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賢者の下男は平凡な日常を望む  作者: 高橋薫
第三章 漆黒の魔女
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57 涼躊躇する

 全ては順調かと思われた。

 しかし突然、王国において王様からの布告があった。

 その内容は、一般人の十五歳以上の男子に対して二か月間の軍事訓練を行うというものだった。

 それにより、男たちは主要な都市に交替で集められ、訓練を受けることになった。


 早速ミツナリさんに報告した。


「いよいよ王国も動き出したということだな」

「宰相はすぐにでも派兵するつもりでしょうか」

「同盟があるからな。共和国が断わらない限りそうなるだろう。すぐにオオイシ殿に伝えてくれ」

「わかりました」




「今度は共和国へ行くことになったんだけど、行きたい人は?」

「「行きます!」」

 カオルちゃんとアサガオさんがかぶった。


「皇国へ行った時にリョウと約束したんです」

「……そうだったね」

「でしたら三人で」

「仕方ないね、じゃあ三人で」

「「はい」」


「危険はありませんか?」

 いつものようにキキョウさんが訊いてくる。

「賢者様のところへ行くだけですから」

「わかりました、アサガオはカオル様をお守りするように」

「はい」


「では、行ってきます」

「「いってきます」」




 賢者の屋敷の庭にトビラを開いた。幸い賢者は屋敷にいた。


 《こちらはタチバナカオル様です》

「これはこれは、初めてお目にかかります、賢者のオオイシヨシハルでございます。そちらはメイドさんですか?」

 《はい、タチバナ様のメイドです》

「揃いも揃って、何とお美しい」

「タチバナカオルです。本日はぜひお目にかかりたいと、クロユリに無理を言って連れてきてもらいました」

「こちらこそ光栄でございます」


「それで……何かありましたか?」


 王様からの布告を伝えた。


「そうなりましたか」

 《共和国はどうですか?》

「我が国には元々徴兵制度がありますから、改めて訓練をし直すことはないでしょう」

 《そうでしたか》

「ただ、兵士と物資を北東に集め始めているようです」

 《わかりました、伝えておきます》


「今度はゆっくり遊びに来てください。いつでも歓迎いたします」

「ありがとうございます」

 《それではまた》

 賢者の屋敷を後にした。



 《癖のある方ですね》

 《そうだね、どこまで信用していいのか判断がつかないね》

 《私はあの方は苦手です》

 《アサガオさんに嫌われるなんて……》

 《私は誰でもいいような言い方ですね》

 アサガオさんがすねたような顔をした。

 《いや、そういう意味じゃなくて、アサガオさんは誰にでも優しいから……》

 カオルちゃんに睨まれた。


 《お、お土産にワインを買って帰ろうよ》

 《そうですね、そうしましょう》


 しばらく三人で街を見物して、人気のない場所から森へ帰った。



「あの……次は帝国に連れて行ってください」

 カオルちゃんが思い詰めた様子で口を開いた。

「突然どうしたの?」

「帝国は私の生まれた国ですから、今のうちに見ておきたいと思ったのです」

「うん、気持ちはわかるよ、戦争が始まったら見に行けないからね」

「はい」

「住んでた家を見てみたい?」

「できることなら……」

「じゃあ、ミツナリさんに訊いてみるね」

「お願いします」




 次の日ミツナリさんに賢者の話を伝えに行った。

「共和国は兵士と物資を北東に集め始めているそうです」

「そうか、準備は整いつつあるということか」


「あの……カオルちゃんが今のうちに帝国を見てみたいと言っていますが」

 少し考えてからミツナリさんが口を開いた。

「別にかまわんだろう」

「それで、できれば住んでいた家も見てみたいそうです」

「そうだろうな……屋敷はタカオカ町にある。ここからそう遠くはない、今は確かシノダ伯爵の屋敷になっているはずだ」

「賢者様のお墓とかはないのですか?」

「わからない、あの後しばらく帝国へは来なかったからな。うかつに訊くこともできんし」

「わかりました、とりあえず伯爵邸へ行ってみます」



 森に帰ってカオルちゃんに伝えた。

「今からでも構いませんか?」

「うんいいよ、だけど、メイド服にしてもらえるかな」

「クロユリのメイドということにするのですね」

「うん」

「すぐに着替えます」


「危険はありませんか?」

「キキョウさんは本当に心配性ですね」

「カオル様に何かあったら、私がお傍にいる意味がありません」

「僕がついてるから、あまり心配しないでください」

「わかりました」



 初めて見るメイド服の姿はとても新鮮で可愛かった。そう言うとカオルちゃんは頬を赤らめて恥ずかしがった。


 トビラを開きクロユリの部屋へ行った。


 廊下ですれ違う人たちがお辞儀をするのを見てカオルちゃんが言った。

 《ほんとにクロユリは一目置かれているのですね》

 《そうみたいだね》

 《他人ごとのように言うのですね》

 《望んでなったわけではないからね》


 当然、街でも人々の注目を浴びることになった。

 《ここが、私の生まれた国なのですね》

 《そうだね》


 何度か人に訊ねながら、やっと目的の屋敷に着いた。


 《ここみたいだね》

 《ここに住んでいたのですね……》

 カオルちゃんは暫く屋敷を見詰め、じっと何かを考えているようだった。




 数日後、ミツナリさんから呼び出され、彼の部屋へ行った。


「王国の動きを受けて、二日後に会議が開かれることになった」

「そうですか、それで慎重派の方々は?」

「エモト伯爵がどう動いてくれたかにかかっている」

「具体的な返事はなかったのですか?」

「ああ、結局なかった」


「あの……もし戦争が始まったら皆さんは戦場へ行くことになるのですか?」

「私は帝都に残ることになるだろうが、弟子たちは行かざるを得ないだろう」

「そうですか……」

「お前が気に病むことではない」

「そう言われても……」

「戦争だからな、弟子たちもとっくに覚悟はできている」

「……わかりました」



 二日後の夕方、三人のお弟子さんと部屋で待っていると、ミツナリさんは厳しい表情で戻ってきた。


「どうでした?」

 タカユキさんが切り出した。

「やはり軍や宰相はこの春に侵攻を開始するつもりのようだ」

「そうですか」

「共和国が軍隊や物資を国境付近に集結させていることや王国の軍事訓練の布告を取り上げて、各国の準備が整う前に攻めるべきだと主張していた」

「皇帝陛下は?」

「宰相の言いなりだからな、反対はされなかった」

「決定されたのですか?」

「まだだ、次回からは具体的な戦略と作戦について協議することになった。それが承認されれば決定ということになる」

「エモト様は?」

「収支報告だけで特に発言はなかった」

「動くつもりはないのでしょうか?」

「いや、明日の夜に会うことになった」

 《宰相に悟られないよう、気をつけてください》

「わかっている。それで明日はお前に同行してもらいたい」

 《わかりました》



 三人の弟子が出て行くのを待って、改めて話を切り出した。


「できればやりたくはありませんが、宰相を私の家に連れて行き、ネットを見せるというのはどうでしょう」

「あるいは、翻意させることができるかもしれん。だが、宰相一人を翻意させたとしても、まだ軍人たちが残っている。彼ら全員を連れて行くか?」

「それは……」

「そもそも、お前はこちらの人間ではないのだ、そこまで危険を冒す必要はない」

「ですが……」

「戦争が始まったら次の手を打つだけだ」

「……わかりました」


「私は術を使うから、お前は平民の服で来てくれ」

「はい」




 森へ行ってカオルちゃんに説明した。


「明日、ミツナリさんとエモト伯爵を説得しに行くことになったよ」

「リョウも行くのですか?」

「うん」

「気をつけてください」

「確かに少しずつ危険が増してきているように感じます」

 キキョウさんも心配そうに言った。

「そうですね、気を抜かないようにします」



 季節はいつしか晩秋になっていた。


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