乙女ゲームの世界
目を覚ました時、自分の部屋だとわかった。
何か夢を見ていた気がするけれど、寝起きの頭は働かない。
部屋の中は薄暗く、小さなランプがベッドの横のテーブルに置かれていた。
……どうして、ランプがあるのだろう。
こつこつと、足音がした。
人の気配のするほうに顔を向けると、オルカがいた。
水を入れたコップをトレイに載せてこちらに近づいてくる。
私が目を覚ましていると気づいたオルカは、トレイをテーブルに置き、ベッドの脇に跪いて私をのぞき込んだ。
「お嬢様……目を、覚まされましたか」
「…………」
頷くことで返事にして、私は手を頭にあてた。
頭はもう、痛くないが、ひどく喉が渇いている。
起き上がろうとして、オルカに支えられながら体を起こした。
ぼんやりとした意識で、私は口を開いた。
「……あの後」
どうなったの、と聞こうとして、オルカは水をいれたコップを渡してきた。
コップを受け取って、私は飲むというよりも、舐めるように水を含んだ。
程よく冷たかった。
「お嬢様は、三日ほど眠られていました」
オルカの言葉に、私はコップから口を離した。
「三日?」
つまり、あの誕生日パーティーの夜から、三日が経過しているということ。
三日の間、眠り続けていた、ということ。
「原因はわかりません。お嬢様次第の回復で目覚めを待つことしかできず、奥様や旦那様も心配なさっていました」
「……」
もういいわ、と、ほとんど飲んでいない水をオルカに返した。私は背筋に寒気が走るのを感じた。
咄嗟に両腕を交わして腕をさする。
ざわざわと嫌な予感が、漠然とした不安が、私の中に押し寄せてくる。
オルカが何か言う前に、私は口を開いた。
「下がって。一人にして」
「……かしこまりました」
オルカがランプをもって下がり、部屋を出たところで、私は息を吐いた。
暗闇の中で、私だけが息をしていた。
怖い。
見えない恐怖が、背筋を這って冷たい息を吹きかけてくる。
鎌を持った死神が、そこにいるような気さえする。
そして、徐々にさっきまで見ていた夢が、頭の中で思い起こされてくる。
「……ここは」
乙女ゲームの世界。
銀髪に、赤と青のオッドアイ。
婚約者のリオット・レオバルト。
騎士。
間違いない。
「私は……悪役」
絞り出すように声に出す。
まさか、ゲームの中の世界に転生したなんて。
でも、そんなことが、あり得るのだろうか。
実際に起こっているのだから、あり得る話になったけれど。
「…………」
わからないことが多い。
ひとまず、この世界が乙女ゲームを軸にしていることはわかった。けれど、私はゲームの内容を知らない。
夢でみていたはずなのに、肝心なところは何一つわからないままだ。
だとしたら、悪役の末路は決まっている。ロクな終わり方じゃない。
でも、それを瓦解する一手となったのは、私だ。
本当にゲームの通りになるなら、私が転生してきた時点で、すでに物語の流れは変わっている。
以前の『私』なら、ゲーム通りのシナリオ通りに進んだかもしれないが、私は『私』のようになれないし、なるつもりもない。
「(ゲームのヒロイン、攻略者から離れたら、私が何かしらに巻き込まれることはない……)」
はず。
だから昨日……今では三日前になるけれど、リオットに婚約を破棄すると言った。
乙女ゲームの世界とわかっていたから、ではなく。
『私』が、それを決めていたからだ。
理由はわからないものの、転生したとわかった私には、そうする以外の方法がなかった。
あの夜は、婚約破棄をリオットから離れるための言い訳に使ったようなものだし。
そもそも、どうやってリオットとの婚約まで繋げたのか、思い出せない。
前世で生きていた記憶が上乗せされて、まだ頭の中が整理しきれていないせいだろうか。
考え始めると終わりがない。
そうしていると、頭が重くなり、眠気が全身を包むように纏わりついてきた。
……今はもう、眠ろう。
きっと朝になれば、また何か思い出すかもしれない。
ふかふかとした枕に顔を埋め、布団を肩まで被って、私は目を閉じた。