02 賢者様はゴスロリ少女
何が起きたのかわからなかった。
そこは書架がいくつも並んだ、うす暗い大きな部屋だった。
正面には立派な木の机があり、その向うに女の子が座っている。ランプの灯りに照らされた少女の顔は人形のように美しい。長い黒髪に黒い瞳。
(十四歳くらいかな?)
そして、その左には外人っぽい、性別のよくわからない人が僕を睨んで立っている。
ショートカットの茶色の髪はウェーブがかかっている。瞳の色も茶色だ。
「ここは、どこですか?」
少女の丸く大きな目が、すうーっと細くなり、はぁーっとため息が漏れた。
「ここは……私の屋敷です」
「えっ」
ガクッと力が抜ける。
(間違ってはいないと思うけど……)
「一度しか言いませんよ」
少女が続ける。
「そういう間抜けな質問や、意味のない会話は嫌いです。時間の無駄です。よく考えてから話すようにしてください」
(間抜けって……、めんどくさー)
下手なことを言うとまた何か言われそうだ。
「ここはナゴヤですか?」
「ちがいます」
「で、では、何県の何という都市ですか?」
少し考え込むようにして、少女は言った。
「ここは、ハンゼイ王国、ミハラ伯爵領、ヒノ村に隣接するヒグレの森にある、私の屋敷です」
(ええーっ!! 王国? 伯爵? まてまて、ここは落ち着いて)
「信じられないので、ちょっと外を見せてもらえませんか?」
「もっともです」
少女は頷くと机の上のベルを鳴らす。
ほどなくメイド服を着た女性が入ってきた。メイド服といっても、あのヒラヒラしたのではなくて、いたってシンプルな、それでいて洗練されたデザインの服だ。
(ハーフかな、きれいな人だ)
「この人に外を見せてあげて、戻ったら居間へお通しして」
メイドさんに連れられてドアを出る。
ドアの外はホールになっていた。
ホールにはいくつもの扉があり中央に二階へ続く階段がある。
玄関のドアが開かれる。
まぶしい。
目の前には森が広がっていて、一本の道が続いている。
(本当に森の中なんだ)
「あの……」
恐る恐るメイドさんに聞いてみる。
「何でしょうか?」
「ここは本当に、なんとか王国のなんとか伯爵領なんですか?」
(名前なんて覚えてないや)
「そうです。ハンゼイ王国、ミハラ伯爵領です。」
(落ち着け、考えろ)
「えっと、僕はタテバヤシリョウといいます。あなたは?」
「カオル様のメイドで、ユウガオと申します」
(あの子、カオルというんだ“様”というより“ちゃん”のほうが似合うのに)
「少しその辺を見て回ってもいいですか?」
「はい、かまわないと思います」
少し進んで振り返ると、大きな西洋風の屋敷が目に入る。
(日本なら豪邸だな)
「大きなお屋敷ですね」
「王都のお屋敷はもっと大きいですよ」
「へーっ、王都にもお屋敷があるんですか。ひょっとしてカオルちゃんも貴族だったりします?」
(しまった。思わず口に出てしまった)
「ひっ」
ユウガオさんの顔がひきつっている。
「カ、カオル様に対して“ちゃん”はダメですよ。ぜったいダメです。お怒りになります」
「ですよねー、気を付けます」
(怒った顔も見てみたいけどな)
うんっ、と一つ咳払いをしてユウガオさんは言った。
「カオル様は子爵様です」
(やっぱり、本当なのかな……ここはもっと情報を仕入れなくちゃ)
「あれは畑ですか?」
「ええ、半分は野菜で、残りは薬草です。薬草はあちらの小屋で薬にします」
指差す方を見ると、屋敷の横に小屋が建っている。小屋といっても多分僕の家と同じくらいの大きさだ。その横に並んで建っているのは馬屋みたいだ。馬が見えるし、前に馬車が止めてある。
「カオル様は薬屋さんなんですか?」
「いいえ、カオル様は賢者様で、薬は副業というか、人助けというか、そんな感じです」
「えーっと、賢者様というのは具体的には何をする人なんですか?」
「リョウ様のお国には賢者様はおられないのですか?」
「いません。それと、様はやめてもらえませんか」
「それはできません。カオル様のお客様ですから」
「でも僕は貴族ではなくて、ただの平民ですから。リョウさんとか、リョウ君とか呼んでもらえると助かります。リョウと呼び捨てでもぜんぜんかまいません」
「カオル様のお許しが出たら、そう呼ばせていただきますので、リョウ様からカオル様にそう申し上げてください」
「そうします」
(はぁー)
「さっきの質問ですけど、賢者様の一番のお仕事は、王様をはじめ偉い方たちの相談に乗ることです。ですので、ひと月に一度、王都へお出掛けになります」
(王様に会えるなんて、賢者というのはかなり重要な役職なんだろうか)
「ひょっとして、この世界には魔法があったりします?」
(なんかいろいろ好奇心が湧いてきたぞ)
「もちろんありますよ」
(もちろんって言われた)
「ユウガオさんも魔法が使えたりします?」
「はい」
(えええーーーっ)
屋敷の周りをあれこれと質問しながら歩いていると……
「そろそろ、戻られてはいかがですか」
その声に振り向くと、玄関先にさっきカオルちゃんの隣にいた人が立っていた。
(もっと情報がほしかったのに、仕方ないか)
「あの人は執事さんだったりします?」
小声で訊いてみる。
「はい、執事のキキョウ様です」
(女性の執事さんか)
屋敷に戻ると居間に通された。
促されるままにソファに腰掛けて周りを見回す。もちろん正面にはカオルちゃん。思った通りゴスロリ黒ドレスだ。机越しでは上半身しか見えてなかったからね。
その横には立ったままの執事さん。あの女性だけの劇団の男役のようだ。
(男装の麗人っていうんだっけ)
立派な作りのテーブルがあり、壁にはさまざまな絵画が飾ってある。奥は食堂になっているようだ。
お茶を運んできたメイドさんを見て驚いた。ユウガオさんにそっくりだ。
ユウガオさんは僕の後ろに立っている。だとすれば……
「ユウガオさんは双子なんですか?」
にっこり微笑んで
「三つ子です。私は末っ子で、あれは長女のアサガオです。次女のヒルガオは今は王都のお屋敷にいます」
(こんな美人の三つ子の姉妹なんて、日本ならアイドル確定なのに……)
「お茶を飲みながら話しましょう。よろしければクッキーもどうぞ」
「ありがとうございます」
(ここは甘い物でも食べて、少しでも頭の回転をよくしなきゃ)
紅茶を一口飲む。とてもおいしい。僕はコーヒーは苦手だ。普段は滅多に飲まない。さすがに家で飲んでいる紅茶とは違うなーと感心しつつ、クッキーを口に運ぶ。うん、これも美味しい、素朴な味だけどすごく落ち着く。
「まず、私はタチバナカオル、子爵で賢者ということになっています」
「僕はタテバヤシリョウ、平民です。三か月前までは学生でした。今は無職です」
「なるほど、それで少しは頭が回るのですね」
(少しはって、なんかムカつく)
「それで、ここがどこなのか納得されましたか?」
「少しだけ」
「では、質問をどうぞ」
(がんばれ自分)
「まず、僕は帰してもらえますか?」
「はい」
「あなたが僕に求めるものは?」
「知恵と知識です」
「僕がここへ来たのは偶然ですか?必然ですか?」
「それはまだ確証がありません」
「必然だなんていう可能性があるんですか?」
「あります」
「あれ、あの光る壁みたいなのは、あなたが作ったんですね」
「そうです。トビラと呼んでください」
「魔法なんですか?」
「魔術の一種です」
「あなたに悪意がないと証明できますか?」
「無理です。信用してもらうしかありません」
言葉に詰まってしまった。よくもここまで、淡々と無表情で話せるものだと感心してしまう。
(負けるもんか。とりあえずここが異世界ということを前提にして、頭をフル回転させなくちゃ)
「あなたはあのトビラを使って何がしたいのですか?」
カオルちゃんは少し考え込んでから口を開いた。
「少し長くなりますが、こちらの状況をご説明します」




