表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/38

[36] 異世界帰りのお兄ちゃん

 林檎に駆け寄った杏は、その前に立ち、小さな肩を強く揺すった。


「林檎! しっかりしなさい!」

「…………」


 ぼんやりとした瞳は、動かない。

 ブランコに座ったまま、林檎はぶつぶつと、何かをつぶやき続けていた。


「わたしがわかんないの!? 林檎、林檎ってば!」

「……お兄ちゃん……」

「え?」


 杏が耳を寄せると、林檎は壊れた音楽プレイヤーのように、同じ単語を繰り返していた。


「お兄ちゃん……どこ行っちゃったの……? お兄ちゃん……お兄ちゃん……お兄ちゃん……!」

「林檎……」


 杏は、隣のブランコに座る。

 ブランコに座ったのなんて、久しぶりだ。この公園も、あの花火大会の時以来、一度も来ていない。

 けど、林檎は時々、公園に行っていたのを杏は知っていた。


「……ね、林檎。覚えてる?」


 隣に座る林檎へ、囁きかけるように告げる。


「昔、林檎と一緒に兄さんのバスケの試合見に行った時。まだわたしも小さかったけど、林檎と二人で応援して。あれは、楽しかったなー」


 兄には内緒で、こっそり見に行った。

 すぐに気づかれてしまったが、そこから試合で大活躍。今思えばとんでもない能力を発揮して、ダブルスコア以上の差をつけて勝ってしまった。


「林檎は本当に嬉しそうで。もちろん、私も楽しかったけど、試合に勝った時、林檎はぴょんぴょん飛び跳ねてたよね。ああ、林檎は本当に兄さんが好きなんだなー、って思ったよ」


 林檎は昔からお兄ちゃんっ子だった。

 いや、違う。お兄ちゃんっ子だったのは、二人ともだ。


「でも、兄さんがいなくなっちゃって。わたしがわんわん泣いてた時、林檎はずっと明るく慰めてくれたよね。大丈夫だよ、お兄ちゃんはすぐ帰って来るよ、だから一緒に待とう、って。あの言葉に、わたしがどれだけ救われたか。きっと、林檎は知らないだろうね」


 兄が突然いなくなって。

 ただ泣くだけだった杏と違い、林檎はしっかりしなければ、という想いが強かったのだろう。

 姉だから。妹を守らないといけないから。

 そんな想いが、林檎を追い詰めてしまったのかもしれない。


「でも、だからわたしは気づけなかった。本当は、林檎もショックを受けていたって。ううん、林檎の方が、わたしよりも兄さんと一緒にいた時間は長かった分、悲しみは大きかったんだってこと」


 ブランコから降りて、林檎の小さな身体を抱きしめる。

 この小さな身体に、どれほどの悲しみが詰まっていたのだろう。どうして、それに気づいてあげられなかったのだろう。

 林檎の悲しみは、兄だけのせいじゃない。自分にも責任がある。


「苦しかったよね……! ごめんね、気づけなくて……! ごめん、ごめん林檎……!」

「…………」


 ぼんやりとした林檎の瞳は変わらない。それでも、言わなきゃいけないことが、たくさんあった。


「でも、もう大丈夫だから……! 兄さんは帰って来てくれた……帰って来たんだよ……!」

「お兄ちゃん……」


 その単語にだけ、林檎は反応を示す。

 しかし、林檎にとってそれは、辛い想い出でしかなかった。


「お兄ちゃんは……私がいらない子だったんだ……だから、お家に帰ってこなくなっちゃったんだ……!」

「違う! そんなことない!」


 そう、そんなことはない。

 それは、杏が誰よりもよく知っている。


「兄さんは、林檎のこと大好きだった! それは、わたしが一番よく知ってるから! だから、林檎!」


 ぎゅっと、その小さな身体を抱き締めた。

 そこには確かに、ぬくもりがある。

 小さな身体に溜まった、全ての悲しみをなくすように。

 心の底から、幸せを感じられるように。

 思いっきり、ありったけの想いを込めて、杏は叫んだ。


「帰ってきなさい! わたしと、お兄ちゃんのところに!」


 ゆっくりと。本当にゆっくりとだが、林檎の瞳に、色が戻ってゆく。


「お兄ちゃん……お兄ちゃんは……わたしのこと……嫌いじゃないの……?」

「そんなの――」

「――当たり前だ!」


 ――俺は、林檎と杏を抱き締めた。


「兄さん!」

「……お兄ちゃん……?」


 強く強く、もう二度と放さないように。この子たちは、俺の宝物だ。誰にも渡さないし、誰にも傷つけさせやしない。

 もしそんなヤツがいたとしたら、俺が全力で消し飛ばしてやる。


「く……っ、どこにこんな力が……!」

「バカめ。よく覚えておけ」


 地面に膝を突いているナズナを見下ろしながら、俺は世界の真理を叫んでやる。


「妹のためなら、兄はどんな不可能も可能にするんだよ!」

「が……っ!?」


 放たれた強烈な魔力弾を受け切れず、ナズナが吹き飛ぶ。

 確かに、ナズナは魔力を補充し続けていた。しかし、その速度にも限界ってものはある。

 だったら、それを上回る力で魔法を叩き込み続ければいいだけの話だ。


「こんな不合理……! 許されるはずがないのです……! こんなことで……!」

「ざけんな。テメェの許しなんてハナから求めてねぇんだよ」


 連続して魔法を打ち続けながら、俺は鼻で笑う。

 わかってねぇな。そんなの、理屈じゃない。いや、理屈はあるが、そんな難しいもんじゃない。


「妹が正義。妹に害する者が悪。それだけだ。簡単だろうが」

「世界は、そんな単純ではないのです……!」

「難しくしてんのはテメェらだろうが」


 世界樹だとか、種族だとか、復讐だとか、異世界だとか。

 そんなもの、俺にとってはどうでもいいものばかりだ。世界はもっとシンプルで、当たり前で、そして、美しいものだ。


「俺は妹のために異世界で魔王を倒し、戻って来た。お前は何度か過去に遡った際、そうなる前に、ただ俺を元の世界に送り返していればそれでよかったんだよ。妹のいる世界に戻ってりゃ、俺は満足だったんだからな」

「そんな……!?」


 ナズナはショックを受けたように、身体を振わせる。動揺からか、集まった魔力が霧散しかけていた。


「ボクは……間違えたのです……? 何度も何度も、選択を間違えてしまったのです……?」

「そうだよ」


 だから、どうしてみんな、そこを不思議がるんだ?

 俺は何度も言っていたはずだ。妹以外に興味はないと。

 逆に言えば、俺の妹に手を出すってことは、イコール、殺してくださいっていうアピールなんだよ。


「この世界に来て魔王になろうと思ったなら、むしろ、俺の妹から離れなきゃならなかったんだよ。そうすりゃ、お前が世界征服しようが何しようが、俺は放置して妹と遊んでただろうに」

「そんな……そんなこと……!」


 ナズナは何度も繰り返してきた自分の間違いを知って、うなだれる。残念だったな。お前にも妹がいれば、このシンプルな理論を理解できただろうに。


「さ、林檎、杏」

「お兄ちゃん……」

「兄さん……」


 顔を上げた二人の妹に、俺は笑いかけた。


「すまんな。七年もいなくなっちまって。でもな、これだけは言っておく」


 七年間、俺のいない生活を続けた林檎たち。

 どれくらい大変だったのかは、想像もつかない。

 どれほど寂しかったのかは、理解することもできない。

 ただ、それでも、俺は言わなきゃいけない。これだけは、ちゃんと知っておいてもらわないといけないんだ。


「俺は、林檎と杏のことが大好きだ。世界で一番だ。お前たちのためなら、魔王だろうが神様だろうが、ぶっ飛ばしてやる」

「お兄ちゃん……お兄ちゃん……!」


 ぎゅっと、林檎が俺に抱きついてくる。

 はらはらと涙を流しながらも、その瞳には、あの時の――俺が異世界に召喚される前の林檎の、綺麗な色が戻っていた。


「安心しろ。俺はもう、二度といなくならない。何故なら、俺は林檎と杏のお兄ちゃんだからだ!」

「うん……うん……!」


 何度も頷く林檎。もう二度と、寂しい想いはさせない。神様だろうが、魔王だろうが、それを邪魔するならぶっ飛ばしてやる。


「じゃ、帰るぞ。お兄ちゃんと一緒に、あの家へ」

「……うん!」

「……はい!」


 ゆっくりと、俺たちを光が包み込む。魔王の魔力が尽きたことを知り、リリミィが引き戻してくれているのだろう。


 そう、この異世界から帰るのだ。妹たちと、俺と、一緒に。


 ――何たって俺は、異世界帰りのお兄ちゃんだからな!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ