11.第二資料室
ウォールド学園には本校舎と第二校舎が存在しており、渡り廊下で繋がっている。生徒たちが授業を受けるのは本校舎、教師たちの準備室が集まっているのが第二校舎と区分されている。生徒たちはもちろん第二校舎に自由に出入りできるが、用事がなければあまり寄り付かない場所だ。
そんな第二校舎の3階に、第二資料室という小さな部屋がある。ただでさえ生徒が近づかない校舎の中で、更に教員も滅多に足を踏み入れないそこは、学園内で最も人目に付きにくい場所のひとつと言えよう。
「まぁ、そんなところがあるんですね! エリザベータ様、よくご存知でしたね」
「父から『誰にも見られず静かに過ごすにはちょうどいい』と教えてもらいましたの。わたくしの父もこの学園の出身ですのよ」
嘘である。フルーナエント公爵はこの学園の出身であるが、第二資料室の存在など父から聞いた覚えは一切ない。そもそも公爵がその場所を知っているかどうかすら怪しい。
では何故エリザベータが第二資料室を知っているかというと、もちろんゲーム内に出てきたからだ。ある日ヒロインは教師から用事を言いつかり、たまたま第二校舎に足を踏み入れる。そして偶然ある人物と出会い、第二資料室の存在を知るのだ。
そんなことはおくびにも出さず、あらかじめ用意していた言い訳を口にすると、レーナは「そうなんですね!」と目を輝かせた。疑いもしないその様子に、胸の奥底で良心がちくりと痛む。
「公爵様にもお茶目な一面があるんですね」
「うふふ、その通りですわね……あ、ここですわ」
「第二資料室」とラベル書きされた扉を見上げ、2人は足を止める。ドアノブに手をかければ、鍵もかかっておらずすんなりと回る。中に入れることにひとまずほっと息を吐いた。
ノブを押し開けば、軋んだ音と共に扉が開いた。埃っぽい空気が廊下を目指して流れ出してくる。照明はついていないが、カーテンが開かれているらしく室内は陽光で明るい。
エリザベータたちが普段過ごしている教室の半分程度の広さしかない室内には、整然と資料棚が並べられている。だがそこに資料らしい資料はほとんどない。資料室と銘打ってあるが、現在はほとんど使われていないようだ。だからこそ教師も生徒も寄り付かない場所なのだろうけれど。
(ゲームで見た背景にそっくりだわ)
内心で納得しつつ、室内に入る。続いてレーナが。2人して物珍しそうにあちこち見回していると、視界の端で何かが動いたのが見えた。
「誰だ?」
咎めるような鋭い口調。声は女性のものだ。聞き覚えのあるその声に振り向けば、やはりエリザベータの予想通りの人物が立っていた。
暗褐色の髪をポニーテールにし、海の深さを思わせるネイビーブルーの瞳は警戒心に尖っている。色黒とまでは言わないが、健康的な色をした肌は太陽の気配を思わせた。目鼻立ちのはっきりした顔立ちと相まって、スポーティな印象を与える少女だ。
「誰? あんたら貴族?」
少女は警戒心を強め、眉間にしわを寄せた。肌の色や身だしなみから貴族だと推察したらしい。エリザベータとレーナはちらりと顔を見合わせ、愛想よく微笑んで礼の姿勢をとる。
「初めまして、エリザベータ・ヴィ・フルーナエントですわ」
「レーナ・ヴィ・スターシアです」
「フルーナエント、ってあの公爵家の?」
「ええ、そうですわ」
目を見開いた少女の問いに、エリザベータは気負わず頷く。驚いた様子の少女は、次いで嫌悪感を露わにした。隣からレーナが驚いた気配が伝わってくるが、エリザベータには予想通りだ。微笑を崩さないまま、小さく首を傾げてみせる。
「お名前をお伺いしてもよろしいかしら?」
「……リベラ・スティラード」
ぶっきらぼうな口調でリベラが名乗る。彼女もまた、『星園』の主要キャラクターのひとりだ。
エリザベータやアイリスと違い、彼女はライバルキャラではない。ゲーム中ではいつもこの第二資料室にいて、プレイヤーは放課後になれば頻繁に彼女に会いに行くことになる。訪れた主人公に対し、リベラは様々な情報を、主に攻略対象たちの好感度やライバルキャラの動向などを教えてくれる。つまり攻略対象の好感度パラメータを知るために、この第二資料室が存在するというわけだ。
そんなリベラ本人は、国内では一大勢力を誇り、国外にも販路を持つスティラード商会の会頭の娘だ。本人の商才も優秀で、商売において情報網が重要であることを知っており、学園内においても独自の情報ルートを握っている。だからこそ攻略対象たちの情報を主人公に教えてくれるのだ。
ウォールド学園に通う生徒はほとんどが貴族であるため、リベラのような商人や平民生まれの生徒はごく少数だ。リベラは根っからの貴族嫌いで、ゲーム中ではそんな貴族社会に染まった学園内の空気に馴染めないでいた。自身も下位の貴族であり非嫡子であり、貴族社会においては落ちこぼれともいえるレーナだからこそ友人として接していた。本来は打算的性格の彼女が、何の見返りもなく情報を教えてくれるのも相手がレーナだからこそ、という設定だった。
(エリザベータが相手でも友達になってくれるかしら……ううん、弱気じゃ駄目。命がかかってるんだから)
エリザベータは、レーナとは正反対の立場だ。トップクラスの貴族の家柄で、社交界の中心人物。リベラが嫌う貴族のど真ん中の存在だ。だがそれでも、リベラとは仲良くしておきたい。今後フレデリックの動向を知るには、彼女からの情報が一番確実だ。そのために第二資料室に赴いたのだ。リベラと顔を合わせ、親しくなるために。
本当は、『星園』のキャラクターとは誰とも親しくならずに過ごしたかった。だがその望みが潰えた今、できることは極力情報を集めること。地雷のありそうな場所には近づかず、今後発生するであろうレーナの恋路を邪魔することもなく、3年間を無事に乗り切って晴れて卒業することだ。それにはリベラの協力が、彼女の持つ情報が不可欠となる。
「はぁ……公爵家のお嬢様がこんな場所に何の用?」
「何も。強いて言うなら人のいない場所でゆっくりお喋りしたかっただけですわ」
ね、とレーナに振り向けば、笑顔が返ってくる。カフェテリアや庭園などで話すこともできるが、やはり人目はあるものだ。エリザベータとレーナは、正反対の意味で他人の注目を集めやすい。ゆっくりと話をするなら、他人がいない場所に訪れるのが一番いい。
「そうだわ、せっかくだからリベラ様も一緒にお話いたしません? スティラード商会のお話、ぜひお伺いしたいわ」
「はっ? 何で?」
「何故って、興味がありますもの」
「あ、私もあります!」
平然と言ったエリザベータに便乗して、レーナも生き生きと声を上げる。これはゲーム中でも出てきた会話だ。スターシア子爵家は少数の貴族との付き合いしか持たず、レーナもその狭い範囲の人付き合いしか知らずに育ってきた。だから商人として育ったリベラの話はレーナにとっては物珍しいものばかりで、そんな素直なレーナにリベラも心を開いていたのだ。
ただしそれはある程度ゲームが進行してからの話。出会いがしらの今はまだ、リベラの警戒心は非常に高い。今も訝しげな表情でエリザベータとレーナを見比べている。
「……はっきり言うけど、あたし貴族って嫌いなんだよね」
「でしょうね。見ていればわかりますわ」
「はぁ!? わかってるなら何で話そうとか言うわけ!?」
「貴方とお話したいからよ。それ以上に理由がありまして?」
ゲームの事前情報なしでも、リベラが「貴族令嬢2人」を疎ましく見ているのは十分に察せられた。だが少々嫌がられたところでエリザベータは引きもしない。引くわけにはいかない。こちらは命がかかっているのだ。
「逆にお伺いしますけれど、どうして貴族がお嫌いなの?」
「決まってるだろ、生まれてきた家が貴族だからってだけで、偉そうにしてるからさ。あたしたちと貴族の、何が違うって言うんだ」
随分と恨めしげな口ぶりでリベラが毒づく。ゲームの中でもそうだったな、とエリザベータは懐かしい気持ちだ。
リベラは、貴族相手でも堂々と渡り合う商人の父親を尊敬しているのだ。同時に、父に向かって権力を振り回す貴族たちを心底嫌っている。将来自分が商売をするようになったら、貴族相手の取引は思い切り足元を見て高額を吹っかけてやる、と主人公に対して息巻いていたのを思い出す。
だがそんな彼女だって、仮にも子爵令嬢であるヒロインとは親しくなれるのだ。つけ入る隙がないわけではない、とエリザベータは一歩を踏み出す。
「わたくしも全く同じことを考えておりますわ。わたくしと他の方、貴族であろうが商人であろうが、同じ人間ですもの。どこに違いがありましょうか」
「は? あんたは貴族でしょ。これまでぬくぬくと、何の苦労もなく育ってきたお嬢様が何言ってんの?」
「まぁ、悲しいわ……商人と貴族と何が違う、と仰った同じ口で、わたくしのことは差別なさるの?」
差別、とはっきり口にしたエリザベータの言葉に、リベラは怯んだようだ。これまでは自分が差別され、貴族から軽んじられてきた、それと同じ思考を自分自身も持っていたことに気づかされたからだろう。もちろん身分差はこの社会における常識であり、生まれ育った頃から染みついた感覚だ。リベラとて無意識だったはず。荒療治であることを自覚はしているので、エリザベータは内心で申し訳ない気持ちだ。