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《 長編・青春ホラー 》 “ 影、つどう ”  作者: 黒瀬 珪
第一部 “ 野 分 - の わ き - ”
7/10

1.推定される発端  - その5 -


               ▲


 真っ暗な階段の途中で、卓也は突然立ち止まった。

 外の渡り廊下で話した後、原野一子を最後に見かけたのはどこだっただろうか?

 鏡子が不審に思うのも無理はない。考えてみればステージにもホールにも、ギャラリーの上にも、確かに原野一子の姿はなかった。

 だが、外へ出たとしたらどこへ行ったというのか。体育館を一歩出ればそこにあるのは、いつまたふり出すとも知れぬ雨と群れからはぐれた野獣のような風をあちこちに潜ませた、浄善寺ヶ原の冷え切った夜闇ばかりなのに。

 鉄製階段の途中で目を閉じると、体の周囲の冷え切った闇が無限の高さを持つ壁となってそそり立った。

 やがて卓也は目を見開き、ゆっくりと前方の階上を見上げた。

 どこにいるか? などと、考える必要もなかった。()()()()()一子はいた。夜闇の中を上方に向かって連なる階段の、一番上までのぼったところに。

 ステージを挟んだ反対側、西側の階段を上った二階は更衣室となっている。そこでは今頃大ボケ野郎の大友兵衛が、出来たばかりの()()と呼ばれる書き割りの支えを整理しているはずだ。

 舞台袖の下手は第一用具室。高く積み重ねられた飛び箱が並び、キャストたちの溜まり場として使われている。

 いっぽう上手側の舞台袖の先にある体育館倉庫は、畳まれた長机と椅子で普段から一杯で、さらに現在は入り口の前にグランドピアノと講壇が寄せてあり、そこからは中へ入る事さえ不可能だ。加えて校舎はとうに施錠され、とうに出入りが出来なくなっている。

 階段を上った所にあるラッカー塗りの木戸の前で、卓也は立ち止まった。

 濃緑の引き戸はぴったり閉ざされている。

 ドアの隙間からは、僅かな光も漏れて来ない。そこは各種のボールや球技用のネットがしまわれている第二用具室だった。

 一度目の通し稽古が終わりステージからホールに下りたときには、マジックミラーの大きな窓にまだ明かりが灯っていたはずだ。

 今体育館で、一人でいられる場所はそこしかない。

 間違いなく一子はそこに、10月下旬の夜気を閉ざした闇の中に、一人でいる。

 第二用具室の灯りを消したのは彼女だ――

 なぜそんなことをしたのか、理由など知るよしもないが。

 階段を登り切って用具室の前で前に立ち止まると、卓也は扉の前で音を立てぬようしゃがみ込んだ。

 扉の隙間から中を覗くと、目に微かな風が吹きつけて来る。やはり真っ暗で何も見えない。

 しかし、安川一子は間違いなくそこにいる筈だった。

 「今度という今度はハァ、病気も洒落じゃすまねェってが?」

 軽口を叩いたつもりが、自分の囁きにぞっ、と全身が総毛立った。

 怯えから何も出来なくなる前に、卓也は行動に移った。


               ▲


 卓也は力任せに木戸を開け、ろくに中を見もせずに怒鳴った。

 「一子。おめ、何してらんだ? こったな所で」

 答えはなかった。ほんの一瞬押しのけられた静寂がたちまち戻って来て、ふたたび闇をくまなく押し包んだ。

 ビニールシートを被ったままのオフィスデスクを背に、安川一子はパイプ椅子に腰掛けていた。

 闇と薄あかりの中で、その後姿は風の中に一瞬凝結した煙柱を思わせる。

 振り向こうとする様子はなかった。制服の襟足から覗く白いうなじさえも微動だにしない。

 「安川?」

 北に向いた張り出し窓のくもり硝子に青白い光が滲み、微生物のように蠢いてる。あれは街道沿いの民家の明かりか、それともその窓から洩れる茶の間のテレビ画面の輝きだろうか。

 「おい、安川!」

 卓也は囁きながら覚束ない手で壁を探り、わざと大きな音を立てて蛍光灯のスイッチを入れた。どっ、と溢れる色彩の中で、卓也は危うく大声を上げそうになった。

 一子の顔つきは恐ろしいほど様変わりしていた。

 平板な卵形の顔に小刀で彫り込まれたような眼窩が、張り裂けんばかりに大きく見開かれている。ひとより僅かに大きな目蓋と、僅かに小さめな眼窩から、意外に大きな目が剥き出しにされていた。それはステージに立ち、声も身のこなしも性格も豹変したときに一子が見せる表情だった。

 長いこと一子は夜露のびっしり浮かんだ北の窓を見つめていた。

 そして、不意に一子は囁いた。

 「とうとう、始まるよ」

 秋の虫のような声だ、と卓也は思った。校舎裏にある枯れた花壇の中で、いつも()細く鳴いている螻蛄(けら)のような声だ、と。

 「何だと?」

 いつの間にか風が凪いでいた。校庭の外周を流れる用水路の瀬音が異様にはっきりと聞こえる。敷居の上で卓也の両足は、前進と後退を決断しかねていた。 

 夜目にも白い一子の喉許が、再びかすかに動いた。

 「ほら。来る」

 たった一言。その幽かな響きに、恐ろしい確信を込めて。

 「来る、って―― 何がよ?

 「来るよ」

 「おい安川…… 何のはなしだ? …… おい! 来るって、一体(いってぇ)何来るってよ!……」

 そして。

 「来た」


( 続 く )

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