39 涼変装する
「ただいま。……帰ってたんだ」
「びっくりしたー、遅番だったからね。一人なの?」
「うん、これからまたしばらく旅に出ることになって……」
「一人で?」
「うん」
「何かあったの?」
「うん、カオルちゃんがね、賢者を辞めたよ」
「それって、良かったの?」
「うん、その方が安全だと思う」
「ならいいけど……やっぱり薬屋を始めるの?」
「うん、もうお店も買ったんだよ」
「へーっ、それは良かったね」
「戦争って、避けられないのかな?」
「国の事情があるからね」
「戦争をすることで変わることもあるのかな?」
「うーん、ただ、今の日本の平和が昔の戦争の上に成り立っているのは事実だね」
「そうなるんだね」
「まだいろいろな所で戦争してるけどね」
「戦争の結果がいい方向に向くのなら、仕方ないのかな?」
「しない方がいいに決まってるけどね」
「そうだよね」
「難しいこと考えてるんだね」
「だからまた旅に出て、いろいろ見てこようと思ってる」
「危ないことしちゃダメだからね」
「わかってる。あ、ちょっと着替えるから見て」
「なに?」
「えーっと、女性に変装しようと思って……」
「?」
「ほら、僕がカオルちゃんの使用人だとわからないようにさ」
新しい平民の服を着てウィッグを着けた。
「おかしいかな?」
「おー、ぜんぜん……別人にしか見えないよ」
「よかった、もう一着あるんだけど見てくれる?」
「いいよ」
「ちょっと待ってて」
貴族のドレスに着替えた。
「これはどうかな?」
「あはは、何というか、呆れた……とても自分の息子とは思えないね」
「どういう意味?」
「いやー、すごく綺麗だよ、それに、すごく怪しい雰囲気がする」
「えーっ」
「そうだ」
そう言うとお母さんは一本の口紅を持ってきた。
「これを持って行きなさい」
それは、紫系のくすんだ色の口紅だった。
「昔お土産でもらったんだけど、ぜんぜん似合わないから使わなかったんだよ。これをつけたらきっと怪しさバクハツだね」
「えーっ、それって、遊んでない?」
「あははは、ちょっと、じっとしてて」
口紅を指につけ、唇に塗ってくれた。
「おーっ、いいね、いいね、映画に出てきそうだ」
「もーっ、鏡見てくる」
鏡の中の姿はお母さんの言う通り、魔女のような怪しい雰囲気が漂っていた。
また平民の服に着替えて口紅は落とし、荷物を鞄に詰めて出発の準備は終わった。
スマホをお母さんに渡す。
「カオルちゃんに渡してね」
「わかった、気をつけるんだよ」
「うん、じゃあ行ってきます」
「行ってらっしゃい」
行き先をイメージしてトビラを開き、お母さんに手を振りながらくぐった。
着いたのは皇国との国境の町の手前、街道の途中だ。真夜中なので通る人も馬車もいない。幸い明るい月が出ているおかげで遠くまで見渡せる。
「さてと……やりますか」
つい独り言を言って連続でトビラをくぐった。
無事に城内に着いたが、トビラを連続で使うのはさすがに疲れた。それに、夜が明けるまでにはまだ少し時間がある。夜警に見つかるわけにはいかないので、どこかに隠れていなくてはいけない。
《お前も使えたのか》
《えっ!》
《何を驚いている》
《いえ……まだ起きてたんですか?》
《今起きたところだ、お前のせいで目が覚めた》
《トビラに気付いたということですか?》
《そうだ》
《すいません》
《まあいい、すぐに来い、誰かに見つかるとまずいだろう》
《わかりました、ありがとうございます》
ユキナリさんの部屋に意識を集中してトビラを開き安全を確認してからくぐった。
彼は驚きの表情を浮かべて迎えてくれた。
「申し訳ありません」
「お前は本当におもしろいな」
「どういう意味ですか?」
「その格好だ、街ですれ違ってもわからんぞ」
「それは褒めてくださっているのですか?」
「もちろんだ、それに、まさかお前もトビラが使えるとはな」
「隠していました」
「もっともだ」
「カオル様が賢者を辞めました」
ユキナリさんがまた驚いた。
「それはカオルの意志なのか?」
こんどは僕が、カオルちゃんを呼び捨てにしたことに驚いた。
「はい」
「脅されたとかではないのだな?」
「はい、ご自分から辞められました」
「後継者は?」
「スガワラ伯爵です」
「……そうなったか」
しばらく考え込んでからユキナリさんが口を開いた。
「そろそろお互いに本当のことを話そうではないか」
「そうですね、では、まず私からお話しします、すぐに済みますから」
「私は向こうの世界の人間です、カオル様のトビラでこちらへ来ました」
「そうだったのか、だが、それだけではないだろう」
「はい、私は……リン様の魂を受け継いだ者です」
ユキナリさんの目が大きく見開かれた。
「まさか……それで今リンとは話せるのか?」
「いいえ、もう無理です」
「以前は話せたということか?」
「一度だけ、お話ししました」
「何と言っていた?」
「私の判断で生きろと」
「そうか……カオルはリンと話せたのか?」
「いいえ、でも、私がリン様と話すところを見ていました」
「……さすがはリンと言うべきだな」
またしばらく考え込んだ後ユキナリさんが口を開いた。
「それでいろいろ納得できた。今度は私のことを話そう」
「私の王国での名前はタカダミツナリ、リンの兄弟子だった」
「そうでしたか」
なんとなく感じてはいたけど、はっきり口にされるとやはり驚く。
「少し長くなるが、順に話そう。
十五年前になるか、師匠が私達二人を呼んで、これから出す最後の質問の答えによって後継者を決めると言われた。その質問とは、これから大陸をどう導くかというものだった。
リンの答えは、王国を繁栄させ、その影響力をもって大陸の秩序を守るというものだった。
対する私の答えは、帝国による一国支配だった」
「やはり、今もそう考えてみえるのですね」
「そうだ、それで師匠はリンを後継者に指名し、私は帝国に向かった。
私はもともと王国の賢者になるつもりなどなかったのだ。
たまたま王国に生まれたからといって、王国を第一と考えるのは間違っていると感じていたからな」
「必ずしも常に王国が正義だとは限らないということですね」
「そうだ、だが、リンは王国にそれを求めようとした。その結果があれだ」
「あなたはもしかして、リン様を殺害したのが誰なのか知っているのですか?」
「確証はない、だが、大体の見当はついている」
「宰相ですか?」
「そう考えるか?」
「はい」
「あながち間違いではないな、だが、六年前の時点で宰相が危険を犯してまでリンを殺すとは考えにくい」
「ではスガワラ伯爵ですか」
「私は、お前やリンと違って常に事実のみを積み重ねて結論を導く、だから結論に達するのに時間がかかりすぎた」
「後悔されているのですね」
「そうだな。殺害を指示したのはスガワラで宰相はそれを黙認したのだと思っている」
「やはりそんなところですか、カオル様に対する態度が普通ではありませんでしたから、よほど嫌っていたのでしょうね」
「話を戻そう、帝国へ向かった私は以前から知り合いだった帝国の賢者の元に身を寄せた。
彼には妻と一人の幼い娘がいた。彼はいつも帝国の民を憂えていた。だが、私と違い戦争には断固反対だったので、そのことでいつも議論を戦わせたものだった。
しかしある日、彼の家が襲われ彼と奥さんは命を落とした。相手は盗賊を装ってはいたが軍事国家を目指そうとする者たち、それも証拠はないが宰相を含め軍の上層部の者も関与していたと思う」
「ひょっとして、その娘というのが……」
「そうだ、カオルだ。私はカオルを託され彼の家から逃げた。そして王国に戻りリンに預けたのだ」
「そうだったんですか、このことをカオル様に話してもいいでしょうか?」
「カオルも、もう子供ではない、かまわないだろう」
「わかりました」
「私が帝国による一国支配を目指すのは帝国の民が一番貧しいからだ。
王国が戦争に敗れても、王国の民の生活は変わらないだろう、国の名前が変わるだけだ。だが豊かな王国の物資は帝国の民を潤すことになる。
逆に、王国が大陸を支配した場合、帝国の民は今以上に苦しい生活を強いられることになりかねない、それはそのまま次の戦争の火種となる」
「地域間の格差を少なくしたいのですね」
「そういうことだ」
「理解できます」
「それで、これからどうするつもりだ?」
「共和国へ行くつもりです」
「そうか、ならば共和国の賢者に会わせてやる」
「本当ですか?」
「知り合いだからな」
「ありがとうございます」
「まだ夜も明けたばかりだ、とりあえず朝食にしよう」
「はい」
一睡もしていないのに眠気も吹っ飛ぶほどいろいろ驚かされた。
しばらくこの人について行こうと思った。




