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賢者の下男は平凡な日常を望む  作者: 高橋薫
第二章 皇国の大魔導師
38/65

38 涼魔物に遭遇する

 午前中に荷物の片付けは終わったので、昼過ぎに服を受け取りに仕立屋へ向かう。


 商店街へ続く道を歩いていると突然いくつもの悲鳴があがった。

 悲鳴の聞こえた方向へ全力で走る。


 二つ目の角から人が溢れてくるのが見えた。

 逃げ惑う人を避けながら魔物を探すと、百メートルほど先に全身こげ茶色の毛で覆われた二足の魔物がいた。見つからないように物陰に隠れる。


 王都の人たちも魔物に慣れたのだろうか、怪我人は出なかったようだ。

 魔物はゆっくりと道を進んでくる。

 すると魔物の背後から馬に乗った騎士と魔術師らしき一団が現れた。

 それに気付いて振り返った魔物が咆えた。

「グオオォォ!!」

 馬から降りたのは五人、三人が騎士、二人が魔術師だった。


 二人の魔術師が同時に空気砲を撃った。

 魔物はよろめいたが倒れることはなかった。だが、すかさず二人の騎士が左右から足に切りつける。殴りかかろうと振り回す腕をもう一人の騎士が槍で受ける。

 そこに、もう一度空気砲が命中すると魔物は耐え切れずに後ろに倒れた。

(なかなかいい連携だな)

 最後は三人の騎士がそれぞれ急所に剣と槍を突き刺し、魔物は息絶えた。

(これなら王都は大丈夫だろう)


 こっそりその場を離れ仕立屋に向かった。


 仕立屋の主人が店の前に立っていた。

「何かあったんですか?」

 心配そうに訊いてくる。


「向うの道に魔物が出たようです」

「なんと……それでどうなりました?」

「警備の人たちが倒したみたいですよ」

「それは良かった」

「王都も物騒ですね」

「まったく、困ったものです」

「それで、出来ていますか?」

「おお、忘れていました。出来上がっております、どうぞ中へ」


 仕方がないので試着してみた。予想以上の出来栄えだ。

「素晴らしい出来です、キキョウさんも喜ぶと思います。ありがとうございました」

「いえいえ、そう言っていただけると私も嬉しいです、ありがとうございました」


 受け取った服を抱えて王宮の前の広場にさしかかると、何やら人だかりができていた。

「どうかしたんですか?」

「これを見てみな」

「………」

 驚きのあまり声が出ない。


 王宮からの告示を貼り出す掲示板に、いくつも貼られた紙の中の一枚に目が留まる。

 カオルちゃんが賢者を辞め爵位も返上したため、賢者は国家魔術師のスガワラ伯爵が兼任すると書いてあった。


 急いで帰ってみんなに報告した。

「なんという……」

「そうなりましたか」

「僕もこれには驚きました。なりふり構わないといった感じですね」

「そうですね」

「この国はどうなるのでしょう?」

「心配になるよね」

「はい」



 荷物を片付けてしまったので、僕の家で食事にしようと思っていたところにタカシくんたち三人が慌てた様子でやってきた。


「申し訳ありません、ご迷惑なのは承知の上ですが、どうしてもお会いしたくてやって参りました」

「あれを見たんですね」

「はい、今は合同訓練の帰りです」

「始まっていたんですか、お茶も出せませんが、とりあえず中へどうぞ」


「お久しぶりです」

「またお会いできて感激です」

「私はもう賢者ではありませんから、そんなに畏まる必要はありませんよ」

「そうおっしゃられましても、こればかりは……」


 助け舟を出すことにする。

「賢者を辞めたのはカオル様の意志なので、皆さんが気にすることはありませんよ」

「たとえそうだとしても、きっかけを作ってしまったのは私達ですから、お詫びをしないと気が済みません。本当に申し訳ありませんでした」


「リョウが言ったように辞めたのは私の意志です。後悔はしていません」

「ありがとうございます、そう言っていただけると助かります」

「気にしてたの?」

「はい、お会いしたくても、ご迷惑だと思い遠慮していました」


「あのね……」

 お店の地図を書いてタカシくんに手渡す。

「ここに薬屋を出すので、何かあったら店の者に伝えてほしいです」

「おおーっ、薬屋を始めるのですか」

「はい、ある術を使えばすぐにカオル様に伝わるので、よろしくお願いします」

「おまかせください」


「よかったです」

 スズネさんが安堵の表情を見せ涙を浮かべた。

「どうかしたの?」

「いえ、もう賢者様に会えないのかと思っていましたから、とても嬉しいです」

「あー、でもカオルちゃんが店に来ることはほとんどないと思うけどね」

「カ、カオルちゃん?」

 スズネさんが驚きの声をあげた。カオルちゃんが赤くなる。

「あっ、えーっと、ごめん、つい口癖で……」

「「「えーっ」」」


「リョウは普段カオル様をそう呼んでいるのです」

 キキョウさんが横目で僕を睨みながら口を挟んだ。

「そうなんですか……」

「初めて森のお屋敷に来たときからそうなんですよ」

 ユウガオさんが追い討ちをかける。

「「「えええーーーっ」」」



「私はもう賢者ではないので、名前で呼んでくださってかまいません」

「それは……では……カオル様?」

「はい」

「うわーっ、もう大感激です」

 スズネさんが跳び上がって喜んだ。


「それで訓練はどうですか?」

「はい、わだかまりもなく順調です。すべて……カオル様のおかげです」

「それは良かったです」


「キョウスケさんの剣術はどうですか?」

「はい、たぶんもうタカシより強いです」

「すばらしいです」

 タカシくんが渋い顔をした。


「そういえば、さっき魔物を見ましたよ」

「えっ、それでどうなりました?」

「騎士が三人と魔術師二人で見事に倒しました、怪我人も出なかったようだし、王都は大丈夫そうですね」

「そうですか、やっと連携がうまく取れだしたようですね。最初はけっこう負傷者が出たんです」

「慣れてきたということですね」

「そう思います」



「宰相様には伝えましたが、帝国が侵攻を開始するのは春の可能性が高そうです、次の春か、その次になるかはまだわかりません。そのつもりでいてください」

「ありがとうございます。心配してくださるのですね」

「国家魔術師の数が少ないことを聞きました、戦争になれば新人といえども戦場に駆り出されることになるかもしれません」

「覚悟はしています」


「私は国家魔術師になるのをやめて家に帰ることにしました。人と戦うなんて無理です」

「それがいいと思います」

「あの、もし、もしもですけど、何か困るようなことがありましたら父の領地へ来てください。そうでなくても、いつか遊びに来ていただけると嬉しいです」


「あの、ひょっとしてスズネさんも貴族なんですか?」

 今更驚いた。

「はい、キョウスケくんも貴族ですけど」

「えーっ、そうだったんですか、た、たいへん失礼しました」


「どんな失礼なことをしたのですか?」

 カオルちゃんに突っ込まれた。

「いや、いつも偉そうなことばかり言ってしまって……」

「そんなことはありません、リョウさんにはお世話になりっぱなしです」


「お父様の領地はどのあたりなのですか?」

「王都の北東、馬車で四日ほどのところです」

「薬草は生えていますか?」

「私は詳しくないのでわかりませんが、うちの領地は平地が少なく酪農や牧畜が盛んですので、薬草が生える場所はあると思いますが……」

「それでは、いつか薬草を探しに行くのもいいですね」

「本当ですか?」

「はい、ぜひ。気を使っていただき、ありがとうございます」

「お礼なんてとんでもないです、いつでも遊びに来てください、大歓迎しますから」


「私たち三人の父親は皆カオル様の味方です。他にもカオル様に力を貸してくださる貴族はたくさんいると思います。そのことを覚えておいてください」

「ありがとうございます」


 帰り際、三人はカオルちゃんに握手をせがみ、興奮した様子で帰っていった。



 いつものようにテラスで二人きりで話をする。

「お店の名前は決まったの?」

「はい、桔梗堂というのはどうですか?」

「うんうん、すごくいいと思う」

「看板を頼まないといけませんね」

「桔梗の花の絵を描いてもらうといいよ」

「はい、そうします」



「賢者でなくなっちゃったね」

「もともとリン様のような立派な賢者ではありませんでしたから、どれくらい王国の人々の役に立てたかわかりません」

「ほら、やっぱりカオルちゃんは謙虚だよ。そういうところが大好きだよ」

「ありがとう、リョウがいてくれて本当によかったです。私もリョウが大好きです」


 そっと抱きしめる。

「おつかれさま、泣いてもいいんだよ」

「うん……」

 泣き止むまで、ずっとそのまま抱きしめていた。



 明日の朝、アサガオさんとヒルガオさんを残して王都を発つことになる。

 お店の準備も看板を残してすべて終わったので、あとは薬を並べるだけだ。


 僕はこれから黙って一人で皇国に行くことにする。お世話になった王都のお屋敷も今夜が最後だ。

 カオルちゃんに宛てた手紙をキキョウさんに渡しておいた。


 そういえば、結局みんなに変装したところを見せてなかったな……


 トビラを開いて家に帰った。


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