記憶
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「これはね、乙女ゲームっていうの」
「乙女ゲーム?」
誰もいない教室で、彼女は頷いた。
授業も終わり、放課後になってからというもの、部活のある人は部活に、家に帰る人は家に。
あっという間に人の気配がなくなった校舎の中の一つ、教室を二人で占領していた。でも、使うのは窓際の机一つ、椅子を二つ。私たちは、机を挟んで向かい合い、話をしていた。
「簡単に説明すると、主人公が女の子で、登場人物と恋をする、恋愛シュミレーションゲームだね」
「へえ」
気のない返事をした私が、彼女には不満だったようだ。
「聞いてる?」
「聞いてる」
「もう。現実で満足してるからって、ゲームを馬鹿にしないでよね」
「馬鹿にしてるわけじゃないけど」
「だってさ、男子も女子も、みんなに愛想良くってさ。憎めないっていうか……」
「そんな」
「謙遜はいいから。で、話の続きだけど、ちょっとだけやってみない?」
「ゲームは……」
「意外と、やってみるとハマるんだって!騙されたと思って、ね」
ぐいぐいと、ゲームのパッケージを前に押し出す彼女に、私は渋い顔をするしかなかった。
「ゲーム機もってないし、ゲームは本当にやったことないから」
「えぇ~?小学校でも?もったいないよ。こういうのもあるんだ~、ってくらいでいいから、試してみなよ」
「でも」
「ん~~。無理強いはしたくないけど、ちょっとくらい興味もてない?」
「…………」
彼女は、どうしたものか、といった顔をする。
そんな顔をさせたいわけじゃないのに、でも、ゲームをする気にもなれない。
そこで、私は思いついていった。
「それなら、教えてよ」
「え?」
「もう、全部クリアしたんでしょ?」
「うん」
「だったら、どんな話か聞かせて」
「実際にプレイしてくれたほうが、私は嬉しいんだけど」
「もしかしたら、話を聞いてるうちに試してみたくなるかも。それまで、聞かせてよ」
「ん~~……」
彼女は少し考えたものの、すぐに「まあ、いっかぁ」と開き直った。
「わかった。とことん、話してあげる」
「うん」
彼女はゲームのパッケージを開けて、説明書を取り出した。
「カセットって、丸いんだ」
「そうだよ。ま、これもゲームのタイプによるけどね」
「へぇ」
彼女は説明書を開き、登場人物紹介のページを開いた。
「ヒロイン、つまり主人公ね。この子が、この攻略対象に出会って、少しずつ好感度を上げて、恋をしていくゲーム」
主人公である女の子を指さし、次に攻略対象と書かれた男の子たちを指さす。
「……多くない?」
「え?普通だよ?」
「普通?」
「むしろ、少ないかも」
「少ない……」
「これくらい、まだ優しいよ」
「優、しい……?」
まあ、その辺はまた今度詳しく話すね、と彼女は言ったけれど、気になる。
「攻略対象は、それぞれが主人公並みに、重要な役割があるの」
「うん」
「まあ、だいたい好みが、ゲームをするうちに出てくるんだけど……。見た目だけで、どのキャラが好きとか、ある?」
「……うーん……」
「あ、二次元にそもそも、関心がなかったっけ」
「う、ごめん」
「いやいや、そうじゃなくてさ。やっぱ、抵抗ある?」
「多少……」
「だよね。でも、聞いてくれるってことは、少なくとも気になってはいる証拠だよ」
「そういうもの?」
「そういうもの」
ちなみに私が好きなのはこのキャラ、と彼女が指したのは、優しい面立ちをしながら凛とした雰囲気を思わせるキャラだった。
「このキャラはね、騎士なの」
「騎士?馬に乗ってる?」
「実際に馬に乗ってるシーンはないけど、そうだね」
「でも、主人公は平民だよね」
「そうだけど、この主人公は魔法が使えるの」
「魔法」
「そ。16歳になったら、魔法の勉強をするために学園に通うんだけど、このキャラも学園に入学するんだよ」
「騎士なのに?」
「それは、後々の話。まだ本当に騎士じゃないっていうか……まあ、家系的には騎士なんだけど」
「ふうん?」
乙女ゲームは、複雑な設定があるんだな、というのが私の認識になった。
設定が盛りだくさん。
「でも、この騎士には、婚約者がいるんだよね」
「婚約者?」
「そ。デザイン化はされてないけど、主人公の恋の邪魔をする、いわゆる悪役。モブ」
「モブ……」
「銀髪で、オッドアイっていう、妙に凝った設定つき」
「モブなのに?」
「モブでも、重要なモブっていうのがあるんだよ」
「へぇ」
奥が深い、乙女ゲーム。
私は感心してきて、彼女の話に自然と身を乗り出していた。
彼女も、私が興味を示してきたことに気づいて、饒舌になり始めた。
「このゲーム人気だから、続編があれば、モブにもキャラクターデザインがつくかも」
「続編?」
「そう。たまに、人気のゲームは、続編がでるの。だいたい、主人公と攻略対象がすでに付き合ってるか、結婚してる。あるいは、まったく別のキャラが主人公になって、新しい攻略対象を相手にプレイするとか、種類によってパターンはたくさんあるよ」
「め、目が回りそう……」
本当に目が回って、思考が絡み合って滅茶苦茶になりそうだった。
彼女は慌てて言う。
「ごめん、次々と言って。わかんないよね。順番に行こ」
「うん」
「それじゃ、モブが気になってたみたいだし、そっちの話を先にしてあげる。そこから、主人公や攻略対象の話も絡めていくね」
「お願いします」
「いいよいいよ。じゃ、まずはキャラの名前なんだけど――――」
口が、パクパクと開閉する。
え?なんて言ったの?
でも、彼女は私の疑問に答えず、話し続ける。
ねえ、待って、聞こえない。
そのうち、彼女の姿がどんどん見えなくなっていく。
違う、私の目が閉じようとしている。
彼女の姿が、視界の中でぼやけて、やがて見えなくなった。
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