ。だからこそ国内有数の魔法学園に入学できた、というのは既に聞き及んだ情報だ。ゲームの中でも、エリザベータは成績優秀な生徒として描かれていた。もちろん魔法の授業の成績もよかったに違いない。だからこそ、今の自分が魔法を使えないというのは非常に問題がある。


「お父様は魔法をお使いになるとき、どのように魔力を練られるのですか?」

「そうだな……吸い込んだ息を腹の底で温めるようなイメージだ」

「息をお腹の底で温める……」


 教えられたイメージを意識し、腹の中に溜めた熱を手のひらから放出するイメージを思い描く。だが、結果は同じ。水は動くどころか水面が揺れもしない。エリザベータはがくりと肩を落とし、縋る気持ちで背後を振り返る。


「ねぇマーサ、貴方はどのように魔力を操るの?」

「ええと……足先から頭の先まで魔力を何度も往復させる感じです」


 考えつつも答えてくれたのは、エリザベータが目を覚ましたときに最初に姿を見た侍女マーサである。メイドさん(仮)と心の中で呼称していた彼女は、やはりこの公爵家に仕えるメイドであった。加えて言うなら、エリザベータの専属メイドである。そして今は、エリザベータに様々な知識を教えてくれる家庭教師の立ち位置でもあった。


 エリザベータの身に起こった非常事態について、事情を知っているのは父である公爵、容態を診察したバークレー医師、同じく同席していたマーサ、そして父の腹心とも呼べる執事のアーノルドだけだ。他の人間は、例え公爵家に長く勤めている使用人であっても事情を知らない。ただエリザベータが事故に遭ったこと、学園への入学前なのでその準備を進めていることだけを知らされている。

 万が一にも外部に漏れてはいけないスキャンダルだ、公爵としては情報を開示するのはごく限られた人間だけに留めておきたいのだろう。秘密を守るなら秘密を持つ人間の数を極力減らせばよい。合理的な考えだ。現に、外部には公表されていないはずのエリザベータの事故の噂は、既に外部の人間にも伝播しているらしい。人の口に戸は立てられぬとはよく言ったものだ。


「足先から頭の先まで……」


 マーサの言葉を反復しながら体の中で魔力を扱おうとするが、結果は同じ。そもそも今のエリザベータには、魔力というものが己の身体の中に存在するかどうかすら感じ取れていないのだ。体の中で往復させようにも、全くイメージできないのだから仕方がない。


「やっぱり駄目だわ……」

「魔力の使い方は人それぞれだからね。特にエリザベータは複数の属性に適正があるから、他人とは魔力の通し方が違うんだろう」


 慰めの口調で公爵が言う。この世界の人間は生まれつき魔法が使えるから、魔力を制御することは求められても、どうやって魔法を使うかと頭を悩ませたことがないようだ。二本足で真っすぐ立つことや言葉を話すことと同じくらい、魔法を使うことはごく自然な人間活動の一種らしい。


「使えないものは仕方がないよ。魔力自体は潤沢にあるんだ、きっとすぐ使えるようになるさ」


 言いつつ、公爵はちらりと視線を流した。それを追ってエリザベートも目を動かす。2人の視線の先には、1枚の鏡がテーブルに置かれている。

 否、鏡というほど透明度は高くない。色は銀色だが鏡面は鈍く、前世の記憶で言うなら遺跡から発掘される銅鏡のよう。長さは40cmほどの長楕円で、鏡の周囲を複雑な意匠が取り囲んでいる。

 鏡としてはあまり役に立たなさそうだが、実は人間の魔力を測定できるすごい道具なのだ。手のひらを鏡面に乗せれば、その人間が持つ魔力の量に応じて鏡面が光る。先ほどエリザベータが手のひらを乗せた際には、目が眩みそうなほど強い光が鏡面に満ち満ちた。その光は公爵やマーサよりもずっと強いものであった。


 ゲームにも出てきた通り、やはりエリザベータは魔法の使い手として優秀なのだ。シナリオの進行によっては、その魔力量が仇となって悲劇が起こってしまったほどに。問題のシーンを思い出し、ぶるりと身を震わせる。いけない。あんな事態を引き起こしてはいけない。シナリオの流れに逆らってでも、あんな悲劇は阻止しなければ。

 今エリザベータが魔法を使えないことが、幸か不幸かはまだわからない。魔法を使えなければ悲劇が起こらないと考える反面、自分の意思で制御できないことに危機感を抱いてもいる。いずれにせよ、ゲームのシナリオ展開で悲劇に繋がる要素は避けつつ、魔法を再び使えるように訓練する必要はあるだろう。


「学園に入学してからが心配ではあるが……エリーが事故に遭ったという噂は流れているから、しばらくはそれを言い訳にするのがいいだろう」

「はい、お父様」


 一人娘が落馬事故で生死の境を彷徨ったというのは、公爵家にとってはひどい醜聞だ。だが一度流れてしまった噂は仕方がないし、エリザベータの秘密を隠すためには良い隠れ蓑になる。嘘をつくには少しの真実を織り交ぜるのがいい、とは有名な言だ。


「学園には私からも話しておこう。落馬の怪我に響いてはいけないから、魔力の行使は極力控えさせてほしいとね」

「はい、いざとなればバークレー先生のお名前もお借りして、そのように誤魔化します」

「それがいい」


 ドクターストップだと伝えれば、学園側も強制はできないはずだ。まして相手は国内の有力貴族、しかも元老院に名を連ねるフルーナエント公爵家である。

 親子で魔法を使わない方法を模索しつつ、しかしエリザベータは内心で別の策も練っていた。使わずにのらりくらりと避けるばかりでは、いずれ追い詰められて破綻する可能性はゼロではない。その前に次善の策を打っておくのも必要だろう。

 要は、魔法は問題なく使えると周囲に思わせればいいのだ。この国の情報をある程度勉強した今、それが実現可能である希望も見えている。そのための材料も、既にいくつか準備済みだ。

 公爵も、エリザベータが頼めば何も聞かずにあれこれ入手してくれた。この1ヶ月でわかったことだが、公爵はかなりエリザベータに甘い。公爵は亡き妻を深く愛しており、没後も後妻を取ることはしなかった。そんな最愛の妻の忘れ形見である一人娘を溺愛するのはわかるが、少しやりすぎではないだろうかと心配になる。だからゲームでのエリザベータはあんなに我儘な性格だったのね、と納得しきりだ。


「何かあればすぐ手紙で知らせなさい。私にできる限りのことはしよう」

「ご心配ありがたく頂戴いたします。でも大丈夫、私も公爵家の名に恥じぬよう精一杯励みます」


 頭を下げつつ、エリザベータは決意を新たにする。ここからがようやくゲームのシナリオが始まる時間軸となるのだ。

 未来に何が待ち受けているかは、既にエンディングの数だけ知っている。だがそのどれをも選ぶつもりはない。悲劇的未来を回避する、それだけでなく、否それ以上に。エリザベータは幸せな未来を勝ち取ってみせると心に決めているのだ。


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