[35] ヤツの正体4
ふわふわとした、雲に包まれたような感覚。
それが徐々に形を帯び、やがて、実態を形成していく。不快なものではなく、なんというか、そう、深い眠りから覚めるような、そんな感じだ。
そして、次に俺たちが目を開けると、そこは河川敷ではなくなっていた。
「……あれ? ここ、どこ……?」
「林檎の意識の中だ」
隣の杏は、きょろよろと周囲を見回している。
いきなり別の場所に飛ばされたのだから、そりゃ焦るだろう。しかし、俺はこの場所に見覚えがあった。
「これ、もしかして、あの花火大会の時の……」
「ああ。あの時の公園だ」
花火がよく見える穴場。山の中腹にあった公園だ。
俺が異世界に飛ばされた場所でもある。これが、林檎の中の心象風景なのか?
「どうしてこんなところに……」
「……きっと、ここが林檎にとって、強烈な印象を残した場所だからだ」
兄である俺が、忽然と消えた場所。
残された妹二人は、その時、どんなことを思ったのか。今となっては、魔法を使おうが、俺にそれを知る術はない。
ただ、林檎にとって、良くも悪くも、ここは強烈な想い出の場所となってしまっているようだ。
「あ、あそこ!」
公園のブランコの上に座っている、一人の少女。
虚ろな瞳で地面に視線を落としているのは、子供の頃の林檎だった。
元気で溌剌としていた少女の面影は、そこにない。何か大切なものを失ってしまったかのような、心のどこかが欠けてしまったかのような、暗い影を落としていた。
「…………」
「林檎!」
杏の叫び声にも反応しない。
身動き一つせず、ただ、足元だけをぼんやりと見つめていた。
「……やっぱり、林檎の時間は、ここでずっと止まっていたのね……」
杏が唇を噛む。明るく振舞っていた姉が、ずっと、過去に囚われていたことを知り、ショックなのだろう。
俺だって同じだ。まさか、これほどまで林檎の心を蝕んでいたとは。七年間いなかった俺をぶっ飛ばしてやりたいほどだ。
「林檎! お兄ちゃんが迎えに来たぞ! 一緒に帰ろう!」
「…………」
俺の声にも、反応してくれない。
それをせせら笑うかのような声が、背後から聞こえてきた。
「無駄です、勇者」
「お前……!」
振り返った先にいたのは、ナズナだ。
愉快でたまらない、とばかりに肩を揺らし、俺たちの反応を楽しんでいる。
「林檎に何しやがった!」
「何もしていないのです。ボクがここへ来る前から、あの子はずっとああして、時間を止めているのです」
つまり、ずっと昔から、林檎の中ではこうだった、ってことか?
そんなの、悲し過ぎるだろう。異世界に飛ばされた俺が悪いのはわかってる。それでも、なんとかしてやらないといけないのは、兄として当然のつとめだ。
「そして、そこから溢れ出る負の感情が、ボクの魔力の源となるのです。この器はとても負の感情で溢れているのです」
「てめぇ……!」
とりあえず、こいつはぶっ飛ばす。話はそれからだ。
「お兄ちゃん……お兄ちゃん、どこ……どこなの……?」
林檎はつぶやくように、俺のことを呼び始める。
「どうして、どこか行っちゃったの……? どうして、私のお話聞いてくれないの……? どうして……どうして……?」
「林檎! 俺はここだ!」
「お兄ちゃん……お兄ちゃん……!」
しかし、林檎に俺の言葉は届かない。まるで耳に入っていないようだ。
「声が届かないなら……!」
直接、抱き締めてやればいい。
そう思って、林檎のもとへ駆け出そうとしたところで、
「そうはさせないのです」
「っ!?」
突如として、足元から巨大な槍が突き出した。
漆黒の槍――シャドースピア。闇の精霊が得意とする、攻撃魔法だ。物凄い数が足元を襲い、俺は杏を抱えて跳躍しながらそれを避ける。
「この空間であれば、世界樹がなくとも、ボクの魔力は無尽蔵なのです。あの女の負の感情が、次々に魔力を供給してくれるのです!」
確かに、ナズナの魔力は先ほどより増している。
ナズナにとって、林檎が魔力供給源なのだろう。世界樹のないこの世界では、俺の魔力は元に戻らない。しかし、あいつからすれば、林檎の中にいる限り、魔力が尽きる事はないってことだ。
「この……ッ!」
「兄さん!?」
魔法でナズナの攻撃を相殺する。しかし、このままじゃジリ貧だ。
「あいつは俺が引き受ける! だから、杏!」
「は、はい!」
弾かれたように頷いた杏。その妹の頭を一撫ですると、
「林檎を頼む! お前なら、できるはずだ!」
「――はい!」
杏が林檎のもとへ走り出す。もちろん、ナズナがそれを見逃すはずもない。
「開け、開け、ゲートよ開け。ボクの下僕よ、さあさ踊ろう、一緒に狂おう」
「光よ、闇よ、全ての精霊よ。我が声に耳を傾け、その力を存分に振るいたまえ」
両者の詠唱が始まるのも、終わるのも、同時だった。
「悪魔招来――アビス・スクリーム!」
「魔導砲台――エナジー・キャノン!」
膨大な魔力の奔流が、空間上でぶつかり合う。
激しい光を放ちながら、両者の魔法は相殺された。いや、少し押されたかもしれない。
なら、決着は急いだ方がいい。
「まだまだ……! 風の精霊よ、万物を貫く光の槍を我が手に――ライトニングアロー!」
雷撃の槍を、間髪を容れずに叩き込む。
大抵の魔物なら一撃で屠れる魔法だ。しかし、槍は途中で霧散し、向こう側には愉快そうに笑うナズナの姿がある。
「弱い。弱過ぎるのです」
「ちっ、無傷かよ……!」
想定はしていたが、魔王の肩書きは伊達じゃない。
禁呪クラスの魔法じゃなきゃ、傷一つつけられないだろう。が、今の俺に、それを放つことはできない。
「世界の破滅を願う我が従属たちは、常に圧殺を望むもの――ケイオス・グラビティ!」
ぐん、と足元の重力が増した。思わず膝をつく。
「ぐあ……っ!?」
「ここへ乗り込んでくる時に、随分と魔力を使ったみたいなのです。魔王城に乗り込んできた時の、十分の一も感じられないのです」
ナズナの言う通りだ。
俺の身体の中には、もうほとんど魔力が残っていない。
世界樹がないせいで、精霊がおらず、魔力の供給源がない。だから、俺の身体の中には、もうカスみたいな魔力しか残っていなかった。
だが。
だが、それが――
「――それが、何だってんだ?」
「……なに?」
ナズナの眉が動いた。
俺は片膝をつきながら、ニヤリと笑ってみせる。
「何か勘違いしてねぇか? 俺は別に、魔力があるとかないとか、そんなことでお前を倒しに来たんじゃねぇ」
そう、こいつはそもそも、根本的なところを勘違いしてやがる。
「世界が滅ぶとか、仲間の仇とか、そんなのどうでもいいんだよ。お前がこの世界で魔王になろうとも、俺の知ったこっちゃない」
「なら、何故なのです? こんな危険を冒し、魔力を枯渇させてなお、何故こんなところまで来たのです?」
「そんなもん、決まってんだろ」
俺の行動原理はただ一つ。そいつは、七年前から何も変わっちゃいない。
そう、何故ならば――
「俺は、林檎のお兄ちゃんだからだ!」
残った魔力を全て掻き集め、俺はナズナの魔法を打ち消した。
そして、体内に残っていた魔力を全て集め、全身に漲らせる。
「……!? まだこんな魔力が……!」
「お兄ちゃんに不可能なんかねぇんだよ……!」
魔王だか何だか知らないが、妹を守る兄が負けるわけねぇだろ?
そんなの、異世界だろうがこの世界だろうが、どこだって同じことだ。
「さあ、最期の決戦――ラストバトルと行こうじゃねぇか!」




