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《 長編・青春ホラー 》 “ 影、つどう ”  作者: 黒瀬 珪
第一部 “ 野 分 - の わ き - ”
5/10

1.推定される発端  - その3 -


     

               ▲

 


 潜水艦の内部のような窓のない廊下のはずれには、耐火金属製の大きな扉がある。

校舎の北側では風の勢いが最も激しく、鯨波のような風音が轟くたびに(こだま)が螺旋を描いて背後の真っ暗な廊下へ飛び去って行く。風圧に逆らってドアを開けるにはそうとうの体重をかけねばならなかった。

 外の渡り廊下に出ると、いつの間にか雨は止んでいた。

 弱々しく冷たい陽射しに、卓也は暗がりに慣れた目を細めながら空を見上げた。

 屋根のある渡り廊下はすぐ先で鍵状に曲がり、校舎とかまぼこ型の屋根の体育館をつないでいる。

 校庭ではサッカー部員が泥まみれになって駆け回っている。時折喚声とホイッスルが突風を切り裂き、バックネットに荒々しく跳ね返った。

 「なあ卓よ」

 いつの間にか三浦の口調には、何か焦燥に駆られてでもいるかのような熱がこもり始めていた。

「卓。おめえだったらどうする?」

「だがら、どうするって何だ」

 三浦は再びはにかんだような微笑を浮かべ、卓也から目をそらした。

 地上では怒号と笛の(いなな)きが渦巻く中、空中高く舞い上がったボールが大きく風に流されて行く。

 「あったな人里離れだ林の奥だの野っ原で、お()だったら夜の一〇時過ぎに何する?。立ち話するったってどったな話題がある?」

 「知るが!」

 卓也は苛立って怒鳴り、三浦と正面から対峙した。

 三浦は自分の発した言葉のせいで、ひどい自己嫌悪に陥っているようだった。

風に吹き乱される前髪の奥に三浦自身にも説明がつけられぬらしい奇妙な困惑が巣くっている。全くなじみのない不穏な苛立ちに駆られ、卓也はさらに乱暴に怒鳴った。

 「いいかげんにせえよ。さっきがら黙って聞いでっとお()、一体俺さ何言わせでェのよ? はっきり言えばいがえんちぇ!」

 三浦は長いこと茫漠とした表情を浮かべていたが、それでもやがてようやく本筋にはいるつもりになったようだ。

 「火野よ。この辺りさは、随分と妙ちきな昔の言い回しがまだ残ってらんだな」

 「言い回し?」

 「ああ。ちょっと離れだ他の場所では通用しねえ、意味不明の―― 何つうんだ? そう、慣用表現づう奴だな。例えば 〝水が来る〟 どが 〝森が荒れる〟 どが。聞いたことねえが?」

 「いや」

 投げやりな口調で卓也は言い、傷だらけの通学鞄を持ち上げた。どこかで聞いたような覚えもあったが、卓也は三浦が何を知ってるのか、何を知りたがっているのかが気になった。

「浄善寺さ住んでる連中に言わせっと、どうやら最近またしても森が荒れ始めたらしいのよ。またしても、だぞ。〝森が荒れた〟 のはこれが最初でねえってこった」

 「答さなってねえぞ。司よ。俺ァこう見えでもそうそう閑人でねえんだ。さっさと話してけねが?」

 荒涼とした薄陽の中に長く続いた沈黙のあと、三浦は唇をなめ一段と声を低めた。

 「おかしィど思わねえが。とどのつまり牧掘の山のほうほっつき歩いてる、づうのは変態なのが? 変態づう連中って、普通は群れ成してうろづいだりしねえべや。それにそうすっと、例の駒が見たづう橋の上の女子(おなご)はなんだ? 森が在れっとそったなわけのわからねェ手合いがうろつき始めんのが?」

 僅かに肩を落とし、三浦はゆっくりと卓也に背を向け吐息をついた。

 ふと卓也はひどくピントの外れたことを考えた。司も俺も、一体何故こんなに疲れてうんざりしているのだろう?

 殺伐とした気分に駆られ、卓也は革ジャンの広い背に怒鳴った。

 「三浦よ。俺が行がなくても、一人でも行く気が? これがら総領谷さ」

 「いつから卓、おめハァ俺の保護者さなった? ―― おい。あれ」

 ふいに三浦は声の調子を変えた。同時に周囲はにわかに濃い夕闇に閉ざされた

 急に声をひそめた三浦の指差す方を見ると、渡り廊下の外れに佇んでいる小柄な少女の姿があった。屋根の落とす巣暗がりにその小さな姿はすっぽりと覆われ、軒下に落ちる影のかたちが変わるまで二人の視界から隠されていたのだ。

 ――あいつ、また……

 三つ編みにした髪を背に垂らした少女は、渡り廊下の低い仕切りの上で手を組み合わせたまま身動き一つしなかった。首を微かに仰向けて、夕空の遠い所をぼんやり見上げている。その姿はどことなく、屋外に放置されたマネキン人形を思わせた。

 「あらぁお()んとこの、恐怖の病気もち部長閣下でねえが?」

 「ビョーキモチはやめろ。当たってっけど」

 演劇部の前期部長安原一子(かずこ)は、瞬きひとつせずじっと佇んでいる。秀でた額は夕闇と薄陽の中で、白々と燐光を放っているようだ。髪を一本編みにしてきつくひっ詰めているせいで、顔のまるい輪郭が一層強調され、その素朴な顔立ちはどことなく中性的でさえあった。

 「さっきおめえ、俺がダム界隈で何か見だか? っつったよな」

 突然三浦が背後で呟いた。声は大きくなかったが、言葉は明瞭に卓也の耳に伝わってきた。

 「見だぞ。――ただし俺の見だのは()()()だ。自衛隊の」

 おい! と卓也が大声を出した時にはもう、三浦は後も見ずに渡り廊下から地べたに降り、生徒用のバイク置き場に向かって歩き出していた


               ▲


 原野一子の傍らに、卓也はゆっくりと歩み寄った。

 一子は身じろぎもせず卓也に気づいた様子もなく、それどころか呼吸さえしていないように見えた。

 早くも煌々と灯りをともした体育館からは足音や怒号、ホイッスルの音が瞼をひっぱたくような激しさで響いてくる。

 一子は飽かずぼんやりと空を見上げている。

 北の空では雲海が僅かに裂け、陽光が一条射し入っていた。斜めに射す陽光は、刈り取りの済んだ遠い乾田の一角をまるでピン・スポットのようにぽつん、と意味もなく照らしていた。

 「安川、何してらんだ。練習もう始まってらんでねえのが?」

 彼の大声にも、一子は例によって全く反応を示さない。

 体育館の騒音に負けじともう一度同じ言葉を、一段と乱暴な口調で繰り返すと、ようやく一子の細く切れ上がった目に微かな動きが生じた。

 古びた伎楽面を思わせる一子の顔が、ゆっくりと頷いた。

「始まってるよ」

「じゃお()、何してたってよこったな所で」

 ぶっきらぼうな卓也の問いかけに一子はポニーテイル、と言うより中国の弁髪に近い形に編んだ髪をわずかに揺らして俯いた。

 「いつの間にか、もう秋までおしまいみたいだな」

 舞台に上った時とは別人のような低い声で一子は言った。

 卓也はこの沈んだ口調がとても好きだった。

 「ああ」

 卓也は微かに笑いながら言った。

 「これがらはハァ、寒くなる一方だべや。この分だど初雪も早ェだろうな」

 「今年も、なんもいいことなんてなかったなあ……」

 悲しげに囁くと一子は、後も見ずにふらり、と体育館に戻って行った。

 ―― 全く、いつまでたってもよく分からねえ女だ。

 苦笑を浮かべてドアノブに伸ばした卓也の指を、静電気が激しく弾いた。

 ―― ()()、と言わなかっただろうか? 三浦は。

 複数で夜道を徘徊し会話する幽霊なんて、同じことをやる変質者より不自然ではないか? 幽霊の実在云々の話は別としても。

 人里離れた浄善寺ヶ原の淋しい雑木林を徘徊しているのは、『連中』と『幽霊』、すなわち欄干にすわる女子高生の二通り、と言うことか。そして徘徊するものにあえて加えるなら()()()も?

 三浦の言葉は何もかも意味不明だった。

 挙げ句通学路の途中とは言え、三浦はこれからわざわざ人通りもろくにない村の奥へ乗り込んで、幽霊だか変質者だかの正体を暴こう、と言うのだ。

 物好きを通り越して、正気の沙汰とも思えない。

 お調子者で時には随分突拍子もない事もやってのけるが、頭の切れる自信家の不良優等生三浦司の行動には、大抵の場合必ずそれなりの説得力をもつ理由があった。しかし今回だけは違った。

 卓也には彼の真に意図する所がなんなのか、朧気(おぼろげ)にも推察出来なかった。

 しかしただ一つだけ、はっきりしている事がある。

 三浦は今、前例がないくらいひどく焦っている。

 それだけは直観的に分かった。大概の事には動じず、常に物事を正面から受け止め解決して行く三浦司は今、何事かにひどく混乱しているらしい。

 その時、卓也の脳裏でもう一つ、忘れ去っていた古い記憶が息づき始めた。 

 鮮烈な既視感(デジャ・ヴ)が襲ってきた。既視感は新たな既視感を生み、減衰するように現実感を次第に喪いながら、二重三重の波紋を描き心に拡がって行く。

 ―― まさか、な。いくら何でも。

 深く溜息をつき、僅かにためらってから卓也はドアを押した。喚声と熱気、音と光の形容しがたいエネルギーの大渦が、一体となって卓也に襲いかかって来た。


 - 続く -  



 


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