29 涼言葉に詰まる
翌朝一人で教皇庁へ向かう。
アサガオさんはついて行くと言い張ったが、お昼にあの店で落ち合うということで我慢してもらった。
教皇庁は宮殿のような立派な建物だった。
入口で大魔導師様に呼ばれて来たと告げると中に通され二階の一画に案内された。
すごく緊張する。あの人の前で冷静でいられるだろうか。
案内の人がノックすると中から返事があった。
「どうぞ」
中に入ると正面に大きな机がありその向うに彼が座っていた。
昨日見た通り四十代半ばに見える。髪は銀色、眼は黒で精悍な顔つきをしている。
「私の名はタケダユキナリこの国では魔術師の長ということになっている」
「私はリョウ、タテバヤシリョウといいます。賢者様の下男です」
「よく来た。掛けたまえ」
彼が立ち上がりソファーを指差す。
「あの、あなたは大魔導師ではないのですか?」
「ああ、あれは人が私をそう呼ぶだけで、そんな職位があるわけではない」
「そうなんですか」
「この国に来たのは賢者の指示か?」
「いいえ、私の判断です」
「私に会うことが目的か?」
「それと、この国の状況を知るためです」
「では、お前は王都で会った相手が私だと判断したということだな」
「そうです」
「おもしろい」
「さっき、この国ではとおっしゃいましたね、ということは他の国でも何かしらの肩書きをお持ちだということになりますが……」
「そういうことだ」
恐怖心をこらえ、一番気になることを訊いてみる。
「あなたは賢者様に危害を加えるつもりはなさそうに思えますが……」
「そうだな」
「約束してもらえますか?」
「かまわん」
(よかった)
「あなたの目的は何なのですか?」
「大陸の平和を守ることだ」
「それはおかしくありませんか? あなたのしていることは大陸を混乱させることにしかならないと思いますが」
「ならば問おう、戦争は回避できると思うか?」
「難しいでしょう」
「帝国は悪だと思うか?」
「侵略戦争は悪だと思います」
「本当にそう言い切れるのか? 他国を侵略せざるを得ない状況をどう考える?」
「それは……」
「国民のために他国を侵略するとなれば帝国にも正義はあるのだ。侵略される側にも国を守るという正義がある。どちらも正しいとは思わないか?」
「ですが、戦争という手段は間違っていると思います」
「確かに、戦わずに解決するというのは理想だが、仮にお前が帝国の民だったとしたら、そういい切れるのか? そして実際そんな方法があると思うか?」
「ですから賢者様は悩んでおられます」
「そうだろうな。それで、お前はどうする」
「正直、私は王国の、いえ賢者様の平和が守られればそれでいいのです。大陸の平和とかまでは考えていません。ただ、多くの人の命が失われるのを黙って見ているのはいやです」
「帝国が侵攻を開始するとすれば春だ。次の春になるか、その次の春になるかはまだ分からない。時間はまだある」
「その理由は?」
「気候の問題だ。あそこの冬は厳しいからな」
「それまでに何か策を考えなくてはいけないのですね。他の国の状況も確かめないと……」
「ならば私について来るか? 世界を見せてやるが」
「………」
「いますぐ返事をしろとは言わない。考えておけ」
「わかりました。それから、魔物を使うのを止めてもらえませんか?」
「無理だな、私には私の考えがある」
「そうですか……」
「お前にもそのうち分かるだろう。もう少し世界を客観的に見ることだな」
「………」
「そうだ……」
そう言うと彼は立ち上がり書棚から二本の短剣を持ってきてテーブルの上に置いた。
片方の柄には真っ赤な石が、もう片方には真っ黒な石が嵌っている。
漆塗りだろうか二本とも石と同じ色の鞘に入っていて美しい蒔絵が施されている。
戦闘用ではなく装飾品のように見える。
「これをやろう」
「装飾品ですか?」
「そう見えるが武器としてもなかなかの物だ」
「どうしてこれを?」
「これは魔道具だ、片方にお前がこれを渡したいと思う相手の魔力を溜め、もう片方にはお前の魔力を溜める。魔力を込めると切っ先が相手の持つ剣の方に向く仕組みになっている」
「とても高価な物ではありませんか?」
「まあな、だがもう私が持っていても意味が無い、遠慮しなくていい」
カオルちゃんの姿が頭に浮かんだ。
「ありがとうございます」
「また会おう」
「待ってください。もう一つだけ聞いておきたいことがあります」
「なんだ?」
「トビラを使えるのはあなただけなんですよね」
「賢者も使えるのだろう?」
「……はい」
「お前は後悔しないように生きろ。次に会うのを楽しみにしている」
「はい、それでは……いずれまた」
重たい足を引きずって店に辿り着いた。
中には五人の客とミツマサさん、そしてなぜかアサガオさんがウェイトレスをしていた。
「えっ、どうなってるの?」
「忙しそうだったので手伝ってるんです」
「助かってるよ」
「あはは」
カウンターに腰掛ける。
「ワインありますか?」
「客に出す物はないが、わしのとっておきならあるから飲ませてやる」
「ありがとうございます」
「私も」
「はいはい」
ワインとチーズを出してくれた。
「昼間っから飲まずにはいられないようなことがあったのかな?」
「そういうことです」
「そうか、わしに話せる範囲でいいから、後できかせてくれ」
「わかりました」
店を閉めてきたミツマサさんが切り出した。
「一体何を聞いてきた?」
「あの人は大陸の平和を守るのが目的だと言っていました」
「ふむ」
「ですが戦争は回避できないと考えているようでした。そして、帝国が侵攻を開始するなら春だとも言っていました」
「なるほど」
「今話せるのはこんなところです」
「しかたないな」
「このワイン、おいしいです。初めてワインをおいしいと思いました」
「ほんとにおいしいです」
「そうだろう、とっておきだからな。共和国産だ」
「へーっ、そうなんですか」
しばらく王国や共和国の話をして店を出た。
またアサガオさんが腕を掴んでくる。
「むずかしい顔してますよ」
「あっ、ごめん」
「いろいろとね、考えさせられた」
「そうなんですか」
「正しいことって何だろうね」
「私には難しいことはわかりません」
「僕にも難しすぎてわからないよ」
「そうだ、もう一度あの庭を見に行こう」
「よろこんで」
「ここは落ち着くね」
「はい」
庭を散歩しながら、思ったことを口にしてみる。
「王国に帰ろうと思うんだけど……」
「共和国は?」
「あの人の話を早くカオルちゃんに伝えておいた方がいいと思うんだ」
「リョウがそうしたいのならいいですよ。でも共和国に行くときは、また私を連れてってくださいね」
「うーん、ヒルガオさんが何て言うかな?」
「私じゃいやですか?」
「そういうわけじゃないけど……」
カオルちゃんに睨まれそうだ。
市場でワインを二本買って店に戻り、ミツマサさんに明日発つことにしたと伝えた。
「何のつもりだ?」
「お礼です、とっておきを飲んでしまいましたからね」
「そうか、またいつでも来いや」
「はい」
「今度は本当の新婚旅行でな」
「あははは」
なぜかアサガオさんが赤くなった。
「お世話になりました。ミツマサさんもお元気で」
「おう、最後に一つだけ……賢者様に目立つ行動は控えるよう伝えてくれ」
「どういうことですか?」
「いや、老婆心というやつだ」
夕食の後、宿のおばさんに明日発つことを告げた。
いつものように背中合わせで話をする。
「帰るんだね」
「早く帰りたいような、帰りたくないような、複雑な気持ちです」
「そうだね。予定より早く帰ることになってごめんね。でも、帰りはここから一旦北東へ行って共和国経由で帰ろうと思う。首都には寄らないけどね」
「はい、それは楽しみです」
「こんどはおいしいものがあるといいね」
「そうですね」
国境付近ならトビラが開けるだろうから、どうしても行っておきたい。いざとなったら一人で共和国に行けるようにしておくためだ。そんなことはアサガオさんには話せない。
「王都までは十日はかかりそうだから、引き続きよろしく」
「はいっ」




