[38] その後2
我が家の庭は、そこそこ広い。
河川敷ほどじゃないにせよ、小さな魔法陣を描くくらいわけない広さはあった。
庭に集まったのは、リリミィとルビー、それからナズナに、俺の可愛い林檎と杏。
リリミィは不安そうに瞳を揺らし、俺を見上げてきた。
「本当にやるのですか、コウヤ?」
「ああ」
やるなら、早いほうがいい。迷っているだけ、時間の無駄だしな。
「林檎と杏が抱えた不安と悲しみは、想像以上に大きかった。なら、やっぱり、その根本的な原因を取り除かないとな」
「この宝珠を使えば、確かにあなたを過去に送ることができると思いますが……」
いいながらリリミィが取り出したのは、アーデルハイムの涙。俺を異世界から送り返した宝珠だ。
「……嘘は言っていないのです。時間遡行の魔法は秘匿中の秘匿。ですが、難易度が極端に高いわけではないのです」
地面に魔法陣を描き終えたナズナは、使った石をぽいと放り投げた。
確かに、それほど複雑な魔法陣じゃない。だが、独特な表現が多く、ぱっと見ただけで再現できそうなものでもない。
「ただし、戻ったら最後、こちらにもう一度跳ぶことはできないのです」
「それでいい」
行ったり来たりするのが目的じゃないんだ。戻れれば、それでいい。
「異世界転生から三ヶ月後――俺が魔王を倒して世界移動をした瞬間に戻してくれればいい」
「そうすれば、今の悲しい未来はなくなる、ですか」
「ああ」
そもそもの問題は、俺が七年間不在だったことにある。
だったら、その事実自体を消してやればいいだけのことだ。そうすれば、世界の歪みはなくなる。
「それで、全てが元通りだ。林檎も杏も、悲しい想いをしなくなる」
俺の願いはそれだけ。七年という空白を埋めることができるなら、喜んで過去に飛んでやるさ。
「本当によろしいんですのね?」
「ああ。始めてくれ」
改めて念を押してきたリリミィに頷く。
リリミィは諦めたように息をつくと、やや険しい表情で宝珠をナズナに渡した。
隣では、ナズナが変なことをしないよう、ルビーが剣を構えている。だから、人の家でそんなものを振り回すな。
ナズナは宝珠を両手で掲げると、目を閉じて詠唱を始める。
「時を司る神、クロノスよ。全ての針を止め、我が願いを聞き届けたまえ。我は願う。万物の静止を。我は乞う。時という歯車を戻すことを」
ゆっくりと、魔法陣が輝き始めた。
その輝きは、徐々に強くなり、やがて魔力で満ち溢れ始める。宝珠を掲げたままの姿勢を保っていたナズナが疲れた様子で息をついた。
「成功したのです。後は、その魔法陣の中に入れば、七年前に戻ることができるのです」
「そうか」
存外にあっけなかった。魔法なんてデタラメな力はそんなものだと知っていたはずだが、拍子抜けなところもある。
まあ、そんなことはどうでもいい。大切なのは、ここから先の話だ。
「じゃあ、世話になったな。この世界は多分改変されて、全てなかったことにされると思うから、またすぐに会えるだろ」
「…………」
「…………」
「林檎? 杏?」
ずっと黙ったままだった林檎と杏。
一応、このプランは前もって説明していた。危険性がないではないが、今のナズナが変なことをするとも思えない。
だから、七年前に戻れば全てが解決するって、そう話したのだが。
「……やっぱりダメ!」
大声を上げた林檎が、思いっきり抱きついて俺を止めてきた。
「林檎……?」
「そんなのダメだよ! せっかく帰って来てくれたのに! お兄ちゃんがまたいなくなるなんて、絶対ダメだよ!」
「そうよ!」
林檎だけではなく、杏まで。どうした? 賛成してくれてたじゃないか。
「それに、過去が改変されるかどうかなんてわかんないでしょ!? 時間軸が違うと、過去に戻っても、影響はしないってマンガとかで言うじゃない! そうしたら、もう、二度と会えなくなるのよ!?」
「そんなのダメだよ! お兄ちゃんがいないと、もう、ダメなんだから!」
「林檎……杏……」
林檎は懇願するような眼差しを向け、俺にすがりついてきた。
「確かに、七年間は長かったし、寂しかったよ? でも、こうやってお兄ちゃんと一緒にいられるだけで、それも全部、帳消しになるんだから。大丈夫になっちゃうんだから!」
林檎の想い。杏の願い。
その両方が、ただ一言の結論となり、俺を貫いた。
「だから、行かないで、お兄ちゃん……!」
そんな、真摯な妹の願いを、断ることのできる兄なんているだろうか?
いや、いるはずがない。何故ならば、俺は、お兄ちゃんなんだからな。
「どうするのです? そろそろ、魔法陣は消えるのです」
「…………」
ナズナがどちらでもよさそうな眼差しで、こっちを見ている。だが、聞かれるまでもない。結論はもう出ていた。
「妹が正義だ。なら、お兄ちゃんとしては、妹の言うことを聞かないとな」
「お兄ちゃん……!」
「兄さん……!」
林檎と杏が、ぱっと花咲くような笑みを浮かべる。
「キャンセルだ。七年前には、戻らない」
「わかったのです」
ナズナは魔法陣から魔力を消し去った。光は徐々に収束し、やがて、それはただの落書きに成り下がる。
「人騒がせな奴め」
「ふふっ、コウヤらしいですわ」
リリミィとルビーも笑っている。こいつらにも、なんだか迷惑かけちまったな。
「俺は、お兄ちゃんだからな」
妹のためなら、何でもする。
それは、三ヶ月前も、七年前も変わらない、俺の基礎であり、行動原理だ。
誰にも否定させないし、誰が相手だって変えたりしない。それが、兄の矜持ってもんだ。
「それで」
俺はナズナの持っていた宝珠をひょいと取り上げると、リリミィの手にそれを戻す。
「お前らはいつ還るんだ? あんまり長いこと空けてると、国王が心配するだろ?」
「ええ、そうですわね」
忘れかけることも多いが、こいつは一応、お姫様なのだ。
あまり長いこと国を空けているわけにもいかないだろう。国王も心配性なおっさんなので、下手をすればこっちまで迎えに来かねない。
「お名残り惜しいですけれど、そろそろお暇させていただこうと思っております」
隣に立っていたルビーが、ナズナの首根っこ掴んで引き寄せる。
「こいつは連れて行く。向こうで、裁きを受けさせなければならない」
「まあ、それは仕方ないか」
裁きを受けるといっても、まず間違いなく、火炙りやら断頭台やら、というところだろう。
とはいえ、それを簡単に受け入れるようなタマではない。
「ナズナ……」
「心配しなくてもいいのです。向こうに行けば、ボクの魔力も戻るのです。そうすれば、人間なんかには後れを取らないのです」
「そんなことはさせませんわ」
「人間風情が、舐めたことを言うものではないのです」
早速対立を始めた両者の頭に、俺はゲンコツを落とす。
「やめい。いざこざが起きたら、また呼ばれるのは俺なんだぞ? そんなことになったら、今度は世界樹ごと吹き飛ばしてやるからな?」
「……う」
「……うう」
まったく、本当に懲りない奴らだ。
「本当はコウヤも連れて行く予定でしたが、今回は諦めて戻ります。父上も、そろそろお怒りの頃でしょうし」
今回は、という辺りが気になるものの、聞かなかったことにしておいた。どうせそうほいほい来れるような場所でもないんだ。
「どうやって戻るのです? ボクはもう、魔力が残っていないのです」
「宝珠を使います。宝珠には、強大な魔力が蓄積されていますので」
言って、リリミィは宝珠を掲げる。
しかし、すぐにその顔が困惑気味に傾げられた。
「…………あれ?」
何だ? 今回は宝珠が手元にあるんだから、さっさと帰ればいいだろうに。
怪訝そうな表情で、ルビーがリリミィに問いかける。
「どうされました、姫?」
「いえ……それが……」
困ったように頬へ手を当てながら、リリミィは眉を顰める。
「わたくしとしたことが……うっかりしていました……」
「? 何だ、忘れ物か?」
悪いが、お土産は用意してないぞ。スマホ買って金ないからな。
しかし、問題なのはそこではないらしく、
「元の世界へ戻るには、宝珠が必要です」
「それは知ってる。そのせいで、俺は魔王を討伐しなきゃならなくなったんだからな」
「はい。それに、時間遡行にも、宝珠が必要です」
「そうだな。さっき、それ使ったな」
「ですが、わたくしが持ってきた宝珠は、一つだけです」
「そうか。さっき一つ使ったから、一引く一は〇だな――って」
リリミィの手の中にある宝珠をよく見る。
さっきまでは、魔力に満ちていて、ほのかに輝きを放っていた。
しかし、今はどうだ。魔力の残滓はほとんど感じられず、薄暗い闇を内包しているようにすら見える。
つまり、どういうことかと言うと――
「まさか、我々は戻れないのですか……!?」
「ど、どうしましょう……!?」
「……間抜けな王女なのです」
焦るルビーに、あざ笑うナズナ。
しかし、当のリリミィはすぐに思い直した様子で、
「……ですが、これも考えようによっては、よい機会かもしれませんね」
「いや、よくないだろ」
どうするつもりだ? と問いかけると、リリミィは綺麗な笑顔を向けて答えてきた。
「もともと、わたくしがコウヤを連れ戻そうとしたのは、コウヤをわたくしの夫にするため。戻れないのは仕方がありませんが、その目的自体は、こちらでも果たせますので」
「……は?」
今、なんつった?
夫? お前の? 誰が?
なんて困惑している俺の手を取り、リリミィが上気した頬を緩ませた。
「不束者ですが、よろしくお願いいたします。旦那様」
「ちょっと待て。勝手に話を――」
「そんなのダメーッ!」
そこに割って入ってきたのは、林檎だ。
ファイアウォールがごとく、両手を広げてリリミィの猛攻をブロックし始める。
「お兄ちゃんは、私のお兄ちゃんだもん! 他の人なんかにあげないんだもん!」
「コウヤはわたくしの世界の救世主です。王女であるわたくしが、その生涯をもって礼をするのは当然のこと」
「そんなの知らないもん! お兄ちゃんはあげないんだから!」
「関係ありません。もう決めたことで、父上も了承しておりますから」
「ダメったらダメー!」
二人の戦いはヒートアップし始め、俺の所有権を巡って争い始める。
「はぁ……」
空を仰ぐ。
異世界に行って、羨ましいって? 本当にそう思うか?
まあ、楽しかったところもあるし、貴重な経験できたってところもある。
けど、俺にとって重要なのは、異世界でも魔法でもない。
こうやって、妹とはしゃげる日常なんだ。
そう――
何たって俺は、お兄ちゃんなんだからな!
最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました!
また次の作品でお会いできれば幸いです。




