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9.ヒロイン(2)


「まぁ、立場なんて誰が決めたのかしら?」

「え……?」


 不満げに、いっそ高飛車に聞こえる口調で問う。レーナは何を言われたのかわからなかった様子で、ぽかんと口を開けた。その表情が、餌を取り落としたまめ子そっくりで笑ってしまいそうになる。


「ねぇレーナ様。ノヴァリアは王国。統治者は王家ですわよね?」

「え……は、はい、あの……?」


 突然脈絡のない話題を口にし始めたエリザベータに、レーナは戸惑った様子で斜めに頷いた。アイリスも何を言い出すのかと驚いた表情でこちらを見つめている。


「爵位はその時代の国王陛下、つまり王家から賜るものですわ。お家柄の古い新しいはありましょうけれど、それは変わりません」

「え、ええ……そうですね……?」


 構わず続けるエリザベータに、話の行きつく先がわからないのかレーナは頭の上に疑問符をいくつも浮かべている。一方アイリスは、何かを察した様子で控えめに目を見開いた。


「我がフルーナエント家も、貴方のスターシア家も、同じ王家から爵位をご下賜いただいた貴族ですわ。であれば立場の違いにどれほどの差がありますの?」

「エリザベータ様……」

「そもそも、わたくしは貴方を子爵令嬢として見ているわけではなくてよ。貴方はレーナ様、この方はアイリス様、わたくしはエリザベータ。ただの同級生ですわ」


 本当は、貴族だ何だと身分をつけること自体が時代遅れだと感じている。人間は誰しも平等なのだ。誰だって肌を切ったら流れるのは赤い血なのだから。

 だがこの国においてその発言は許されない。王家は絶対君主であり、王家の血を引く人間は敬われなければならない。だからエリザベータは発言の内容を少し捻り、「貴族は貴族、その立場に違いなどない」と説いたのだ。

 もちろんこの発言も、この国においてはあまり褒められたものではない。他人がエリザベータの言葉を聞いていたなら、間違いなく眉をひそめただろう。そもそもエリザベータが公爵令嬢だからこそ許される発言である。仮にアイリスが、あるいはレーナが、自分の家より格上の相手に言ったとしたなら礼儀知らずだと咎められる言葉だ。


 しかし今ここにいるのはエリザベータたち3人だけ。不遜とも言うべき発言を知るのも3人だけだ。そして、国内最高峰の家柄の令嬢から「身分差など気にしない」と告げられた子爵令嬢は、ただ呆気にとられた表情でエリザベータの顔をじっと見つめていた。

 やがてエリザベータの言葉を咀嚼し、飲み込んで、理解する。色白の頬がじわじわと上気し、同時に見開かれた丸い瞳がうるりと潤み始めた。目尻にせりあがってきた透明の雫が零れ落ちるより先にさっと顔を伏せ、令嬢にはふさわしくない仕草でごしごしと目元を擦ったレーナは、ぱっと顔を上げて破顔した。朗らかで、可憐で、蕾が花開いたような爽やかな笑顔。


「ありがとうございます、エリザベータ様!」

「あら、何もお礼を言われるようなことはなくてよ」


 明るい声を軽くあしらって、エリザベータは完璧な令嬢の仕草を意識しながらカップを口に運んだ。レーナの満面の笑みに、まめ子の面影を想起する。この笑顔、妙に癒される。例えるならアニマルセラピーのような。この笑顔に落とされたなら、攻略対象キャラたちは全員動物好きに違いない。

 レーナだけでなくアイリスも感動した表情でエリザベータに熱い視線を送っている。彼女も貴族社会の一員だ、レーナを友人と思いつつも彼女を取り巻く環境に思うところがあったのだろう。だが格上のエリザベータが「立場などくだらない」と言い切ったことで、アイリスも割り切ることができたようだ。


(若い女の子の助けになれたならお姉さんは幸せよ)


 アラサーの思考全開でうんうんと頷き、エリザベータは2人のうら若き令嬢に向けて完璧な令嬢スマイルで微笑みかけてみせた。これでひとまず悲劇へのフラグは回避できたはずだ。可愛いJKと仲良くでき、己の身の安全も保持でき、おいしい紅茶も飲める。三方丸く収まった、満点ムーブと言えるのでは。自画自賛しながら、エリザベータは温くなった紅茶を口に運んだ。



 ほわ、と淡い溜息が隣で零れ落ちた。幸福感すら窺える吐息に苦笑して、アイリスは横を歩く人物をちらりと見る。


「エリザベータ様、素敵な方でしたね……」

「ええ、本当に」


 先ほどのささやかなお茶会の余韻をいまだ引きずったレーナが、うっとりと憧れの眼差しを空中に漂わせている。彼女の目には、この場にいないエリザベータの笑顔が見えているようだ。その気持ちはわからないでもないので、アイリスは何も言わずにくすりと笑う。

 フルーナエント公爵家といえばこの国では知らぬ者がいないほどの大貴族だ。しかもご令嬢のエリザベータは見目麗しき完璧な貴婦人。下心なくとも挨拶くらいはしたいと望んでいたレーナの気持ちは痛いほど理解できた。同じクラスに在籍しているのに声もかけられなかったレーナのため、アイリスはエリザベータへの挨拶に彼女を同伴したのだ。


「実は私、お茶にお誘いしたときに断られるかもしれないと思っておりましたのよ」


 アイリスがしみじみと告げる。彼女の知るエリザベータは、嫌なものは嫌だとはっきり言う性格だ。ノヴァリア王国随一の公爵令嬢で、誰もが彼女の心を忖度すれど、彼女が誰かに遠慮する場面など見たことがない。その必要がないのだ。地位も権力も美貌も、彼女は生まれながらに全て持ち合わせている。

 だからこそ、エリザベータが2人に付き合ってカフェテラスに来てくれたのも、3人でお喋りに興じてくれたのも、ひとえにエリザベータがそれを良しと考えてくれたからだ。わずかでも自分たちに心を傾けてくれたことが嬉しい。


 それに、とアイリスは口に出さずに思考する。それに、エリザベータがレーナを受け入れてくれるかどうかはある種の賭けだった。社交界に顔の広いエリザベータが、スターシア子爵家の話を知らないはずはあるまい。高位の貴族であるエリザベータにとってみれば、子爵家のゴシップなど興味はないだろうと思ってはいた。黙殺されればいいところだが、もしかしたら好奇の目で見られるかもしれない。あるいはこれまでレーナが他の貴族から受けてきたような、蔑みの視線を向けられる可能性だって、ないとは言えなかった。

 けれどアイリスの心配は何もかも杞憂に終わった。エリザベータはやはりレーナの事情を弁えていたのに、その上で「それが何か?」と言わんばかりに一蹴してみせたのだ。ゴシップなど些事だとあっさり流し、レーナ個人の存在を尊重してくれた。

 これまで、レーナの、あるいは子爵家の醜聞を面白おかしく噂し、一方的に軽蔑した視線を送ってきた貴族は多くいた。アイリスだって、レーナの心優しい人柄に触れるまでは遠巻きにしていたこともあった。けれどエリザベータはレーナの家名を聞いても臆さず向き合い、すぐに彼女を一個の人間として認め、自分との間に何の隔たりもないと言い切ってみせたのだ。

 何たる高潔、何たる高貴。あれこそ本物の貴婦人だ、とアイリスは深く感動していた。同時に己の思い違いを深く恥じ入る。エリザベータに疑いを持つなど、間違っていた。貴族とは、人の上に立つ人間とはああ在らねば。人を従えるからこそ人を思いやる。彼女こそ貴族になるべくして生まれてきた存在、ノブレス・オブリージュの体現者だ。


 最も現在のエリザベータの中身は保身に走る小庶民であり、彼女の言動は先の未来を知るからこその保身ムーブであり、本来のエリザベータはアイリスの心配の一番最悪の行動をするはずだったのだけれど、2人には到底知る由もない。


「……私、本当はこの学園に来るの、怖かったんです」


 レーナがぽつりと呟く。その言葉に、アイリスはただ沈黙で返した。

 学園に来るのが怖かった、とレーナは言うが、本音のところは「貴族の子女が多く集まる環境に放り込まれるのが怖かった」だろう。学園は生徒たちの平等を謳ってはいるが、実際は貴族社会の縮図めいている。家柄の高さが発言力に直結するし、学園内での人間関係がそのまま社交界に持ち越される。貴族の中では家柄もそう高くなく、誰からも祝福された出生でもないレーナにとって、この学園は針の筵だ。

 実際に、アイリス自身もレーナが奇異の目で見られていたり、ひそひそと陰口を叩かれているのを見かけたことがある。自分が気にせず友達付き合いをすることで少しでも救いになれば、と考えていたが、クラスが分かれてしまった以上何かと限界はある。


「でも、エリザベータ様のような素晴らしい方とお話できて、本当に感激しました」


 それだけで入学した甲斐があった、とまで言い出しかねないレーナの様子に、苦笑しつつもアイリスは安堵していた。

 エリザベータの言葉はきっと彼女の本心だ。彼女は忖度を知らないし、する必要もない高位貴族なのだから。あの言葉がレーナの心を励ましてくれたのが今は嬉しい。エリザベータの言葉は、きっとこれからもレーナの心の支えとなり続けるだろう。


「教室ではお声がけできませんもの、あれほど気高い方とお話できて光栄でしたわ」

「エリザベータ様は人気ですものね」


 嬉しそうなレーナに頷きを返す。エリザベータは教室でもそれ以外の場所でも取り巻きに囲まれているのをよく見かける。あれは彼女の家柄なり、あるいは優秀さなりに取り入ろうとしているのだろう。先ほどエリザベータが口にした皮肉からも明確だ。

 もしかしたら、エリザベータ自身もそんな貴族社会に疲れているのかもしれないな、とアイリスはぼんやり思った。下には下の、上には上の悩みがあるものだ。幼い頃から権謀術数を隠し持った大人たちに囲まれ、学園に入っても下心のある生徒たちに囲まれ。だからこそ素朴で裏表のないレーナとの話を楽しんだのかもしれない。全て、アイリスの想像に過ぎないけれど。


「また機会があれば、3人でお話したいですね」

「ええ、本当に」


 エリザベータは人に囲まれるために生まれてきた存在だ。その意義も、価値もある。常に周囲を人が取り巻く彼女と、こうして3人だけでお茶ができたのは貴重な時間だった。ささやかな秘密を分かち合った気分で、アイリスとレーナは顔を見合わせて小さく笑い合った。


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