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[07] 妹との再会

 いや、正確には、どこかで聞いたことのあるような声だ。

 ただ、少なくとも、母さんのものじゃない。

 そうこうしている間に、シャワーの音が止まった。

 そして、慌てた様子で浴室から出てきたのは、バスタオルで前を隠しただけの、見たことのない少女だった。


「え……え、え?」

「な……、だ、誰だ、お前……!?」


 濡れた長い髪が、身体に貼りついている。

 年の頃は同じくらいだろうか。ぱっちりとした瞳に、すらりと伸びた四肢。

 整った顔立ちや、透き通るような白い肌は、一度見たら忘れなさそうなほど、美しいものだった。


 っていうか、さっき、茶髪とピアスに絡まれていた少女が、こんな顔だったような――


「お兄……ちゃん?」

「は?」


 思わず、聞き直す。

 今、こいつ、何て言った?

 お兄ちゃん? お兄ちゃんって言わなかったか?

 聞き間違いだろうか。

 いやしかし、この俺が、お兄ちゃんという単語を聞き逃すはずがない。


 そして、少女は大きな瞳をさらに広げると、満面の笑みを浮かべた。


「やっぱり、お兄ちゃんだ!」

「な……っ!?」


 思いっきり、抱き着いてくる。

 想像以上の重量と柔らかさが、俺の身体を襲った。

 しかし、そんなことはどうでもいい。

 問題なのは、女の子が泣きながら叫んでいる、その言葉だ。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん!」


 俺のことをお兄ちゃんと呼ぶのは、この世で一人しかいない。


「まさか……まさかとは思うが――」


 その人物の名前を、俺は呆然としながら口にした。


「お前、林檎か……!?」

「うん!」


 両目に涙を浮かべながら、その少女――林檎が、力強く頷く。


 いや、待て。そんなはずがない。

 林檎は、俺と七歳離れている。俺が十七だから、林檎はまだ、十歳のはずだ。

 背だって、俺の腰くらいまでしかなかった。

 胸なんて、あるかどうかを考えたことすらなかった。

 髪だけは当時も長かったし、宝石のような瞳は、あの時と同じ輝きをしている。


 その瞳が、真っ直ぐに俺を見上げてきた。


「おかえりなさい、お兄ちゃん!」


 にっこりと、あの時と同じ笑みで、林檎が微笑む。


 ああ――そうか。間違いない。

 この少女は、林檎だ。どれだけ背が高くなろうとも、いかに髪が伸びていようとも、間違いなく林檎である証拠が、俺を見上げる瞳の中にある。

 きらきらとした、全幅の信頼を向けてくる眼差し。

 そして、迷いなく、いつでも嬉しそうに、俺をお兄ちゃんと呼ぶ声。


 その二つを、この俺が忘れるはずもない。


 つまり、俺が覚えた数々の違和感の原因は、俺自身にあったのではなく――


「ただいまー」


 玄関から、もう一つの声が聞こえてくる。

 小さな足音が廊下を叩いたかと思うと、徐々にこちらへと近づいてきた。


「林檎? お客さんでも来てるの? 玄関の靴、誰の?」


 そして、ひょっこり脱衣所に顔を覗かせる。


「な……!?」

「あれ、さっきの……」


 現れたのは、スーパーで万引きを疑われていた少女だ。

 目を真ん丸にして、俺と、裸で抱き着いてきている女の子を交互に指差している。


「な、なななな、何やってんのよ!?」

「聞いて、杏! お兄ちゃんだよ! お兄ちゃんが帰ってきたんだよ!」

「杏……?」


 これが、あの泣き虫だった杏?

 兄さん、兄さんって、いつも俺の後をつけてきた、妹の杏なのか?

 言われてみれば、面影はある。

 ぱっちりした目元とか、少しだけウェーブのかかった髪とか、対応不可能な事態に陥ると下唇が震えるところとか。

 そう、まるで、九歳だった杏を、そのまま大きくして、俺と同じ学園の制服を着せたら、こうなるんじゃないかというような容姿だ。


 その杏らしき人物は、瞬間湯沸かし器がごとく顔を真っ赤にすると、


「そんなこと、どうでもいいから――」


 洗面所に置いてあった石鹸を震える手で拾い上げた。

 それを甲子園の先発ピッチャーのように振りかぶると、


「――さっさと離れなさいよ、この変態ッ!」


 全力で石鹸を投擲してきたのだった。


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